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021 武甲山について

皆さんこんにちはコバチバです。

今回は久しぶりに登山をしたので、その事を記事にしたいと思います。

武甲山とは

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埼玉県の秩父地方にある山で、標高は1,304メートル。日本二百名山の1つに数えられています。

古代日本の英雄、日本武尊(ヤマトタケル)が当時支配地域ではなかった関東地方への東征の成功を祈って山頂に具や冑(かっちゅう)をに納めた伝説から江戸時代頃に武甲山と呼ばれるようになったとされています。  

そんな武甲山がどんな姿をしているか写真をお見せすると

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手前の上部分が削れて、山肌が丸見えです。なぜこのような姿になってしまったのでしょうか?歴史的観点から紐解いてみましょう。



セメント(石灰)と秩父

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(写真は武甲山より撮影した秩父市街地)

秩父地方は山に囲まれた地形から田畑の開墾が難しく江戸時代頃に貨幣経済の浸透もあり養蚕業が栄え、秩父織物で有名でした。  

そんな秩父で大正時代の調査により、武甲山から産出される石灰でのセメント製造が始まりました。石灰などの運搬のため鉄道が敷かれ、徐々にセメントの生産量が増え、多くの人が移住するようになりました。
戦後の高度経済成長により道路の建設が進み、セメントの需要と生産量も大幅に拡大しました。


しかし秩父のセメント産業の発展により、武甲山の山容は大きく変貌しました。それまで豊かな緑に覆われていた武甲山は、石灰の採掘が進み山肌を剥ぎ取られて白い岩肌を露出し、寒々しい姿をさらすようになりました。1336メートルあった標高も1304メートルになってしま今の姿に変わってしまいました。

日本でも珍しい人の手で標高が縮んでしまった山が武甲山です。

登山の帰りに乗ったタクシーの運転手さんの話によると武甲山のあまりの変貌していく姿にかつて様々な団体が抗議しましたが、当時の秩父の人の半分以上はセメント産業もしくは関係する会社で働いているため、石灰の採掘を辞めることは出来ず、反対する声は無くなっていったそうです。秩父とセメントは切っても切り離せない関係と話していました。

ちなみに後50年は採掘できるそうです。その時武甲山はどんな姿に変わっているのか...



登山としての武甲山

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秩父側(表側)から見ると山肌が剥き出しの武甲山ですが、裏側はあまり採掘されておらず、山道が整備され頂上にはヤマトタケルを祀る御嶽神社が鎮座しています。
登山口から頂上までおよそ2時間程度で登れます。
御嶽神社裏側の山頂から見る秩父の景色が良かったです。

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表側の姿からは想像できない、川、木々、木漏れ日が綺麗な山道でした。



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ちなみに山道入り口にあるカフェLOGMOG(写真参照)で帰りに休憩をしたのですが、鹿肉トースト(500円)が美味しかったです!是非登山される方はお立ち寄り下さい。ヤギに餌やりもできます。

年に一度はどこかに登山しようと思っていますので、来年はどこへ行こうか気長に決めようと思います。



最後まで読んでくださった方ありがとうございました。

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