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#NFTアートのステートメント を考え始めてみようという会:第1回議事録

この記事は、2021年12月16日にTwitter Spacesで開催した会議の議事録です。


小林:2021年11月19日に開催したイベント「〈NFTアート〉の可能性と課題」で、高尾さんと加藤さんから話題を提供していただいたことにより、〈NFTアート〉に関わる人々が考えていることに触れることができました。そのイベントと前後して、乱暴に要約すると「〈NFTアート〉は詐欺なのでは」という言説を見かけるようになりました。今後、より多くの人が参加するようになると、様々なトラブルが起きてくることが予想されます。そうした時、せっかく盛り上がったシーンが十把一絡げに扱われることを避けるため、共同ステートメントを出すのはどうだろう?という素朴なアイデアを思いつきました。本日はこれについて話し合ってみたいと思います。

高瀬: 〈NFTアート〉と一口にいっても様々な形や課題がある中で、少しずつでも考え進めていかなければならないテーマだと思っています。

小林:こうしたステートメントを作ろうという動きは海外では既にありますか?

高瀬:自分の知る限りでは無いと思います。

高尾:国内外でジェネラティブアートをやっている人たちの中で、〈NFTアート〉に関してはやる人とやらない人に分断されている感じがあります。やらない人の中には、沈黙を貫いている人もいるし、投機的な状況や環境問題の側面を見て、自分はやらないと宣言している人もいます。

高瀬:やはりまだ、NFTに対する意義を見いだせていない方、NFTはまだやらないという反応の方も結構多いのではないでしょうか。

高尾:NFTとは、アーティストが「これは自分の作品です」ということを証明するものであって、所有権や著作権はないという認識が少しずつ広まってきたと思います。ただ、NFTを所有するということがどういうことなのかについては、自分のプロジェクトも現時点では未だ十分に示せていないと思っています。 

高瀬:その点については、 〈NFTアート〉を出す側の意味づけによって大きく変わってくると思います。NFTは、アーティストの活動に直接的支援を行うためのツールとして存在していて、NFTを受け取って対価を支払うというところで1対1の関係性をつくっています。アーティスト自身がいつ、どの作品に対して行ったという証明が存在していて、それを個人間で移動させることができるというところに新しさがあると思います。また、その移動の変遷がオープンになっているところも非常に面白いと思います。Generativemasksの様に1万点あると、コミュニティに参加する機能や、コミュニティの活動に賛同の意思を表明することにもなります。それ以外にも、デジタル空間上で遊べるアバターをもらえる場合には、自分が所有していることを証明できるなど、多様な機能をどんどん増やしていけます。その原始的な概念がNFTだと思うのです。

加藤:自分でも、所有権とか所有感というとよくないのでは、と最近思い始めています。何かを所有しているわけではないし、かといって、コミュニティへの参加権というのもよくない気がするんです。WAN NYAN WARSを始める時、ブロックチェーン上の記録に意味を与えることをプロジェクト全体でできないかと考えていました。所有権や参加権だと言い始めると、途端に詐欺っぽく聞こえるのではないでしょうか。

小林:確かに、所有権でも、参加権でもないと位置付けてしまえば、胡散臭さが一気に無くなるのかもしれませんね。

高瀬:ジェネラティブアートのようにNFTを多数発行する場合と、アーティストが1つだけ発行する場合ではニュアンスが異なるため、区別した方がいいかもしれません。メタバース上で自分が関わったプロジェクトの例でいえば、サービスを横断してトークンを移動することで展示して遊ぶ、特定のコンテンツにアクセスする機能を持たせる、といったことをしたことがあります。そうした場合には、所有ではなく、サービスを横断した形でコンテンツを活用できるトークンになるのではないかと思います。

小林:確かに、NFTの元の意味はnon-fungibleなtokenであり、それ以上でもそれ以下でもなく、煽り気味なものを引き剥がしてみれば、怪しげなものではないと言えそうですね。多数の場合と1対1の場合には違う、というのは所有のニュアンスが強くなるということですか?

高瀬:オンライン上で作品を譲ったというニュアンスが強くなります。このため例えば、オンライン上で展示できる権利を持つのがNFTの所有者なのか、アーティストなのかという問題が起きます。流通させている側も、明確に捉えきれないまま流通させていることが多いと思います。NFTを保有した側にどういうことが許されているかを言語化していくと、わかりやすくなるのではないでしょうか。多数ある場合と、1点だけの場合では、かなり感覚が違うと思います。

小林:Generativemasksはどちら側ですか?

