フィリピン・セブでコロナに感染し、回復した話
フィリピン・セブでコロナに感染し、回復した(ということになっている)ので、その経緯や所感をまとめました。
フィリピンの事情は日本の事情とは異なるところも多いと思うので、現地でかかった人や情報を求める人の参考になればと思い、公開します。
【事前情報】
性別: 男性
年齢: 46歳
血液型: AB型
星座: 水瓶座
健康状態: 喘息とアレルギーの既往症があるものの、ここ数年は発作などもなく良好
飲酒: 大好き♥
喫煙: 周囲は吸う人が多いものの、本人は喫煙歴なし
【経緯】
1日目
頭痛、発熱、咳などの症状が出始める。
味覚障害はなかったので、コロナかな、風邪かな?くらいの認識だった。
2日目
倦怠感がすごい。そして、意識障害が起こる。
貧血が起きたのかと思っていたが、あとで調べて、コロナの症状の代表的な症状の1つに意識障害があることを知った。
救急車を呼んでもらったものの、夜のため、病院で診察を受けられず、タクシーに乗り替えて帰宅。
6日目
喘息の発作の兆候を感じたため、再度、救急車を要請するものの、2時間経っても捕まらず。ツラい。代わりにタクシーを捕まえ、先日と同じ病院へ。
喘息の処置をしてもらったあと、強制的にPCR検査を受けさせられる(有料)。
7日目
PCR検査の結果が出て陽性となる。
市から電話がかかってきて、14日間の自宅隔離を言い渡される。
夕方に市の職員が訪問するとのこと。
夜、バランガイの職員が訪問してきて、市の方針と処置を伝えられる。
その最中にも気を失う。
隔離期間中は部屋からの外出禁止。
食事はfood pandaで食事を注文し、コンドミニアムのスタッフに部屋まで運んでもらって受け取り。
もしくは友人に買い物をお願いして配達してもらっていた。
22日目
前日で隔離期間が終了したので、次にどうなるのか、確認のSMSを送るが、返信はなし。
23日目
朝、突然、市から連絡があり、隔離期間を経過したということで、抗体検査(無料)を実施することになる。コンドミニアムにバンが迎えに来て、検査場へ連れて行かれる。
検査場は、空き地にテントを張ったような場所にあり、医師と助手みたいな人たちがいて、血液を抜かれた。
頭から消毒液をかけられて、バンでコンドミニアムまで送ってもらう。
結果が出るまで再び隔離。
25日目
抗体検査の結果、Igm=positive, Igg=positive, active stageとなり、さらに7日間の隔離延長となる。
32日目
7日間の追加隔離期間終了。なお、特に所轄機関からの連絡はない。
晴れて自由の身に。
【所感】
思いつくところを箇条書きにしました。
・普段、風邪を引いても、鼻風邪が多く、熱が出ることは稀だったため、初期症状で嫌な予感はしていた。女性は生理があるから普段から意識しているかもしれないが、男性も普段の健康状態を意識しておくことはとても重要。
・1週目から10日間くらいの間の体の倦怠感はヤバい。どのくらいヤバいかというと、シャワー浴びていたら、だるくなって、腕が上がらなくなったり、しゃがみこんでしまったりした。それから、ちょうどパソコンが壊れてしまったのだが、買い替え候補を探す気にすらなれなかった。これは比較的早く治まったのでよかった。
・意識障害は、貧血とは違うふらつきや気が遠くなる感じがあって、トイレに行ったりするのも怖かったが、これも早く治まった。
・ここ数年、喘息の発作が出ていないこともあり、吸入の薬が切れていた。既往症持ちの人は定期的に常備薬をアップデートすると、いざというときにも安心。
・フィリピン・セブでは、すでに医療崩壊が現実のものとなっていて、病院に入院したりすることは難しい。そんな中で、少しでも喘息の治療を受けられたのはラッキーだった。特に夜と土日は病院のスタッフが限られるため、何かあるなら普段よりも早めの行動が望ましい。できれば、保険会社などを使って、事前に状況の確認を。
・Japanese Help Deskに連絡したものの、病院はどこも受け入れできないだろうということで、動いてもらえなかった。私は加入している保険会社に対応可能な病院を探してもらった。
・私の場合、主だった症状は咳だったため、コロナの症状という感覚はなかった。最初の1週間くらいはだるかったけど、それが過ぎたあとはずっと咳。喘息の発作が起きているという認識だった。持病がない場合、どうなるのかはわからない。
・私のように既往症がある人は早めにワクチンを打つのがいいと思う。残念なことに、私はワクチン接種の待機中だった。
・食欲はかなり減退した。特に最初の1週間は何も食べる気にならないので、ポカリとかがあるとよい。あとはバナナ。食欲が戻ってきたらカレー。ハンバーガーは重い。
・友人は大切。海外で一人で暮らしている人には友人を持つことをすすめる。日本人でなければならないということではなく、頼れる人を。
・今のところ、コロナの後遺症は特になし。ただ、咳はまだ完全には治まっていない。自分がスーパー・スプレッダにならないように、マスク着用については、さらに気をつけている。
・市やバランガイの対応は思ったよりもしっかりしていて、病院との連携などもうまくできているようだった。報連相や自主的な協調は一般的にフィリピン人が苦手としている分野である。それだけコロナに対する危機感が強いのだろうと思う。一方、抗体検査の連絡などは当日の朝に来て、このあたりは相変わらずだった。人は急には変わらない。
【最後に】
私の場合、3週間程度で回復することができました。これについては、既往症の有無や個体差による違いがあると思います。
フィリピンは2020年3月からロックダウンとなり、今もその措置が続いています。
そのため、私は2019年の秋に日本に帰国して以来、帰国できていません。
状況が少しでも落ち着いて、また日本と海外を自由に行き来できる日が来ることを願っています。
追伸:
指先を挟んで血中酸素濃度を測る機器、喘息用に欲しい。