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ンゴのメンタル疾患認識論

ンゴ(珊瑚)です!風邪がぶり返していて、ちょっとやることがなかったのと、気になっていたことをメモにして書きました。気づいたら2000文字超えてた、暇なん?暇です。

ンゴの精神医学メモ

前提
DIDの原因である解離の4大因子(四因子論)を言われだしたのが1984年(S59)と39年前、半世紀にもなってない訳なんだけれどそれ以前にも「ヒステリー」とという病識として「解離(乖離)」は発露はしていた。ただそれは多分健忘とか遁走とか運動障害だったんだろうなぁ、と。

解離性同一性障害(DID)は現代病か?
推察としてあげるのであれば「否」である。
何故ならば人間とストレス環境(四因子論)は切っても切り離せないからである。
リチャード・クラフト(以下クラフト氏)が提唱した四因子論の内容はこう。(引用元:Wikipedia『クラフトの四因子論』)※DSM-5では変わってると思うンゴ。

① 解離能力・催眠感受性
② 子どもの自我の適応能力を上回るような生活史上の外傷体験
③ 解離性防衛の形態を決定し、病態を形成するような影響力と素因
④ 重要な他者が、刺激からの保護と立ち直り体験を与え損ねたこと(他者からのメンタル・マネジメントの不足)

1に関しては最後に書くとして、②~④は比較的にわかりやすいと思う。簡単に言えば「幼少期からのトラウマ体験」、「トラウマからの回避行動」、「回避行動後の周囲からの理解不足」である。

②に関してはみなさん存じ上げている通り
・虐待経験(性的・精神的・肉体的・現代では教育虐待含む)
・家族外、第三者からの虐待(いわゆるいじめ、部落間差別など)
・家庭内での不和 などなど。
渡ってはいけないけれど多岐にわたっている。

ではこのような問題は「現代病」たるものか?
否、昔からあった問題である。
日本においては特に「長男文化」、すなわち直系の男児に対する優遇期間が長かったため、それ以降の子息子女は冷遇されてきたというのは歴史が長いこと語り続けている。
インターネットでまことしやかに囁かれている、某県で続いていたとされている因習に「おじろく・おばさ」というものがある。実際にWikipediaにもこの文化について述べている記述がある。以下、Wikipedia『神原村』項目内"おじろく・おばさ"より抜粋。

旧天龍村地域のみに「おじろく、おばさ制度」と呼ばれる特殊な家族制度があった。16〜17世紀頃には存在したという。
この制度の下では、長兄のみが社会生活を営み、それ以下の弟妹はおじろく(男)・おばさ(女)として村社会から隔離され、家庭内の労働力としてのみ人生を送る。中流以上の家庭に多かったという。
彼らは結婚・交際をせず、村祭りなどの行事にも参加しなかった。声をかければ会釈くらいはするが、基本的に無気力で人嫌い。家庭内での地位は下男・下女扱いであったが、幼少期から特別虐待されるわけでもなく、むしろ労働力として重宝がられていた。
彼らの性格が分裂病(今で言う統合失調症)に似た症状であるとして面接を行った精神科医の近藤廉治は、「青春期の疎外が作った人格であり、分裂症とは言えない」と結論づけている[1]。

下線部を注目すると、現代文化・現代論で言えば「長男以下は結婚とかお祭りの参加は基本無しでお家の為に働いてね」「でもこれは虐待じゃないよ、むしろ労働力としてありがて~よ😭」

倫理観バグってんのか?????という風習ではあるが、食うにも困る1500年代~1600年代、戦国時代と呼ばれる時代には労働力として子供は欲しいけどその為の食糧がないんだよなぁという時代ではあったのだろう。何が恐ろしいってこの制度が白黒写真で残っている、らしい。
いまほど鮮明ではないとは言え1960年代からは写真がカラー印刷が主流になっていたことを考えると少なくともWW2戦直後近くまではこの因習が存在した、また、この因襲を受けていた世代が存命の可能性がある。こう見るとめっちゃ近代まであった風習である。
そして最後に書かれている近藤康治氏著『開放病棟―精神科医の苦闘―』(合同出版)、これは1975年発刊のものである。

「四因子論」がクラフト氏により提唱されるより前の発刊である。
つまり、そもそも人の脳みそが「環境要因によって破壊・ないしは分裂する」という考えが精神医学界に正式に提唱される前であるため、この因習・制度が現代においては子どもの自我の適応能力を上回るような生活史上の外傷体験と呼べる体験は精神分裂病ではない。
ただもう少し注目すべきは最後の一文である。

「青春期の疎外が作った人格であり、分裂症とは言えない」と結論づけている[1]。

矛盾してね?という事である。
人格形成は一般論であれば3歳~10歳までの期間に形成される。エリクソンによる発達段階における「幼児初期・後期~児童期」である。
幼児初期における心理的課題は「自律性 対 恥、疑惑」ようは「自分で考えて行動をする"意思"が必要ですよ、その行動に伴って発生する恥やその行動が正しいものか判断することが課題ですよ」。後期の心理課題は「積極性 対 罪悪感」、「"目的"をもって積極的に行動するか、"目的"のために罪悪感をもって行動するか」(罪悪感の形成?)
児童期における心理的課題は「勤勉性 対 劣等感」、「他者と比較して自分はどうか?("有能であるか?")と考える」こと。
近藤氏は「青春期における~」と述べている。青春期とは青年期と同義語である(Goo辞書引用)ため、心理学的にも同義と考えると青年期における発達段階は以下の通りである。

13~19歳(年齢) 心理的課題は「同一性 対 同一性の拡散」、「自分は誰でいられるか?」が目的とする時期である。

とするのであれば、近藤氏の記述している"「青春期の疎外が作った人格であり、分裂症とは言えない」と結論づけている。"

これ、基本的な人格(生まれた時の人格)から解離を起こしていないか?とンゴは考えた。何故ならば「青春期の疎外が作った人格」は、「外的要因によって」「その場の環境に適した」人格を「幼少以後に」形成しているからである。

疲れたので今日はここまでンゴ
定期的にこういうの出していきます...ヽ( ´_つ`)ノ 
暇なん?

珊瑚🪸

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