過去の延長線上にないアイデアを評価するにはどうすればいいだろうか?
2018年6月16日、恵比寿のamuにて同僚との共著『アイデアスケッチ—アイデアを〈醸成〉するためのワークショップ実践ガイド』の重版を記念したイベント「Idea Sketching in Tokyo」を開催しました。このイベントに参加された方の中には新規事業創出に関わっている方が多く、発散させたアイデアを収斂させるプロセスや、その先に進めるための方法に関する質問を複数の方からいただきました。
このワークショップで収斂させるための方法として紹介したのは、feasibility(実現可能性)とviability(実行可能性)の2つの軸で並び替え、自分がいいと思ったアイデアに投票し、なぜそのアイデアをいいと思ったのかをお互いに話しながら発展させる方法です。この方法における投票の目的は、得票数による多数決で「民主的」に選ぶことではなく、多様なスキルや視点、経験を持つ人々が同じアイデアに対して異なる角度から意見を述べる機会をつくることにより、議論を発展させることです。これにより、あるスケッチに描かれたアイデアの背後にあった考え方が共有され、異なる可能性が見出され、物理的な空間上の他のアイデアと結びつき、自然と発展します。さらに、アイデアが特定の誰かのものではなく、その場に参加した人々が共有するものとなることで、なんとか実現させてみたいという当事者意識と擁護の気持ちが醸成されるのです。
ここまでは、実際にアイデアスケッチを体験した方であれば実感していただけることでしょう。それでも、そうして生まれた数多くのアイデアを評価し、実行に向けて進めるものを選ぶ、というのは非常に難しい場合があります。
既存事業の延長線上にあるアイデアであれば、比較的容易かもしれません。なぜなら、決定権を持っている人々は既存事業に対する豊富な経験を持っているでしょうし、競合も含めた市場のデータがあるため、高い確信度で判断することができます。これに対して、既存事業とは異なる新規事業で、しかもdisruptiveな(既存の価値基準を打ち砕くような)アイデアを評価するのは非常に困難です。なぜなら、誰も経験したことがなく、参照できるデータもないからです。例えば、「自分の部屋を見知らぬ人々に貸し出して泊まらせる」というAirbnbのアイデアを潜在的な可能性を、経験豊富な投資家が判断できなかったとしても仕方がないことでしょう。過去の延長線上にないアイデアを評価するにはどうしたらいいのでしょうか?
ハードウェアでスケッチする
この問題に対する簡単な答えはありませんが、一つの解となるのが、紙の上にペンで描いたアイデアスケッチでいくつかの候補に絞り込んだ上で、タッチポイント、つまり、人間が実際に見る、触れる、または使うものに関する重要な部分だけを実際に体験できるよう、最小のコストで「ハードウェア」でのスケッチをつくり、実際に体験した上で決めることです。ハードウェアというと、さまざまな電子部品や機構部品が搭載された複雑なものを想像するかもしれません。しかしながら、ここで「ハードウェア」と呼んでいるのは、実際に見たり、触れたり、感じたりできる実物という意味で、コピー用紙や段ボール、紙粘土など、身近な素材でつくられたラフなものも含みます。
ここで参照している考え方は、Microsoft Researchの主任研究員であり、インターフェイスやインタラクションの先駆的な研究者として知られるBill Buxtonが述べたスケッチとプロトタイプの違いです。Buxtonは、2007年の著書『Sketching User Experiences』において、ソフトウェア開発におけるスケッチとプロトタイプの役割は異なり、その違いを意識することが重要であると述べました。Buxtonはソフトウェアの開発プロセスに着目し、開発の初期段階において、素早く、タイムリーに、安く、捨てられる材料で、たくさん、必要最小限のディテールでスケッチをつくり、確認ではなく提案と探索をすることが重要だと主張しました。次の表は、スケッチとプロトタイプの違いを説明した表です。
Bill Buxton『Sketching User Experiences: getting the design right and the
right design』Morgan Kaufman(2007)p140 Figure 52より引用、翻訳
いったんコストをかけてしまうと、たとえそれがつまらないアイデアだとわかっていても捨てることができなくなってしまうものです。それに対して、スケッチの段階でコストをかけずに素早くアイデアを試せば、うまくいかなかった場合でもダメージは少なく、すぐにやり直すことができます。また、当初の目論見通りにはいかなくとも、別の角度で新しい発見があることもあるでしょう。スケッチとプロトタイプの違いを明確に意識していないと、さまざまな問題が起きます。例えば、本来はプロトタイプの段階で行うべき精錬にスケッチの段階でいきなり着手してしまい、探求が十分になされずに可能性を見落としてしまうかもしれません。Buxtonはソフトウェア開発を想定してこのように説明しましたが、ハードウェアやサービスの開発においても同様のことがいえるでしょう。
