包容と抱擁
以下はすべて、フィクションとする。
書きたいことを思いながらnoteを開いたら他の人のを見てしまって、書きたいことを忘れてしまった。しゃあない。
私はどうしてもプライベートのこと、実際にあったことしか言葉にできない。ましてや文字に起こせない。それでも、ぼやかさないと、恥ずかしくて、個人が特定されるという怖さもあるけど、そんなことを言うくらいなら本人たちに言うべきで、言えなくて。
だから、フィクションというか、一般的な話として捉えてくれたら嬉しい。
というか、私の悩みなんて一般的で、ありふれていると思うから。
しんどいねえ、君も、私も
日々生きにくさを呻く人間の、生きにくさは肯定して、生きにくさから打破しなさを問う
近年の何か作品や、意見や、人物や、行動に対して、主語が「私」で抜けてるやつが多すぎる。いつからお前が世間の一般代表になった。いつから対象は社会の特異点として語っているのか。「そういう人もいる」で語り終わらないのは何なんだろう。正義、正しさの認識か?数の優位性か?
で、まあ「(人間として)おもろい」で片付くものかどうかってのはある。自己と他者を同一視してしまう人が多いんだろうな。
法からはみ出た人間は、ルール違反だ。罰則がある。こればかりは、人間社会に生まれてきてしまった以上、仕方がない。その他は、なんなんだ。
私もしんどい。床で4時間睡眠した後起きてしまって、起き上がれなくてうだうだして、夕方から動き出すこの恐怖をあなたは知らない。ああ気持ち悪い。
愛昧
好きの理由、根源について考える。
優しさ、ぬくもり、尊敬、色んなものをはらんでいる。私は都合よさなのかもしれないと怖くなる。そんなはずはないと信じたいけど、そういう発想が出てくるたび、自分の身勝手さと落胆と、気持ち悪さと、どうしようもなさと、色んな感情になる。
それでいいんだよ、自分優先で生きようと言う自分と、そうするから今周りに人がいなくて、近くにいた人も離れている事実とが、私に重くのしかかる。
思春期特有のどうこうとかではない、根源的な恐怖。
多分私は向いていなくて、都合の良さを求めてしまうから、良くない。
そもそも、音楽が好きである理由も、アイドルが好きである理由も、自分の気持ちの変動を受け流しながら、向こうのことなんて一切知らずにこちらが勝手に勇気づけられるからである。会話もそう。相手に得があると思うから、もしくは自分が話したいから、話している。こんな一方的なコミュニケーションしか知らない人間は、意識を他人に向けちゃいけない。分かってた。それでも、全てを許してほしい。ただ抱きしめてくれたらいい。そういうことばかり考える。なんて身勝手なんだろう。結局「都合のいいぬくもり」しか考えられなくて、またしんどくなる。私は相手に何を与えられたんだろう。なにもない。もらったものすぐなくすし。そういうところだと思う。
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