高尾:多数の方だと思っています。

小林:多数だと思って主宰している側と、1対1だと思って購入した側の間に若干のズレがあるかもしれませんね。

高尾:なるほど、生成的に作っているとはいえ、ひとつひとつの固有性はあり、そこに価値を感じて販売したり購入したりという関係があるので、1対1×1万のように捉えている部分もあるかもしれません。

加藤:WAN NYAN WARSの場合には、物理アートをつくっているので1体ごとに愛着があり、1対1だと思います。個体ごとに、作りやすいものと作りにくいものがあることもありますが、これは作る側の感覚かもしれません。作りやすさとレア度の間に直接の相関があるとは限りません。例えば、クリアなものはレア度も高く、難易度も高いんです。しかしながら、耳の形や模様によっては、レア度は低いが難易度が高い、その逆で、レア度は高いが難易度は高いものが出てきます。

小林:ステートメントをつくろうとすると、一口に〈NFTアート〉といっても、どこまでを共通項とするのかが難しいですね。限定しすぎると狭くなりすぎてしまうし、限定しないとぼんやりしてしまうし…。

加藤:自分たちの心意気や態度を示す方法もあると思いますが、それだとふわっとしたものになってしまいそうですね…。

高瀬:〈NFTアート〉の面白さは定義できないところにあるように感じています。アーティストが予期しないことが起きる、というのは単体の物理絵画だとなかなか起きないと思います。そうした、未定義な部分も含めて楽しむためのツールでもあるのではないでしょうか。なんだかよくわからないというのが、NFTらしいというのと同義かもしれません。

小林:まだ何者かわからないものを楽しむつもりでやっている、というところは共通していると言えるのかもしれませんね。

加藤:楽しんでやっているのは確かにそうですが、実験だから自己責任で、で終わってしまうようなものでもないと思います。どの辺りに詐欺っぽさを感じるかというと、やはり所有権周りなんでしょうか?

高瀬:NFTだから高い、NFTだから値段がつく、NFTだから転売ができる、という単純な理解からもう少し進めば変わるかもしれません。悪意を持った人たちもゼロではないですが、詐欺だという言葉には多くの誤解が含まれているのではないでしょうか。例えば、法律上の所有権はNFTの譲渡では移転しないなど。

小林:所有権などを中心に、NFTとはこういうものだと認識している、ということをステートメントで示しておくのが一つの対策になるかもしれませんね。

加藤:あと、楽しむつもりで買ってくれた人に誠実に向き合うつもりです、ということも重要だと思います。

高瀬:作品自体の所有権や著作権と、NFTに対する所有権的なものが混同されていると思うので、そこは分離して説明する必要がありますね。

小林:ownershipに対応する日本語がないのも混乱につながる原因かもしれませんね。例えば、プロジェクトに対するownershipには、権利だけでなく責任も伴うことになるはずです。いずれにしても、作品に対するowenrshipではなく、NFTに対するownershipだということは明確にすべきですね。そうすることで、一番大きな誤解の源は整理できそうなので、その認識を示すことで、ミニマムなステートメントにできる気がします。

加藤:自分としては来歴も重要だと思っています。〈NFTアート〉の作品にどこまでを含めるべきかについてはいろいろな考え方があると思いますが…。だから、自分としてはWAN NYAN WARSの寄付アドレスは全く新しく作りましたし、そのアドレスの用途も厳密に考えています。

高尾:Generativemasksでは、バッジやシールのように、それを持っていることがコミュニティに愛着を持っていることの証しになるようなものを目指してやっているつもりですが、伝え方は難しいところもあります。自分としては、当初は投機的な側面も利用するハック的な気持ちだったところから、やっていく内にコミュニティが発生した瞬間に、1対1対1万のような関係に気付いて、作品をきちんと届けようという意識に変わってきました。プロジェクトをやっていく中で意識は変わるし、これからも変わると思います。

加藤:同感です。WAN NYAN WARSは構造の作品なので、1対1の関係は重視していなかったのですが、実際に売れて、人が見えてきて、100人近い人が持ってくれていることを実感して、1個1個の作品を丁寧に作って発送しようという気持ちになっています。