この考え方は、Richard Banfieldらの『デザインスプリント』やJake Knappらの『SPRINT 最速仕事術』で紹介されているデザインスプリントの4日目におこなうprototypeとおおよそ同じです。デザインスプリントでは5日間という限られた期間の中で集中して取り組み、4日目につくったプロトタイプを用いて5日目にテストします。製品やサービスの全体を1日でつくり上げるなんて不可能に思えるかもしれません。しかしながら、タッチポイントに限定し、かつ、全て実装されていなくてもよいのであればかなり難易度が下がります。スマートフォンのアプリやウェブサービスであればKeynoteのようなプレゼンテーションツールだけでもかなりのものができますし、センサやアクチュエータが必要となる場合でも、Arduino、konashi、MESHなど、さまざまなツールキットが活用できます。さらに、IoTやAIに関しても、利用場面を限定すれば短時間でプロトタイピングできるウェブサービスやツールが次々と登場しています。ここで、ハードウェアでのスケッチに関して重要な点があります。それは、あくまで自らの手を汚し、外注しないということです。
自らの手を汚すことが重要
以前の記事「テクノロジーの“辺境”(第3回)」の中で、ダイソンの創業者、James Dyson卿の言葉を引用しました。Dyson卿が主張したように、自分たちの手を動かし、実際に体験することが必要です。ここで、「もしかしたら上手くいかないかもしれない」「失敗したら大変だから」といって、外部のデザインファームに委託してはダメです。外部に委託する場合、通常は成果物を明確に定義し、それを納品してもらったうえで代金を支払うという契約になるでしょう。そうすると、発注の段階でできあがるものを明確に定義する必要が生じます。まだアイデアの段階で、自分たちでもよく分かっていないのに製作を外部に委託しようとすると、Buxtonの述べたスケッチの段階をすっ飛ばし、十分な探求がで来ていない状態でいきなりプロトタイプに進むことになってしまいます。さらに、委託先のクリエイティブに関するスキルが高い場合、実際には何の価値も生まないアイデアなのに、さも価値があるかのように勘違いさせる成果物ができあがってしまうことがあります。これは、社内の会議を通す上では有効かもしれませんが、それによって価値のないアイデアに莫大な投資を行うという判断を招いてしまったとしたら、その罪は非常に大きいでしょう。
性急に進めるのでなく、十分に探求するためには、自分たちの手を汚して進めることが重要です。それにより、柔軟に、いくつものアイデアを試すことができるでしょうし、上手くいかなかった場合にも自分たちで失敗を強く実感し、失敗から学ぶことなのです。
そうはいっても、自分たちの組織においてハードウェアスケッチのノウハウがまだ蓄積されていないなど、外部に頼らざるを得ない場合もあるでしょう。そうした場合には、発注の仕方を変えるとよいでしょう。具体的には、成果物を納品することでその対価を支払う契約でなく、一定期間だけ自分たちのプロジェクトに参加してもらってハードウェアスケッチをサポートしてもらい、その工数に対して対価を支払うのです。そうすることにより、発注の段階で仕様を決める必要はなくなりますし、つくってみて上手くいかなかった場合にも迅速に方向転換することができます。その過程で失敗したとしても、失うのが1〜2日程度であれば、その後での失敗と比較すればほぼ無視できる規模でしょう。この程度の工数であれば、本当は上手くいくかどうか分からないアイデアに対して、もっともらしいビジネスモデルや、右肩上がりのグラフを捏造したり、外部に発注するための仕様を作成する時間と変わらないか、むしろ少ないのではないでしょうか。
これが唯一、かつ完全な解というわけでは全くありませんが、有効な方法の一つとして紹介しておきます。
・新規事業創出においては、発散させたアイデアを適切に収斂させるのにくわえて、過去の延長線上にないアイデアを適切に評価し、発展させるのが難しい
・アイデアを適切に収斂にさせるには、マッピングと投票による議論が有効
・過去の延長線上にないアイデアを適切に評価し、発展させるには、ハードウェアによるスケッチが有効(ただし自ら手を汚すのが重要)
リファレンス
・Bill Buxton『Sketching User Experiences: getting the design right and the
right design』Morgan Kaufman(2007)
・Richard Banfield、C. Todd Lombardo、Trace Wax(著)、安藤 幸央、佐藤 伸哉(監訳)、牧野 聡(訳)『デザインスプリント—プロダクトを成功に導く短期集中実践ガイド』オライリー・ジャパン(2016年)
・Jake Knapp、John Zeratsky、Braden Kowitz(著)、櫻井 祐子(訳)『SPRINT 最速仕事術—あらゆる仕事がうまくいく最も合理的な方法』ダイヤモンド社(2017年)
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