過去の記事の振り返り①
2022年末或いは2023年初に書いたであろう以下の記事を読み直すと、かつて私が考えた抱負の中でおそらく最も大切な抱負が書かれていた。
2023年という謎の(聖なる/正なる)区切りが同様に謎の(略)三ヶ月前に終わったところで何かこのことに集中して生きてみる。
(後日談として:そのように生きてみると、以下の文章が生じた)
「大事なことは、2022年は人に会いすぎたということ」
まずは量的に、2023年は人に会う機会が減った。それも大幅に減った。そしてまた会う相手も大幅に減った。つまりかつての私の希望は表面上達成された。
しかし2023年を振り返ると、人ともっと会うべきだったようにも思えてくる。それは11月あたりから続く身体の不調のその原因に引き篭もり生活があったように思えるからだ(2024年3月に様々な人と会うようになってから、驚くほど体調が改善した)。
かつての私はおそらく、他者に会うことで継続的に溜まっていく身体上の(精神的な)重さに耐えかねて、人になるべく会うまいと考えていた。そうしていつしか人と会わない生活が達成されるようになり、それまで私が強力に含み含まれていたはずの社会が変容し、私は会話の一切を不自然にしか行えなくなってしまっていた(私の会話を不自然と言い切るだけの21年間の蓄積が、まだハッキリとある)。
2023年の特に終盤は人に会わず、2024年の3月は沢山の人に会った。そうして確信したのは、私の身体の健康は多くの人に会うことで達成されるし、私の正気は多くの人と会うことで失われるということである。
「2023年以降はもっと泥のように生きたい、、。でも、理想は、毛布です。僕は毛布になりたい。毛布になって、洗濯カゴに無理矢理詰め込まれたい。」
2023年を振り返ってみても、私は確かに泥のように生きなかったし、勿論毛布のようにも生きなかった。そもそもこの文章が示す内容も、この文章がしている語りも、どちらも今現在の私がどちらかといえば避けたいことであるように思う。
今現在の私は自然物でいえば光を目指すし、織物には当てはまるものがなさそうだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?