高尾:〈NFTアート〉と一括りにしてしまうけど、もしかしたら当事者にしか感じきれていない感覚や可能性があるのかもしれませんね。ただ、それを上手く伝えられていないのが私たちの課題かもしれません。

加藤:誠実に向き合うつもりだということをステートメントに盛り込めるといいかもしれませんね。最近、暗合資産系の人だけで構成された「日本メタバース協会」にVR系の人たちが反発するということがありました。それぞれがそれぞれのコミュニティをリスペクトした方がいいし、このタイミングでこちら側から出せたらいいなと。

高尾:プログラミングのコミュニティイベントで用いられている「ベルリン行動規範」というものがあり、そこでは他者を尊重する、ハラスメントは許さない、といったことを記しています。今作ろうとしているステートメントはそれに近いもので、誠実であるということを示すものになるのではないでしょうか。

小林:ここまでで共通して取り出せそうな点を考えると、作品そのものの所有権はない、誠実に向き合うつもりで取り組んでいる、の2点になるでしょうか?でも、そうするとNFTならではのところが入らなくなってしまう気がします。投機的というとネガティブに捉えられてしまいがちですが、必ずしもそうではないのではないでしょうか。限られたパイを奪い合うのでなく、新たに出てきたフロンティアに取り組んでいるのだ、ということを上手く示せたらいいのですが…。

加藤:確かに、ビットコインが批判された時にも、投機的な商品だという言い方をされたことがありましたね。

高瀬:でも、実際に海外のアートでバブル的に値段が上がる中で、作品を購入した後の売買を楽しむ人がいることは、批判されつつも受け入れられているという部分も多分にあると思います。作品と価格が結びつくことは普通だし、拒絶することでもないのではないでしょうか。だから、投機的な側面自体が正面から否定されなくてもよいと思います。ジェネラティブアートの人たちの場合でいえば、お金の流れが作品に対して生まれたことで、より創作に注力できる環境ができるなど、よい側面も多かったのではないかと思いますし。

小林:「投機」という言葉を辞書で引くと「相場変動の差益をねらう売買取引」「偶然の金もうけをねらう行為」など悪い意味もあります。が、「機会をうまくとらえること」など必ずしも悪い意味ではないものが先に出てきますし、元々は「禅宗で、修行者が仏祖の教えの要諦にかなって大悟すること」のような仏語だったとされています。投機には似ているが投機とは別の言葉、を見つけた方がいいのかもしれません。

加藤:〈NFTアート〉で面白いと思うのは藤幡正樹さんの《Brave New Commons》です。アーティストが作りたいものは、アートという問いでもあるけれど、結局のところの目標は公共物、コモンズになることだと捉え、最初は100万円の価格が、購入者が増えれば割り勘することで価格がどんどん安くなっていくという仕組みになっています。投機という側面と、アーティストの目標である「コモンズにしたい」というのが両立している気がします。ただ、ああしたことができるのは藤幡さんくらいしかいないのかもしれず、そうした部分はやはり投機的だと言えるのかもしれません。

小林:今日のこの時点で示せそうな共通点は「NFTをフロンティアと捉えている」「NFTに対する『所有権』はあるが、作品の所有権はないと認識している」「作品およびコミュニティと誠実に向き合うつもりで取り組んでいる」ということで、課題としては「否定的に捉えられがちな『投機的』に代わる言葉をみつける」になるでしょうか?

高瀬:流動性があって個人で譲渡可能なものであるということにより、結果的に売買できる市場ができているというのがNFTに付随する機能の一つだと思います。NFTに付帯させることのできる機能群は他にも沢山あり、その中で見えやすく、大衆からもわかりやすいのが投機的な側面だと思います。NFTは、スマートコントラクトによって実装されたもので、規格自体も日々成長しています。例えば、ロイヤリティの分配は、現在だとプラットフォーマー側にありますが、NFT自体に組み込もうという動きがあります。このように、機能自体がどんどん拡張しているのです。

加藤:流動性の部分は大きいと思います。普通の物理的なアート作品だと、届けるだけでも大変です。これに対して、NFTの場合にはリスティングするとすぐに売れたり、評価がどんどん変わっていくということがあり、それも機能の一つといえると思います。

