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『マジメすぎ』に嫌悪感を抱くHSS型HSPの本音


こんにちは、キズキです。
今日はよく言われることが多い
『マジメすぎ』について綴ります。

『まじめすぎ』と言われて嫌悪感を抱くのは・・

あくまでわたしの場合ですが、
実は、まじめではなくまじめを装っているから。


そして「まじめ」の感覚が
自分の感覚しか知らないから。

これを言ってしまうと性格が悪いのを
暴露しているようですごく忍びない感情です。



HSS型HSPは「まじめ」です。

失敗した過去がずっと忘れられないくらい
恥ずかしくて、異常に失敗を恐れて
二度と失敗したくないから、
対策するのが得意。


対策だらけの行動を一般的には
「まじめ」というのだろう・・と


この考えに落ち着いてます。


まじめなのは二度と同じ失敗しないため、
もしくは失敗しても仕方がないと
思ってもらえるような事実を作るため


計算高さがあるから、

そんな自分に嫌悪感を抱き、
ほんとうは表裏なくいたい、
正しくありたい、正義感が強い。


少数派で気質を自分自身も含め、
理解していない、理解されずらいことから、


自分を「まじめ」と思っていないのに
「まじめ」と言われることに違和感を
感じるものだと理解しています。

そもそもの、一般的な「まじめ」と
HSS型HSPが認知している「まじめ」が
違うということなんだろうと思っています。

『まじめ』もすぎるから自分の首を絞める


HSS型HSPは感情の幅が一般的な
非HSPの人と比べ広いと言われています。


優しさや、愛情深い面もケタ外れであり、
その逆の、腹立たしさ、計算高さ、
しつこさなどのネガティブな面もケタ外れです。

一度、嫌いになった人やイライラしてしまうと
コントロールするのに倍以上の労力が必要になります。

すぐに腹を立ててしまう自分、
まわりの人が考えもしない計算高い行動や思考、
いつまでも人に言われたことをしつこく
許せない自分を過去に表に出してしまったことで


友人関係や、家族、職場などで
痛い目を見た経験が私は多かったです。


自分で自分の中のこの面は
人前にあまり出してはいけないものと
生きていく過程で学び、教訓になり、
自分の本音に蓋をする道を選ぶ。


たくさんの人と話してきて
そんな人が多い印象です。


「まじめ」に関しても非HSPの感覚の
「まじめさ」とHSS型HSPが日々生きていく
過程の中で見つけていく「まじめさ」は
ズレが生じている。


そのため、まじめがすぎる傾向にあり、
自分で自分を苦しめている「まじめすぎ」
になってしまうのではないか。


HSS型HSPの感覚の「まじめ」を
10段階にするならば


①→まじめでない
⑩→まじめ

非HSP(一般的な感覚)の「まじめ」は

④→まじめでない
⑥→まじめ


①~③、または、⑦~⑩が
本来存在していない感覚であること。


HSS型HSPには①~⑩まである感覚なので
④~⑥に合わせるために日々バランスを
取りながら、時には、はみ出しながら
悩んだりして生きてきていることになります。


まじめでいることで得られること

本来、「まじめ」は褒め言葉であり、
信用されやすかったり、信頼関係を
築くうえでは大事なスキル。


わたしは過去にこんな経験があります。

まじめに憧れたわたしの末路ですが、
学生時代はまじめではなく、不良に
憧れていました。


ドラマの影響や、ギャル世代と
いうこともあります。


校則の厳しい学校に通っていたため、
オシャレや、不良っぽく授業をサボること、
先生にたてつくこと、内心はビビりなので

心臓がバクバクしながらみんなやってるから
見くびられたくないとやっていました。

2歳年上の姉や友人と同じことをやっても
わたしだけバレる、怒られる、そんな
理不尽さに嫌気をさしていました。


なんども怒られたり、停学になったり、
反省文を書かされるたびに、
さっさと学生生活は終わらせようと心に決めて、
まじめに生きる方にシフトしていきました。


学生生活を終え、就職し、働くことの楽しさ、遊べることの楽しさを覚え、まじめであることで、上司からも評価されることがなにより嬉しく


自分の首を絞めてでも、
評価されたい一心で働いていました。


そんな中、結婚生活や、
まじめすぎる傾向から人間関係がうまくいかず、
転職が多かったですが、


どんな職場でも「まじめ」が
評価されていました。


他人の評価で自分の評価を決めていたので
まわりが評価をしてくれる限りまじめでいました。

無理をするからキャパオーバーに

見えているところは…ですが、、
自宅へ帰ると、疲れから家事もままならない
ことで自分を責め、身近であった夫を責め


休みの日はずっと寝っぱなしか、
夫とふたりでの趣味がありました。

趣味仲間には外ずらは「まじめ」でした。

そんなわたしのまじめであることへの
厳しい面に、夫に離婚を突き付けられたり、


再構築後も、持ち家を購入する際に、
騙されて大金を失ってしまったり、
妊娠したり、無理をするには、
自分のカラダがもたなくなってしまいました。


職場では家庭を蔑ろにしてバランスを
とっていたまじめメーターが壊れ、
最終的にはマタハラに値することを
上司に通達され、退職をしました。

そこからの教訓を踏まえて、
第一子を出産後の再就職先では、
「なにがあっても優先すべきは家族」
と自分に言い聞かせて仕事をしていました。


働くことは好きなので、時々、
家庭より優先して働いたりしてましたが、
子どもの存在や、前職場での経験が
ブレーキをかけてくれ、おそらく
まじめの感覚④~⑥に収めてくれていました。
(⑦くらいまではすぎていたかも)


ちょうどいい塩梅だったようで、
わたしの中ではまだまだ、全力で
まじめではないため、褒められることが
あっても全力で否定していましたし、


少し不真面目さを出して
わたしにミスがあっても、
全力でカバーしてくれていました。

実力も認めていただけ、子どもがいても
できる範囲でいいと大きな役割を
まかせてくれていました。


第2子妊娠のときには、
わたし以上にお腹の子を気にかけてくれ

まじめな私は、今までのように
働けないことに罪悪感を抱き、
再び、家では暴君になり、
夫は不倫に逃げました・・

無理をして「まじめ」でいることで
痛い目に合ってきたため
「まじめすぎ」と言われることに


本当は無理してるだけなのにな・・
と内心思っているからこそ、


裏表なく誠実でありたいが本音の
HSS型HSPを自覚するわたしは嫌悪感を
抱くんだろうと感じました。

取り止めのない話になりましたが、
「まじめすぎ」に対して思う違和感や本音を
綴らせていただきました。

最後まで、ご覧いただきありがとうございました🍀

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