見出し画像

月結び


私の神社との関わり方について書いてみたい気持ちになった。

神社にお詣りするのが特に好きになったのは、たしか8年前の夏だった。
社会人として迎える二度目の夏休み、一人旅をした。

当時実家暮らしで、日帰りで出かけるにも どこ行くの?誰と?何時に帰ってくるの? と過保護な親のもとで育った私にとって、一人旅をするというのは特別なことだった。
母親に反対されるかも、とドキドキしたけれど、意外にも いいね、と言って送り出してくれた。

この年の行き先に選んだのが伊勢・志摩。
お伊勢参りがメインの目的だけれど、自分で新幹線や特急の予約を取り、行程を調べ、豪華な宿に泊まって、きれいな景色を見て好きなものを食べることのどれもが新鮮で楽しかった。

伊勢神宮にお詣りする前に、二見興玉神社にお詣りした。
夫婦岩や蛙石がある神社で、縁結びでも有名だった。

伊勢神宮にお詣りしたとき、雨が降っていて、辺りの静寂が怖いほどだった。
生い茂る樹々の幹のまっすぐさや高さ、真夏だけどひんやりした空気に、特別な場所であることを実感した。

神社で雨が降るのは、歓迎されていることを意味すると聞いたことがある。

日本で最も格式の高い神社と知らなかったとしても、その特別さを肌で感じただろうと思う。

私は特定の宗教に傾倒しているということはないけれど、八百万といわれるほどたくさんの神様がいてそれぞれ個性も人間味もあり、自然やものにも神様を見出すし、良い意味で俗っぽい面があるから、日本の神様が好き。

渋いお寺も良いけど、朱で彩られた鳥居や本殿・雅楽や神楽・かわいい御朱印や御守りで商売っ気を出している神社もお気に入り。
なんだか寛容な感じがするから。

でも伊勢神宮は、そういった神社とは異なる荘厳な神社だった。
日々暮らす俗世間との違いを空気そのものから感じた神社は、伊勢神宮が初めて。
荘厳な神社の空気も、おかげ横丁での食べ歩きも両方味わった。

伊勢神宮にお詣りした翌日は、賢島のホテルに泊まり、鳥羽水族館を見た。
一人水族館も初めてのこと。
水族館を楽しみ、もうすぐ帰ろうとお土産コーナーを眺めていた時に、当時気になっていた人からメールが届いたのを覚えている。

その人は、一言で表すと職場の同僚ということになるのだけど、職種も立場も異なるので、毎日のように見かけはするものの、直接かかわる機会はあまりないという距離感だった。

一緒にする仕事がときどきあったりするくらい。
私は当時その人のことをいいなと思っていた。
(「先生」と呼ばれる職だったので、その人のことを先生と呼ぶ。)

誘われた飲み会にその先生がたまたまいたことがあって、仲良くなれるかなと期待したけど、同じ場には先生と同じ職種で、私と先生の間よりも歳が近いきれいな女性もいて、なんだかそっちのほうが距離が近い感じがしたのでがっかりしていた。

連絡先交換さえできなかったけど、翌日、「昨日はありがとうございました」という社交辞令的お礼メールを私用アドレスから送って、一方的に連絡先を知らせるという微妙な手段をとるのが関の山だった。

そんな感じで、1ミリも期待できる要素はなかったのに、突然、鳥羽水族館でのんびりしているときにメールが来て、デートにお誘いされたものだから、奇跡だ!と思い、きっとお伊勢さんと二見興玉神社の御利益だと私は信じたのでした。

俗の極みだけど、これが神社を一層好きになるきっかけ。。。

ちなみに、この「先生」とは、結局その後デートを重ねたんだけど、いろいろとあり、お付き合いにも至らず終わってしまいました。

でもこれを神様のせいとか、ご利益が足りなかったなどとは私は思っていなくて、神様のする「縁結び」は文字通りに縁やきっかけをくれるものだと考えてる。

平行線で交わることのなかった縁を交差させてくれて、あとは二人のご自由に、と委ねてくれるようなもの。

もしも神様が人の縁をがっちり結び付けてくれるのだとしたら、私との縁について願った別の人がいた場合、競合した願いはどうなるのか…
それって怖いし、こんなに柔軟性と寛容さに溢れた神様たちが、そんなきつい結び方するのかなと想像してしまう。

きっかけをもらったら、あとは自分次第。
人との縁は自分で育てていくほかないと思ってる。
もちろん相手も育ててくれないと、とも。

または、神様は目先の恋愛とかなんかではなく、すべてを俯瞰する目を持っていて、その人にとって最も幸せになれる道が見えているから、その方向へ導いてくれているとか。
失ってしまったり壊れてしまった縁は、その人にとって本当に良い方向に向かうために結ばれなかったのかな、みたいに考えることもある。

そんな風に思っている私は、神社にお詣りする時、いわゆるお願い事をしない。
私はこうなりたいです と宣言して、そうなれるよう自分自身を大切に扱って過ごします と誓う。
最後に、最も良い方法でそれが叶うよう、見守ってください と伝える。

こうすることで、もしも自分の願いが叶わなかったとしても、神様を恨んだりする気持ちにならなくて済む。

あのとき誓ったことを自分はできてるかな?まだ足りないから「その時」が来ないだけかも。
日々目の前のことをがんばっていたら、一番良い方法で、近道で願いが叶うように、追い風を吹かせてくれるかも。

怠け心が出てしまったり、自分を傷つけたくなったり、消えたくなったときには、
神様はどこで何をしていてもきっと見ているから、こんなことはできない、と思い直せたり。

神社にお詣りすることは、私にとって自分のモチベーションを保つための仕掛けなのです。
神様という裏切れない存在を味方にすることで、自分の心に働きかけている。

実は、これは神様がいてもいなくても、お願い事を叶えてくれてもくれなくても成立するようになっているから、完璧な仕掛け!

私は神様を信じる自分を信じている みたいなことが私の中で起きている。

だから私はなにかあったとき、神社にお詣りする。

2023/11/28

いいなと思ったら応援しよう!