小林:流動性は確かに魅力ですね。投機的というのは機能リストの中の一つに過ぎず、スマートコントラクトの魅力は他にも沢山あるのだ、と。他の機能の具体例を示せるといいかもしれませんね。

高瀬:コンピュータを用いた従来のアート作品の場合には、プログラムを実行できる環境がプラットフォームとして必要で、プラットフォームへのアクセスもAPIなどに限定されていました。NFTの場合には、情報を公に晒し続けているという状態が前提としてあり、NFTを譲渡することもできるし、紐付けたデータを持つこともできます。だから、作品の鑑賞体験を考える時にもパワフルに機能するのではないでしょうか。まだ抽象的かもしれませんが…。

小林:ひとまず、投機的な側面だけではないということを主張しつつ、一般の人でも理解しやすい例が出てきたら書き加えていく、というのも一つの方法かもしれませんね。

高瀬:最近取り組んでいる、新潟県長岡市の「山古志住民会議」は、NFTでデジタル住民票的なものを発行して関係人口を増やすことにより、経済的な営みを生み出そうという取り組みです。このNFTは、アーティストの作品として購入するという側面と、住民票的な機能としての側面と、両方の側面で購入しているということがあります。このように、アートと、そうでないものを混ぜられるというのも、NFTの機能リストに入るのではないでしょうか。

加藤:そのデジタル住民票は実際に使えるんですか?

高瀬:今すぐ住民票として使えるわけではないのですが、今後どうしていくかを考えているところです。現時点では、ある種のアクセス権的な概念として生み出そうとしつつ、付帯的な機能をどうやって実現するかを行政の人たちと議論しているところです。

加藤:言葉選びが難しそうですね…。

小林:確かに、ちょっと間違えると大きな誤解を生みそうですね。でもこれは、エストニアの「e-Residency」にも似ていて、エストニアのe-Residencyを持つことによって、日本という国から自由になったような感覚を得られるなど、いろいろありそうです。誤解を生みそうなところはありつつも、今までになかった側面を探求しているのが面白いと思います。

加藤:最初にブロックチェーンについて考え始めた時、ちょっとずついろんな国に参加できたら、と考えていました。エストニアのe-Residencyの場合と違うのは、その住民票を売ってしまえるということだと思います。そのコミュニティに属している人にとってみたら、見え方によっては嫌だと思うかもしれないし、自分もそうするかもしれないと思う人がいるかもしれません。それでも、自分がどこに属しているかを明確に表せるツールがこれまでにあったかというと、無かった気がしています。それがクリプトの一つの可能性で、流動性にもなるのかなと。感覚的に嫌だとか、詐欺だとかという話は、一見さんお断りとかに通じる、流動してしまう人たちとか物に対しての直感的な嫌悪感なのかもしれません。だから、投機的だという批判は、発行する側だけでなく、受け取る側に対しても問われるのではないでしょうか。

小林:関係人口という概念は、移住とは異なり、流動的であるからこそ生まれる新しい世界があるよね、というところを肯定的に捉えているものですね。こうしたことをうまく盛り込めるといいのかもしれませんね。

高瀬:e-Residencyは、どちらかというと経済活動にフォーカスしたものですが、オンラインにおいて、自分を定義してコントロールすることができるという状態をどうつくれるかが、ブロックチェーンの面白いところだと思います。NFTがアイデンティティーを確立するようなツールとして存在して、今のインターネットのIDと紐付いて、オンラインのものが一つの人格として動き出して行くまでの過渡期だと思っています。そのIDが自由な状態にある中に自分を構成する要素としてNFTがあるとも考えられます。仮想通貨のバブルによって増えた資産を再投資することで、自分のアイデンティティーを確立していくというプロセスを踏んでいるような感覚を覚えています。NFTにお金が流れていく中で、アーティスト側がどう自分のアートを表現してくれるのかに期待しています。広い解像度の中からNFTをとらえ、山古志のデジタル住民票のような可能性も届けられるといいなと思ってます。

小林:近づけば近づくほど簡単には言えなくなるかもしれませんが、この一時間で近づいてきた気がしますので、ぜひ議論を継続したいと思います。DiscordのサーバーとTwitterのSpacesを行き来しつつ、近いうちにドラフトをレビューできるよう進めていきたいと思います。本日はありがとうございました。

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