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自分フィルターを外して子どもの可愛い顔を見る幸せに気がついてよかった

こんにちは、キズキです。


すっかり寒くなりましたが日中は過ごしやすく公園日和♡


毎週末は大きな公園に行き子どもたちの遊ぶ姿を見ることに幸せを感じています🍀


今日は子どもたちの楽しそうな可愛い顔を見ることに以前は違った視点で見ていたなと

ふと思ったことを書いていきます



子どもを公園に連れていく理由



以前の私が子供と公園に行く理由は


  • 公園に連れていくのはみんながやっていること

  • 公園で遊ぶ姿をSNSで見ては羨ましいと感じていた

  • 親として子どもの思い出を作ってあげなくてはいけないと使命感から


以上3つが大きく理由。


もちろん表向きは


【子どもの可愛く遊んでいる姿を見たい】



子どもを「公園に連れていく」と表現したのもその理由。


本来子どもと『公園に遊びにいく』が正解なのでは?と思ってます。


子どもの存在は自分を肯定させる存在であったのかも?


こんなことを過去の私に伝えたらきっと反発するだろうと思いますが今だからこそ思っています。


こうでなくてはいけない

周りがやっているから私もしなくていけない

他人との比較から優越感にひたりたかった

周りからすごいと思われたい

羨ましいと思われたい


常々考えていたんです・・・



他人軸で生きてきた証


他者比較と向き合って

とんでもなく他者比較癖があると気づき、
改めて言語として残すことに少し躊躇してます


過去に感じたことを例にあげると…


子どもがまだねんね期(0か月~4か月くらい?)

早く公園や支援センターなどに連れて行きたくて少し前を歩いているひとが羨ましい

公園にいける年齢になれば第2子を連れている人や妊婦さんが羨ましい


自分にできない行動ができること、
自分にないものを持っていることに


比較して嫉妬していました。



とことん欲張りで他人と比べることで満足感を感じる感覚は


満たされることなく過ごしていたと…


過去に書いたこの記事でも話してます。


子どもと公園で遊ぶ理由


究極の他者比較癖と向き合い昇華させた
【今】改めて子どもと公園で遊ぶ理由は


  • 私が公園に行って自然に触れたい

  • 楽しく遊んでいる無邪気な姿を私が見たい

  • 子どもの笑顔を見ることが私の一番の幸せを感じる瞬間であること


「私が行きたいから」の理由に変わりました。


他人からどう見られたいか?や羨ましがられたいの感情がすごく小さくなっていること


(完全になくなる訳ではありません(-_-;)人間なので・・・)


それもそれでいい、


と思えるのは


他者比較癖が出たときに自分の心と会話できるようになったから


  • なぜ、羨ましいと思ったのか?

  • 自分はどう見られたいと思っていたのか?

  • 羨ましがられるにはどうしたらいいのか?

  • どう見られていたら満足できるのか?

  • それを知ることができるのか?(見ず知らずの人しかいない公園で)

  • 自分を客観的に見たら自分自身はどう思うのか?

  • 羨ましがられてなくてもしたいことなのか?

これらを考えるようになってから、

私は私


と一線おけるように


他人からこう見られているであろう姿は
私自身の予想の範囲にすぎない。


公園で知る人はその場限りであったり
その時だけの姿を見た印象のみ



もう一つ楽になった考え方は

自分がこう見られたいと思う姿が思い描けるならそのように振舞えばいい。


と行動に移すことができるようになりました♪



HSS型HSPを知ったことで

大きく考え方を変えるキッカケが多いです


私は他の人をよく見る観察癖がある

ファッションや会話、振舞いなど気にならなくても目や耳に入ってくる

その感覚は少し特殊で私と同じように思う人はいるかもしれないけどごく稀


と学んでから


周りの目を気にするのはバカバカしいと感じるようになり


子どもの楽しそうな笑顔
自然豊かな景色
良いお天気
ワーワーキャーキャーする周りの音


私自身が感じたいので公園に遊びに行くことがとても幸せに変わりました。


『幸せそうに見せたいから公園に行く』のではなく・・・です


書いていてもとても大きな変化だな~


と自分を褒めています。


さいごまでご覧いただきありがとうございます。


幸せのおすそわけができることに心より感謝いたします。
これを見ていただける方に幸せが届きますように🍀





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