第二回 トルコの話
昨年十一月に一週間トルコとローマへ行った。大きなトラブルもなく上海での乗り継ぎを含め丸一日の大移動の末、我々はイスタンブールにたどり着いた。ヨーロッパと西アジアに跨るこの地は、全く知らない風景の中でなぜか時々私を懐かしい気持ちにさせた。白壁にオレンジ屋根、急な坂をせっせと登ったと思えば下り坂、また坂。そこへ斜めに伸びるアパルトメント、行き交う黄色いタクシー、そこら中に猫、海を越える青いトラム、そして赤と白が旗めく大きな船。屋台もちらほらあって、一度Tuesday bazarという蚤の市に行った帰りに焼きとうもろこしを食べたが大きくて甘くて美味しかった。市場で買ってきた、音が出るのか怪しいレコードにカセット、食器、いっぱいの指輪を小脇に抱えて。
そう、ご存知の方もいるかもしれないがトルコは猫の国だった。野良にしては皆艶のある毛並みで、美しく愛らしい顔立ちをしており、撫でようと手を伸ばすと、目を細め顎をツンとあげて待っている。愛されることが当然のことだとわかっているらしい。カフェ、本屋、洋服屋、絨毯売りでさえ、餌とダンボール箱を店先に置いており、服を見ていたらいつの間にか足元に猫がいたなんてことが度々あった。それでも誰も注意しないし誰も嫌な顔をしない。自分が猫であるなら、トルコでのんびり野良をやるのも良いと思った。
この頃は鼻先が赤くなるほど寒かったのもあって度々休憩がてらカフェに寄った。ターキッシュコーヒー、これは滞在中数えきれないほど飲んだ。小さいカップに入っているからと言って間違ってもエスプレッソのように飲んではいけない。上澄だけをそろそろ啜るように飲む。そうしないと底にどろっと固まった粉が喉を襲うからだ。作り方も面白い。まず大きな窯で、大量のサラサラな砂を高温で熱する。豆は小麦粉くらい細かく挽くのがポイントで、それをジャズべと言われる長い柄杓のついた銅の小鍋に入れる。そこに水を少量入れ沸騰したらカップに注ぐ。これを何度か繰り返す。この時、ジャズべを砂の中に埋め円を書くように混ぜて沸騰させるので、あたかも砂の中からコーヒーがぶくぶく湧いて出るように見えて面白いのだ。まったく、やはりトルコ人はパフォーマンス仕立てが好きな人たちだ、と思った。かなり苦めだと聞いていたが、確かに濃くまったりとした味わいで、口当たりのなめらかさと舌の上にざらっと乗る苦みのバランスがとても良い。そしてこれと一緒に食べるのがターキッシュデライト。注文せずとも毎回コーヒーの横についてくる。デライトとはお菓子の名前で、サイコロサイズで甘くもちもちしており、日本でもこういうのあったよなあと思いながら食べたが、しっくりくる例えはまだ思いついていない。味は様々で、ピスタチオやヘーゼルナッツ、チョコが入ったものが大変美味しく、甘すぎなくてコーヒーとよく合う。これを食べたいがために何度かコーヒーをおかわりした。実家にと老舗店らしき場所で高級そうな赤い缶に入ったのを買ってみたが、ローズやバニラのようなフレーバーだらけで入浴剤のようなヘンテコな味だった。帰りに空港で買ったものの方がわたしがまさに何度も食べた味でとても美味しかったので、なんともいえない気分になった。
またトルコで見かけた人々は皆親切でマナーが良かった。電車が混み合うと乗車口付近にいる人間が、奥の人に詰めてやれやら、ここは満杯だから向こうに回れやら、常に自然な会話があって無言でぎゅうぎゅう押し込んだりしない。切符の買い方がわからなくて困っていた時、近づいてきてあれこれ隣で捲し立てる男を最後までスリだと思って警戒していたがただただ親切に教えてくれていただけということもあった。遠い地で言葉もわからない中助けてくれようとする人が多い、優しい国でした。行く前せっかくありがとうの意味のテシュクレを覚えていったのに、ほとんどセンキューで済ませたことを唯一後悔しているので、またトルコ語でありがとうを言いに行こうと思う。