見出し画像

大手百貨店に勤める28歳男性の話

What’s his job?
入社1年目に食品や雑貨などさまざまな売場での研修を経験。以降は主に洋服売場での販売に従事。5年目となる現在は紳士洋品の売場長を担当している。売場企画や販促、取引先との交渉、スタッフの管理などを行い、売上およびブランディング向上の主責任を負う。


売場づくりについて

お客様が生き方、暮らし方に
共感や発見を得られるブランド選びを。

「モノを持つのは豊かなことか」。
近年、大量生産・大量廃棄への反省から、自然環境や労働環境に配慮した持続可能な消費が求められている。そんな中、百貨店において値段やブランドなど従来の価値基準を超えて「良いもの」を届ける売場づくりが、彼のミッションだ。売場は大きく「常設」と「特設」に分かれており、特設の企画にはとりわけ趣向を凝らす。例えばある時期の百貨店全体の企画テーマがSDGsだとしたら、彼の売場ではオーガニック染料を使った商品を扱うブランドを取り上げるといったことが考えられる。テーマにあわせて、最適と思われるブランドを都度リサーチ。いくつもの候補の中から交渉相手を絞り込む。現場に実際に足を運び、商品を検分。信頼できるパートナーかどうか、ブランドやものづくりへの思いなども尋ね、対話を重ねながら出展交渉を進める。ブランド選びに絶対的な正解はない。「外れない」ブランドはあるが、それだけでは顧客が売場に飽きてしまう。コミュニケーションを通して、いつも発見や共感があり、それらが一堂に会するリアル店舗としての価値を持たせ続けるため、彼が先頭に立って売場に変化を与え新陳代謝を促す。
「売場の企画は本当に難しい。特に出展交渉はスムーズに進まないことが多いですね」。
大切なブランドを世の中に正しく届けたいという思いが強いからこそ、相手の妥協ラインも厳しくなる。出展金額や出展場所、陳列する商品について、対話が堂々巡りのようになることもめずらしくない。それでも彼は「相手のブランドに対する思い」、「出展による売上やお客様の認知の向上度合い」といった、相手が求める情報を一つひとつ丁寧に説明する。根気強く交渉を繰り返した末に、やっと一つの売場ができあがる。

百貨店の役割について

信頼できるモノ、新しい価値観を
届ける拠点であり続けるように。

百貨店は長らく斜陽産業といわれている。利益率の高い衣料品などの店頭販売を主な収益源とする旧態依然としたビジネスモデルは、コロナ禍で大きな課題となった。しかし彼は「百貨店の存在意義はある」と断言する。生活用品や目当ての衣料品の「安さ」を訴求するスーパーマーケット、ショッピングセンターと異なり、百貨店は信頼できる商品が集まる場所として、また文化の発信源として機能し続けるべきだと考えている。
「“この百貨店で買い物をすれば大切な人への贈り物も安心だ”と思っていただけるような、一種のステータスシンボルは求められ続けると思います。また食品やお菓子、雑貨、衣料品、アートに至るまで、都市も地方も関係なく、暮らしに潤いを与えるカルチャーが集まる場所として、百貨店はユニークな役割を担えると思っています」。
顧客の信頼と満足を得られる商品を選び、伝えられるように。彼はあえて売場を離れ、他部署のスタッフと意識的に交流を持つようにしているという。ときに紳士服・婦人服のトレンドについて情報交換したり、ときにウェブサイトの構築の仕方を教えてもらったり…。それを彼は「将来につながる自分への仕掛け」だと表現した。各売場で顧客やスタッフたちは何を考え、どんな話をしているのか。いま世の中で何が求められているのか。知識の蓄積が、企画や提案のアイデアにつながると信じている。
「自分が持っている視点は多いほどいいと思うんです。“知っていてやらない”ことと、“知らなくてできない”ことの差は大きいですから」。
それは彼自身に向けた言葉であると同時に、今まさに変革が求められている百貨店という組織全体への言葉でもある。

将来のキャリアについて

受け継ぐべき逸品を
埋もれさせない。絶やさない。

百貨店と自身への変革意識。その裏には、手仕事の衰退に対する危機感がある。彼の親族は漆作家をなりわいとし、漆を使った器や絵画などさまざまな作品を生み出している。しかしそんな風に手仕事を通して生計を立てることができるのは、世の中でほんの一握り。実際、そのような作家や職人を志す人はどんどん減っている。「稼げないから」という背景はあるだろう。しかしその理由のもとをたどっていくと、「人々の鑑識眼が衰え、作家や職人の高い技術が評価されなくなったから」という一因に行き着く。彼はその現状を変えたいと考えている。

高度経済成長期までは「たくさん働き、稼いだお金で良質な家電や奢侈品を買う」という共通の意識があった。しかし経済成長が一服し、何でも安く一定の質の商品が揃うようになると、職人が技を磨き、丹精を込めて生み出した作品の価値が見出されにくくなった。日本経済の停滞と呼応するように、周囲と同質の暮らしに満足する人々。彼の目には、あらゆる業界の職人たちが、そんな空気のあおりを受けているように映る。
「お金の使い方はそれでいいのか?と考えてほしいと思うことがあります。働いて節約して貯めて、の繰り返し。将来の社会に対する不安など外部要因はあるでしょう。しかし国の経済とともに感性まで貧しくなっていないか、と」。
そんな彼にとって手ごたえを感じたできごとがある。以前、担当した企画展の取引先である岡山のデニム職人。元はスーツの仕立て人だった経験を活かし、オーダーメイド品を一本一本ひとりで縫いあげる。その腕はじゅうぶんだがビジネスの規模が小さく、ほぼ無名の状態だった。しかし出展交渉を済ませ、「日本の高品質なデニムで、生活に彩りと愛着を与える」というフィロソフィーとともに展示を行うと大盛況。お客様から「いいブランドを教えてもらった」と評価されれば、職人からも「多くの人に知ってもらえる機会を設けてもらった」とお礼を言われた。
「工業生産品とは比べ物にならないほど、素材選びや作業に労力をかけて一点ものを仕上げる、職人技の価値をもっと多くの人に知ってほしい。手に取って、暮らしに取り入れてほしい。その思いをつなぐハブとして、百貨店はまだまだ有用だと感じたできごとです」。
彼がこの先、百貨店で働き続けるかどうかはわからないという。新天地を求める可能性も大いにある。しかし「日本のものづくりの灯を絶やさない」。その思いの先に、キャリアの続きが見えてくるはずだ。


※内容は取材時点の話のため、現在とは状況が異なる場合があります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?