柿の天ぷら

 柿の天ぷらを人生で初めて食べた。海の牡蠣ではない、山の柿。小さい頃に法事でおばあちゃん家に行くとよく剥いて出してくれた記憶がある。秋のフルーツといえば、もっぱら梨かりんご、柿なんて年寄りが食べるものだと思っていた。それに、「ごめんなあ、まだあんまり熟れてないねん」と言って出してくれる柿は確かにシャキシャキしていて甘くなかった。もはや煎餅みたいに硬いのもあってハズレを引いた気分だった。それでもちょっと楽しかったのは、ティッシュに避けておいた大きな種をみんなに内緒で庭に植えて見ることだった。
 まあ毎年やってはいたものの、柿の木がなったことはなかったし、間違えて飲み込んでも、腹から柿の木が生えることもなかった。それに大抵、飢えた本人も大晦日にまた集まる頃にはすっかり忘れていた。おじいちゃんも、まさか庭の松の木のそばに何十粒と柿の種が埋まっていたとは知らなかっただろう。


 こんなことを高知人が集う居酒屋で、目の前にデカデカと運ばれた鰹の藁焼きに友人らが釘付けの中、私は壁に貼ってある手書きのメニューをみて思い出していた。
 柿の天ぷら。
 柿なんていつから食べてないだろう。おばあちゃん家に行かなくなってからずっと食べてないような気がする。ましてや柿を天ぷらにするなんて聞いたことがない。土地の料理みたいなものだろうか。気になる気持ちを私は抑えきれなかった。

 出てくるのを待っている間、友人に勧められて呑んだ船中八策という酒が美味しかった。私は辛口の日本酒を飲むと必ずくしゃみがでる。くしゃみが出てしまうほどの辛口が好きなのだ。大変好みの味だったので土産に買って帰ろうとしたが、寄った土産物屋には残念ながら置いてなかった。メヒカリの唐揚げやウツボのたたきなどをあてにそれを愉しむ。去年の高知旅行も楽しかったな。

 いよいよ揚げたての柿の天ぷらが運ばれてきた。天ぷらは何でも塩で食べるのが好き。皿の隅に乗った塩をみて思わず味を想像してよだれがでた。まずは、何もつけずにいただく。衣は素揚げに近い薄さでサクサクしており、主張は控えめで品がある。中の柿はあの特有の熟した時のねっとり感はなく、トロっとしていて凝縮された甘味がジュワッと広がる。美味しい。塩をつけて食べるとより本来の甘味が引き立ち、火を通した柿がこんなに美味しいものだとは知らなかった。これはまさに天ぷらじゃないと出会えなかっただろう。確か、美味しさのあまり二度頼んだ気がする。しかし、ここらの人はおばあちゃん家で柿の天ぷらが出てきたりするものなのだろうか。それなら羨ましい。高知に友人らと来るのはこれが3回目だが、来るたびに美味しいものが見つかる。また空が高くなる頃、食べにきたいと思う。  


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