鮒ずしが頭から離れない。
鮒ずしが頭から離れない。鮒ずし鮒ずし……。食べたことはない。聞いたことはあるけど、実際に目の前で見たことはない。それなのに私の頭を占める鮒ずし。ここ数日頭にある鮒ずし。うう~~無性に食べたくなってきた。癖がかなり強いと言う。匂いも強いという。何かに例えるとすればチーズみたいな味だと言う。そう言われると食べたい、無性に食べたい。チーズが好きなので色んなチーズの味を想像しては舌なめずり。発酵食品だし、現地に行かないと食べられないのかな。そう思っていた。ところが、それが叶う日が訪れた。それは急に訪れた。
数日前、夫が「これお土産」と言って買ってきた物があった。豆腐こんにゃく。「会社帰りに滋賀のアンテナショップ見つけてねえ、面白いから買ってみた」とのことだった。え? いま滋賀って言った? 滋賀って言ったよね? 買ったものの製造元を見る。たしかに滋賀県とある。そして、アンテナショップって言ったよね? 「アンテナショップあるの?」「あったよー。そういえば鮒ずしフェアとか書いてあったな」「鮒ずし!? フェアっていつまで!?」「見なかった」ガクーーーー。そこ重要! 期間重要! もしかしたら今日までだったかもしれないじゃん。鮒ずしを食べるチャンスがーーー。
夫が滋賀のアンテナショップに入ろうとしたのは訳があった。あるメディアで滋賀に住んでいる友人が鮒ずし愛を語る連載記事がスタートした。第1回は、琵琶湖のほとりにある琵琶湖博物館の学芸員に、博物館を通して琵琶湖の魅力を教えてもらう内容だった。それがとても熱い。滋賀に行ったことが無いが、その博物館に行きたくなった。鮒ずしを食べてみたくなった。そしてとても面白い話だったので、その記事を夫にも見せていた。それが頭にあったのだろう。滋賀のアンテナショップを見つけた夫は興味を持ったに違いない。
「真空パックで売ってたよ」だったら買ってきてよーーー。という言葉をぐっと飲み込み、「今度通ったら期間見てね」と一言だけ返した。
その次の日も、更に次の日も、なんのいたずらか行く機会は訪れなかった。それが今日急に行けることになった。夫と待ち合わせをして向かう。日本橋の交差点に立派な3階建ての建物があった。「ここ滋賀」と書いてある。ここだ。「ここ滋賀」とはそのアンテナショップの名前だ。ガラス張りになっていて、行ったのは夜だったが中はとても明るい。1階は天井が高く、空間を大事にした陳列、中央に冷蔵ケースがあった。その冷蔵ケースに「滋賀の冬の味覚 発酵フェア」と書かれていた。夫が言っていたフェアとはこれのことか。近くの店員さんに期間を聞くと「期間は特にありません。品切れしない限りいつでもあります」とのことだった。期間限定フェアじゃなかったのね、良かった。そう思いながら冷蔵ケースを見る。数種類の鮒ずしが並んでいた。おすすめを店員さんに聞く。「初めてならこれ。癖が強くても大丈夫ならこれ」わかりやすく説明してくれた。更には、雄と雌でも好みがわかれるとのこと。よくあるのは雌で、卵まで塩に漬け込むタイプ。雄だと卵を持っていないので、代わりにお腹の部分にチーズを入れたまろやかで食べやすいものもあるとのことだった。
癖の強いものも食べてみたいし、最初だから軽めの方がいいかなと考えあぐねていると、「そこのバーで試せますよ。ちょっと試したい時にいいですよ。2階にあるレストランでも食べ比べができますが、そこのバーではもっとサラッと試せてリーズナブルです」と助け船が入った。え? バーで鮒ずしもイートインできるの? 店員さんが示した方を見るとカウンターと椅子が並んでいた。「1年物と2年物があります」と聞いたら食べずにはいられない。真空パックを買って家で食べるつもりでいたが、その場で味わってみることにした。
バーにいた男性の店員さんが楽しそうに1年物は、2年物は……と説明してくれた。滋賀が大好きなんだなあと思われる話しぶりだった。1年物と2年物どっちにしようか、決められない。両方食べてみたい。食べ比べしたい。発酵してから1年違うとどう変わるのか知りたい。両方注文した。目の前に鮒ずしが3切ずつと飯(いい、一緒に漬け込んだご飯のこと)を盛ったお皿が2枚置かれた。ぱっと見でかなり違う。1年物より2年物は鮒の身がぎゅっと引き締まって、飯とともに粘り気を帯びている。飯の見た目が更に違いを増していた。2年物は飯がとても艶やかで、発酵しもっちりした見た目だ。見た目でこんなにも差が出るものなのか。食べてみる前からワクワクする。どっちから食べようか。迷った挙句、初の鮒ずし体験は2年物からにした。
匂いは……あれ? 特に強いものは感じない。それどころかちょっと乳酸の酸味を感じるものの無臭に近い。匂いが強烈と聞いていたので意外だった。そして一口食べてみる。
匂いのおとなしさとは違って、かなりの酸味を感じる。でも尖った酸味でなくまろやかだ。口中への強い刺激は無い。鮒自身は身がしっかりしており噛みしめて食べる感じだ。これは少しずつ味わうものだなと思った。鮒と飯を一緒に噛みしめると一体感を感じることができる。3口目になると噛むほどにこの酸味が日本酒を誘う。熱燗とちびちびやりたい衝動に駆られる。私はあまりお酒が飲めないが、それでも熱燗が欲しくなる。口中に広がった酸味と日本酒を合わせたら、まろやかな旨味になるだろうなと想像をかきたてられる。でも平日だからと、日本酒は今度の楽しみに取っておくことにした。
そんな余韻に浸りながらも水で口をスッキリさせて、今度は1年物のお皿に手を伸ばす。匂いを嗅ぐ。こちらは匂いにも酸味と魚の生臭みを少し感じた。飯の見た目は少しポロポロしたカッテージチーズの様だ。いざ、1年物の世界へ。
酸っぱい!! 1年物は2年物に比べ酸味に角が残っている。一緒に漬け込まれた飯はまだ芯に粒々感が残っていた。2年物のような一体感は無い。鮒と飯がまだ独立した感じだ。鮒の卵も、比べると2年物の方は凝縮していたのか小さくなっていたように思う。1年物は粒が大きく、卵の旨味が残っている。鮒の身もまだ柔らかさが残っているので食べやすい。いかにも青魚という風味がある。こちらは食べ進めるうちに熱々ごはんと一緒に食べたくなった。
2年物の角が取れた酸味と、もったりと全体がまとまった一体感が好みだったが、1年物のごはんに合う味わいも捨てがたい。食べ比べをしなかったらこの面白さは知ることができなかった。2年物が成熟した大人なら、1年物は社会に出たての青年だ。それほどに違う。そしてどちらも魅力的だ。
「ここ滋賀」HP
https://cocoshiga.jp/