次の衆議院選の争点は「上級国民vs下級国民」だと思う
ハロウィンも終わり、11月になって、いよいよ2019年も終盤、という雰囲気になってきました。その年の世相を表す新語・流行語大賞も2019年のノミネート30語が発表されました。
「上級国民」
ノミネートされた30の言葉の中で、個人的に気になったのは「上級国民」。
もともとがネットスラングなので、使う人によって多少言葉の定義にブレがあると思いますが、今の社会の分断を端的に示している言葉です。
(11)上級国民
→池袋暴走事故で高齢加害者が逮捕されず「元院長」と呼称されたことから
(https://www.fnn.jp/posts/00048846HDK/201911061400_FNN_HDK)
上級国民と下級国民の分断
今の日本社会は、「一億総中流」の時代が終わり、格差が拡大しています。その格差によって分断されてしまった階層を表現したのが「上級国民」でしょう。こんな本も発売されています。(まだ読めていないのですが)
私は、日本の政治家が今一番向き合うべき問題は、この上級国民と下級国民の分断だと思うのです。
「上級国民」は批判的な意味合いで使われる言葉です。これが流行語になるほど国民は利益を独り占めしているエリート層や支配層、既得権益などに反発を覚えている。それが表出したのが7月の参院選でのれいわ新選組とN国党の躍進だと見ています。この2政党が躍進したのは、ポピュリズムが云々とも言われますが簡単に言うと「報われていない下級国民のために戦ってくれるリーダーへの期待の表出」でしょう。
反安倍政権派の人は、いろんなスキャンダルをいろいろ批判しますが、でも何故か長期政権になってしまっている。それは、無関心層が気付いてないわけではないと思うのです。みんな「このままでは日本は泥船だ」ということは十分気付いているけれど、沈みゆく船のマストに必死にしがみついている状態なのではないでしょうか。
「次にどの船に乗り移ればいいの?どこを目指すの?」というビジョンが見せられていないから野党は政権を奪取できていない。国家100年の計や思想が見えないから乗り移ってこないのです。
政権交代をしたいなら「下級国民の船」を出せ!
というわけで、私からの提案はこれです。
衆院選の野党共闘のキャッチフレーズは「下級国民のための船」。
その旗印になるのが消費税5%とか、積極的な財政出動だーとか、そういう細かい政策に表れてくるのでしょう。
右とか左とか、そういう政治イデオロギーの話は取り敢えず脇に置いておけばいいのです。
そこに拘りすぎると無関心層の心はどんどん離れていきます。面倒な争いに巻き込まれたくないですからね。結党するのではなく共闘なのですから、細かいイデオロギーにどうしても拘りがある人は拘りの政党に投票したらいいし、自分で立候補したらいい。
今の社会の問題の本質は上vs下。
消費税下がったり、賃金上がったり、財政出動して家計の負担を軽減してくれた方がコスパがいいなー、自分が得できそうな話だな、と思った方が絶対話を聞いてもらえると思います。
「こっちの方が明るい未来に進んでいけそうなセクシーな船ね!」と思ったらみんな飛び移ってくるでしょう。
下級国民の気持ちが分かるのは誰だ?
先日以下の対談記事を読みました。非常に重要な指摘がいくつかあるなと思ったので引用でご紹介します。
ブレイディさんは福岡の公立の有名進学校のご出身ですよね。私は、そのような地方の公立進学校の復活が重要だと思っています。多様性のある地元の公立小中学校を経て、公立の進学校から大学へと進んだ人たちが、例えば、本を書くとか政治に関わるとか、NPO法人を作るとか起業するとか、そういうことが日本を救うのであって、地方の現状を知らない東京の中高一貫校を出たような人が官僚になっても問題解決は難しいと思うのです。
EU離脱の議論のときにも盛んにいわれていましたけれど、為政者には、私たちのような地べたで生きている人間の感覚が全然わからなくなっています。
私たちが何を考えているのか、何が不満なのか、どこまで緊縮財政で苦しめれば気が済むのか、私たちにも限界というものがあることがわからない。為政者はオックスフォードやケンブリッジを卒業したような人ばかりで、彼らのサークルの外の人々のことをまったく知らない人が多くなっているからです。縦の軸の多様性のない集団です。
今の社会は弱者が切り捨てられてきました。
貧困層や地方、医学部入試で差をつけられていた女性なども、切り捨てられてきた弱者かもしれません。
今の政治は圧倒的に「おっさん」が多数を占めている世界です。
特に今の政府閣僚陣は世襲議員が多い。総理大臣も、副総理大臣も、セクシー進ちゃんも、他にもたくさん。
つまり、生まれた時から政治家の世界はよく知っていてお坊ちゃま学校に通っていたかもしれないけど、地方の庶民がどんな暮らしをしているか、あまり肌で知らないのではないでしょうか。
でも、社会の半分は女性だし、日本全体で見たら地方出身者、公立学校出身の人が多い。
最初に多様性のことをおっしゃいましたが、私は多様性の核心は貧富の差や格差だと思います。ところが、日本では、失われた20年といわれて、これほど一般庶民が貧困化しているのに、いまだに、多様性というと外国人とか移民とかジェンダーとかLGBTのことだと思っていますね。イギリス人が持っている格差意識というか、階級意識というか、そういうものがないのが不思議です。
上の対談記事でもこうして触れられているように、「多様性」の核心が「格差」だとすれば、そういう人たちを数字でとらえるのではなく、その人たちの声をリアルに感じ、必要なことを訴えられる政治家を国政の場に送ることが大切だと思っています。