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第一回 香川のうどん

  今日は昨日より空が高い。スースー服の下を冷たい風が走って気持ちがいい。いよいよ秋か、それか私が朝の空気を知らないだけだろうか。高知へ行く途中、私たちは車で香川にうどんを食べに寄った。

  訪れたのはまんのう町にある三嶋製麺所。家のような倉庫のような見た目で看板も暖簾もないため、まず初めてなら迷ってしまうだろう。店内は客席よりも麺を打つ作業場の方が広い。外の自販機の赤が田んぼしかないこの地に一層映えている。去年の冬にアルバム制作のため香川で籠った際色々な店を回って昼も夜も、朝でさえうどんを食べたのだが、ここの味には感動して二度訪れた。

  ここは出汁がなく、醤油をかけて食べるやり方だ。そしてお好みで卵、店の前の畑で収穫しているというネギ、粗挽き唐辛子をかける。
久々に行くと原料の値上げに伴って値上げしていたが、それでも小は180円だ。普段街中でうどんを食べる人には不安になる安さだが味は保証する。

  私は温かい麺の小を頼み、店内をぼうっと見渡した。一面色褪せた青緑色の壁、厨房で若い女性と話す80くらいの女性は黄色いニット帽を被っていて半袖Tシャツの上からエプロンをつけている。麺を打って茹でるのはこの二人なのだろう。右上にはおそらく去年から出しっぱなしのクリスマスリースと懐かしいベリベリちぎってめくるタイプの大きなカレンダーがかけてある、おばあちゃん家か親戚の家に来たような不思議な感覚だ。天井の隅のテレビはニュースを映しているが誰も見ていない。

  他の客が来たので外に出ると、綺麗な藍色の和装をしたお爺さんが座っていた。よく見ると見覚えのある顔だった。その人はなんと先に言った香川で籠ったときに世話になった民宿のご主人だったのである。”すごい偶然だ”と思い声をかけると「ええ、そんなことがあるんだね」と喜んでくれた。泊まった時もいつも不自由ないか気にかけてくれて、付近のうどん屋やおすすめの温泉を教えてくれた親切な人だったが、今回も「香川で何をするんだ」と聞かれたので、「いや今回はうどんを食べに寄ったっきりでこの後はそのまま高知へ行くんです」というと残念そうに近くの川でラフティングができることを教えてくれた。(以前孫としたらしい。)ご主人は山の上であった祭りの帰りだそうで、確かに足元は動きやすそうなスニーカーだった。間も無く段ボールに並べた打ち立ての10玉を両腕に抱えて「それじゃあ楽しんで」と家に帰っていかれた。孫や家族と食べるのか、それとも民宿に来ているお客に振る舞うのかもしれない。

  そうこうしているうちにようやく私たちのも到着した。まず薬味をかけて卵をおとし醤油をくるっとひと回し。ここの醤油は濃いのでかけすぎに注意。温かくもちもちした麺が卵とよく混ざる、麺は新鮮そのもの、コシはあるがしなやかでいてふわっふわなのだ。醤油は麺の旨さを直に味わうことができる塩加減で、ピリッと辛い粗挽き唐辛子と卵の相性も恐ろしい。この食べ方は麺が美味しくなければできない。

  そして食べてる最中、店の人がサービスですだちを出してくれた。ちょうど季節だったようで運がよかった。普段すだちなんかどれも同じだと思っている身だがこれは大変美味しかった。もしかしたらこれも畑で育てているものだろうか、と考えると余計にうまく感じられた。だが味変を楽しむには小は小さすぎたな…もっと食べれたのに…と思い少し後悔が残ったので次来る時は二玉にする予定。なんにしても、うどんも相変わらず素晴らしく思いがけない再会もあり、滞在時間は実に20分ほどだったと思うがとても満ちたりた時間を過ごすことができた。

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