岐阜イノベーション工房_2018-06-01

テクノロジーの“辺境”(第1回)

このシリーズは、2018年6月1日に岐阜県大垣市で開催した、新規事業創出を中心としたイノベーションに関するシンポジウム「岐阜イノベーション工房2018シンポジウム:テクノロジーの“辺境(フロンティア)”」での基調講演を基に再構成したものです。2018年6月4日(月)〜8日(金)の期間は毎日こちらの「マガジン」に連載していく予定です。

新規事業は“辺境”からはじまる

次の図は、企業などの組織における事業の見方を現したものです。中心の面積が大きな領域は、その組織が既に継続的な収益を得ている主流の事業で、人、物、金といった資源のほとんどはここに投入されます。それに対して、周縁に薄く描いた領域はその組織にとっての“辺境”で、多くの場合において新規事業はここからはじまります。

辺境というと、どこか否定的な印象を受けるかもしれません。例えば、自分たちの住む地域への大都市からのアクセスが不便な場合、やや自虐的に辺境と呼ぶ人々もいます。実際に、『日本国語大辞典』では「都から遠く離れたくにざかい。くにのはて。国境。」と定義されています。しかしながら、文芸的にはむしろ肯定的で、面白いことは辺境でこそ起きるとされています。また、英語で辺境に対応するfrontierには、国境地帯、未開拓の分野、最先端など複数の意味があります。これ以降、“辺境”という表現を用いるときには、ある組織にとっての境界であると同時に、未開拓で最先端の領域を指すこととします。

既存事業と新規事業の関係を考えるとき、次の図のように「出島」として表現されることがあります。出島とは、鎖国時代における貿易の窓口として江戸幕府がつくった人工島です。

しかしながら、新規事業を成功させ、やがて主流の事業へと育てていくためには、出島ではなく“辺境”であることが重要なのです。まず、出島のように隔離されているのではなく連続していることにより、主流の領域の良さを活かすことができます。また、辺境から主流に対して影響を与えやすくなります。さらに、次の図のように主流の領域の形とは異なる形に変形する、あるいはあえて少しずらすことにより、主流と“辺境”とのギャップから新しい動きを生み出すこともできるでしょう。

主流となる領域では、現在の主要な顧客の要求に応え、他の企業と激しく競争しながら現在の延長線上で改善を続けていく必要があるため、大きな変化を起こすのは困難です。これに対して“辺境”では、まだ事業として小さいために競合も少なく、外の人々とも関わりやすいため、新しい挑戦がやりやすい状況にあります。また、新しい顧客にとってはこの領域こそが企業の顔となる場合もあります。しかしながら、あくまで主流ではないため、活用できる人やお金などの資源が制限されているのが一般的です。

新しいことをやりやすい領域なのに資源が制約されているという状況において、新規事業を成功させるための鍵となるのが、“民主化”したテクノロジーを活用したイノベーションです。この考え方については後で詳しく紹介することにして、その前にイノベーションについてみていきましょう。

イノベーションという言葉は、対応する訳語がないこともあり、さまざまな人々がさまざまな定義で用いており、何を意味するのかを最初に定めないままに話を始めてしまうと、全然話が噛み合わないということがしばしば生じます。

これより、本題について述べる前に、イノベーションに関する誤解をいくつか取り上げ、それについて説明することを通じて理解を深めつつ、共通の認識を持ちたいと思います。ここで取り上げる誤解は、イノベーションとは技術革新である、イノベーションの成功確率は極めて低い、イノベーションは「斬新なアイデア」が最重要である、という3つです。これを読んで、「確かに誤解だよね」と思った方もいれば「え?イノベーションってそういうものじゃないの?」、あるいは「前から思ってたけど、そもそもイノベーションなんてカタカナ用語、胡散臭いよね…」という方もいらっしゃることでしょう。これより、順にみていきましょう。

誤解1:イノベーションとは技術革新である

イノベーションとは技術革新である、という誤解の起源と考えられるのは経済企画庁による昭和31年(1956年)度の経済白書です。この年の経済白書は「もはや戦後ではない」というフレーズで知られ、この中において次のように「技術革新(イノベーション)」という言葉が登場します。

世界景気の堅実な力強い発展の陰に潜む基礎的な動因は、大衆購買力の増加による耐久消費財の売れ行き増加と技術革新のための新投資の増大であろう。(中略)このような投資活動の原動力となる技術の進歩とは原子力の平和的利用とオートメイションによって代表される技術革新(イノベーション)である。

実際には、この少し後に「技術革新とはいうけれど、それは既にみたように、消費構造の変化まで含めた幅の広い過程である。」と述べ、技術革新という言葉が意味する範囲よりはもう少し広いことが説明されます。恐らく、イノベーションという言葉に対応する訳語がなかったため、苦心して検討した結果、技術革新という言葉が用いられたのでしょう(訳語がないのは現在も同じです)。

