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そしてだれも居なくなる 1



 最初に私が消したのは、マホちゃんだった。
確かまだ幼稚園児のことだった。私の事を執拗にいじめるマホちゃんに向かって「消えちゃえ!」と叫んだのだった。すると確かマホちゃんは「死んじゃえ!」と、覚えたての、ましてやより殺傷力の高い言葉で罵り返してきた。私は悔しくなって顔が熱くなるのを感じながらつま先を見るしかなかった。涙で線がぼやけるピンクの靴を眺め、今日こそは泣くまいと顔をあげた時だった。もうマホちゃんは居なくなっていた。いつもはすぐに泣いてしまう私をニマニマと眺めた後、また追加で文句の一つや二つを吐き捨て、迎えのママと楽しそうに帰っていくのだった。その光景をいつも、私は泣きながら見送って居たのだった。だが今日こそはあのムカつくマホちゃんにやられっぱなしでなるものかと、意地でも涙が溢れるのを我慢した。今にも泣きそうになってるが泣くもんかと耐えてる私を見て、マホちゃんは飽きて帰ってしまったのだろう。私が涙を溢さないことに意識を向けている間に、マホちゃんはいつもの如く悪口を吐き捨ててママと楽しく帰ってしまったのだ。マホちゃんが目の前から消えて、涙も乾いてしまったのを良く覚えている。
泣かなかったことが、マホちゃんにとってはよっぽど悔しかったのだろう。もう私に絡んでくることは無くなった。幼稚園を卒業するまで、マホちゃんは私に話しかけてこなかった。少し寂しい気もするが、これでよかったのだった。



吉本先輩は強引だけど気さくな人で、口下手な私にもよく話しかけてくれるいい人だ。よく1、2年の後輩と一緒にいる所を見かけた。その2年の先輩たちが「吉本先輩はノリがきつくて3年に若干避けられてる。本人は薄々気づいてるみたいだけど、多分あれ?ってゆーぐらい。ほんとに気づいてる訳じゃない」と私たち一年生にニヤつきながら教えてくれた。何名かの一年生が「あー…ははは」「吉本先輩ってそーゆーとこありますよね‼︎」などと話に乗ったり、曖昧に濁している中私だけは「よく気にかけてくれるいい先輩です。悪口な感じなら言いたくありません」と拒否した。今から吉本先輩の悪口で盛り上がろうとしているであろう面々は、豆鉄砲でヘッドショットを喰らったような間抜けずらを晒していた。
「あー…別に悪く言ってる訳じゃないんだけどー…ね。まぁーうん、確かに良くなかったかな。ごめんね?」2年のなんとか(誰だっけ?)先輩が、曖昧な笑みを浮かべ、
「牧港さんも気をつけて帰ってね」
そう言い残して他の部員と目配せをしながら部室から去っていった。まるで私が悪いみたいな空気を残して。


時には無難にやり過ごす方が、社会性を重んじる空間の中では正義だったはずなのに、あんなにはっきりと、「言いたくありません」なんて言ってしまうと、今後私は部活のメンバーの輪の中に入れて貰えないかもしれない。はぁ。今後が思いやられる。
吉本先輩の悪口で盛り上がろうとしていたであろう面々が部室から去ったあと、私は暫く天井を眺めていた。
「まだ帰らないの?」
聞き慣れた声にはっと我に帰り、私は視線を降ろした。もう既に帰宅したと思っていた吉本先輩が、ドアから顔を出していた。
「お疲れ様です。今準備します。」
「早くね」
ドアの前で顔を出してる吉本先輩に背を向け、急いで身支度をした。そしてリュックを背負い部室を後にした。

吉本先輩と2人、帰路につく。学校を出た私たちは、駅に向かいながら並んで歩いていた。吉本先輩は手に持ったスマホを見ていて、なんだかいつもよりも沈黙の多い日だった。
「あのさ」
吉本先輩はスマホから顔を上げることなく呟いた。
「2年の誰とは言えないけど、2年がさ、牧港が私の悪口言ってたって言っててさ…それって本当?」
は?面を食らった。下を向いた吉本先輩の表情は見えない。
「え?言ってませんよ」
なんならさっき、吉本先輩の悪口で盛り上がりそうな面々に"悪口は良くありません"的な事を言ったばかりなんだけどな…と思った。
「身に覚えがありません。私はそんな事言ってませんよ。」
「でも、さっき、部室で…」
「なんのことでしょうか?」
吉本先輩はスマホから顔を上げ、まっすぐ私を見つめた。
「さっき、部室で、2年と、1年が一緒に、私の悪口言ってたよね。私が、3年に避けられてるとかなんとか。あんたもいたよね。」
私もまっすぐ吉本先輩を見つめ返した。
「吉本先輩が来る前ですよね?でも誰も吉本先輩の悪口言ってませんよ」
「いやいや、いや…言ってたよね。ノリがきついとか、避けられてるとか。庇うって事は悪口に加担してるじゃん。人をバカにするのもいい加減にしろよ。」
「何のことですか?私は、吉本先輩の話が出たときに、"もし悪口を言うつもりならやめてください"と言っただけですよ。他のみんなも、そのつもりがなかったから、吉本先輩の話は終わりましたよ。何に怒ってるんですか?」
私は困惑した。この人は何に怒っているのだろうか。もしかして、気分が優れないのだろうか。
吉本先輩ははぁ〜〜と大きなため息を吐いて思い切り息を吸った。
「どうせいつも見下してたんだろ。良い子ぶんなよ。"私は人と違う、正義感に溢れた人間です。悪口なんて言いません。貴方がたが悪いで〜〜す。"とでも思ってたんだろ。きっしょ。死ねよ」
吉本先輩は大声で捲し立てて持っていたスマホを地面に叩きつけた。怒鳴られる恐怖で、私は俯いた。どうして私は、怒鳴られているのだろうか。どうしていつも理不尽に嫌われるのだろうか。感覚が遠のいていき、離人感が強まる。他人事様に思えてくる中で、ふと幼少期の"マホちゃん"が毎日毎日飽きる事なく私に暴言を吐き続けていた事を思い出した。"消えろ"と言えばその嫌がらせが止んだことも。
「吉本先輩きえろ」
興味本位で呟いてみた。吉本先輩に聞こえるか聞こえないかの声で。言い慣れない言葉に若干の違和感を覚えつつも、なぜか胸がスッとした。先ほどの恐怖も、吉本先輩への心配も嘘みたいに消え失せた。
恐る恐る顔をあげてみた。もし聞かれていたらと緊張で全身が脈打つのを感じたが、吉本先輩の姿は見当たらなかった。
「吉本先輩…?」
呼んでみる。まるで一瞬で目の前から人が消えた様な感覚だ。私が俯いている間に、何処かへ去ってしまったのだろうか。とも思ったが、地面に残された画面の割れたスマホを拾うこともなく、1人で帰ってしまうわけがない。私はそれを拾った。
「吉本先輩〜」
名を呼び、歩き出した。もしかしたら1人で駅へ向かってしまったのかもしれないので、私もそのまま向かうことにした。

吉本先輩の降りる駅で降りてみようと思ったが、どこで降りるか分からない。以前に「乗り換えめんどい〜」と愚痴をこぼしていた事を思い出し、私はそのまま帰る事にした。

続く

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