そもそも、このイノベーションという言葉を、いつ、誰が、どのような文脈で用いたのかをたどっていくと、Joseph A. Schumpeterという経済学者が約100年前に書いた『経済発展の理論』という本に行き着きます(初版は1912年、日本語訳された第2版は1926年)。この本の中においてSchumpeterは、経済を発展させる現象を成立させる要因として新結合という考え方に着目し、のちにイノベーションと言い換えました。この本は100年以上前に書かれたものであり、かつ難解であると言われることから、現代的な解釈を用いてSchumpeterが何を言おうとしていたのかをみていきたいと思います。

一橋大学イノベーション研究センターの研究者たちは、2017年に出版した『イノベーション・マネジメント入門 第2版』において、Schumpeterのイノベーションは次のような意味であると解釈しています。

シュンペーターは、イノベーションを、「新規の、もしくは、既存の知識、資源、設備などの新しい結合」と定義している(Schumpeter, 1934)。つまりイノベーションとは、知識や物、力を、従来とは異なったかたちで結合する「新結合」である。シュンペーターは、この新結合には次の5つがあると説明している。①まだ消費者に知られていない新しい商品や商品の新しい品質の開発、②未知の生産方法の開発(科学的発見に基づいていなくてもいいし、商品の新しい取り扱い方も含む)、③従来参加していなかった市場の開拓、④原料ないし半製品の新しい供給源の獲得、⑤新しい組織の実現。

このように、当初から技術革新よりも随分広い範囲をイノベーションと定義していたのです。さて、このイノベーションという考え方は、Schumpeterのあと、しばらくはそれほど注目されない時期が続きました。イノベーションにあらためて着目したのは、マネジメントの父とも呼ばれるPeter F. Druckerでした。Druckerはその代表作の一つ『現代の経営』(1954年)において、次のように述べています。

企業の目的は、それぞれの企業の外にある。事実、企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは顧客の創造である。(中略)企業の目的が顧客の創造であることから、企業には二つの基本的な機能が存在する。すなわち、マーケッティングとイノベーションである。(中略)第二の企業家的機能はイノベーションである。すなわち、より優れた、より経済的な財やサービスを創造することである。企業は、単に経済的な財やサービスを提供するだけでは十分ではない。より優れたものを創造し供給しなければならない。企業にとって、より大きなものに成長することは必ずしも必要ではない。しかし、常により優れたものに成長する必要はある。

Druckerは継続的にイノベーションを著作の中で取り上げ、『イノベーションと企業家精神』(1985年)においては、以下のように述べています。

イノベーションは技術に限らない。モノである必要さえない。それどころか社会に与える影響力において、新聞や保険をはじめとする社会的イノベーションに匹敵するものはない。

Druckerは、このあとに続けて社会的イノベーションの成功事例として日本を挙げ、江戸から明治に移行する際、技術的なイノベーションは模倣して資源を社会的イノベーションに集中することで他国による文化的な侵略を免れたと説明しています。

こうして、さまざまな人々がイノベーションの定義を更新していきました。最近の国際的な定義の例として、OECD(経済協力開発機構)が2005年に発表した『Oslo Manual』をみてみましょう。この中において、イノベーションは次のように定義されています。

新しい又は大幅に改善されたプロダクト(製品又はサービス)又はプロセスの導入,マーケティングに関する新しい方法の導入,若しくは業務慣行,職場組織又は外部関係に関する新しい組織の方法の導入。

このように、大きく分けてプロダクト、プロセス、マーケティング、組織の4つをイノベーションの範囲に含めているのです。いったんここまでをまとめると、以下のようになります。

・約100年前、シュンペーターは、経済を発展させる要因として「新規の、もしくは、既存の知識、資源、設備などの新結合」に着目し、後にイノベーションと呼んだ。・約60年前、ドラッカーは、企業の目的は顧客の創造であり、そのための基本的な機能としてマーケティングとイノベーション(より優れた、より経済的な財やサービスを創造すること)を位置付けた。・最近の国際的な定義では、新しい/大幅に改善されたプロダクト/プロセスの導入、マーケティングに関する新しい方法の導入、新しい組織の方法の導入などをイノベーションと位置付けている。

次回は、イノベーションの成功確率は極めて低い、という誤解についてみていきましょう。

リファレンス

・経済企画庁編『昭和31年度経済白書—日本経済の成長と近代化』至誠堂(1956年)
・Joseph A. Schumpeter(著)、塩野谷 祐一(訳)、東畑 精一(訳)、中山 伊知郎(訳)『経済発展の理論―企業者利潤・資本・信用・利子および景気の回転に関する一研究』(上・下)岩波文庫(1977年、原著は1912年と1926年)
・一橋大学イノベーション研究センター(編)『イノベーション・マネジメント入門 第2版』日本経済新聞出版社(2017年)
・Peter F. Drucker(著)、上田 惇生(訳)『現代の経営』ダイヤモンド社(2006年、原著は1954年)
・Peter F. Drucker(著)、上田 惇生(訳)『イノベーションと企業家精神』ダイヤモンド社(2006年、原著は1985年)
・OECD. Oslo Manual: Guidelines for Collecting and Interpreting Technological Innovation Data. 3rd ed. Paris: OECD, 2005. 文部科学省科学技術・学術政策研究所『第4回全国イノベーション調査統計報告』(2016年)の翻訳より引用

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