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理想の人生のエンドロール

私の最終的な将来の夢は、中学生の頃から変わっていない。

小さい頃からお花屋さんになりたいだとか、漫画家になりたいだとか、アパレルデザイナーになりたいだとか、そういう職業の夢はいくつ心変わりしてきたか知れず。今の職業も正直小さい頃に思い描いていたものではないし、むしろなりたくなかった職業ナンバーワンだったと言っても過言ではない。過去の私に未来の職業を伝えると、発狂すること間違いなしだろう。もしかしたら「そんなんやったら働きたくないわ。一生ニートでいてやる」とか言い出しかねない。まぁ、普通の中小企業の営業職なのだけれども。

そういう職業の夢ではなく、別の夢が私にはあった。これに関してはころころと心変わりすることなく、中学生の頃から変わっていない。それは、「こうやって死にたい」という夢だ。

いや、中学生の頃から死ぬ時のこと考えるなんて、ちょいと暗すぎないか? と思う方もいるだろう。我ながら暗い奴だったのだなと思う。もし今そんなことを言い出す中学生がいたら「もっと楽しいこと考えようぜ? 大人になったらこんな楽しいことあるぜ?」と教えてあげたいくらいだ。でもその時に思い描いていた「こうやって死にたい」つまり「理想の死に方」は、その当時から15年以上経った30歳現在も変わっていない。高校時代の友人とこの手の話になると、「それずっと言い続けてるけど、ほんまブレへんよね」と笑いながら言われる。そう、私は本気なのだ。人生ブレブレの私も、ここに関してはブレずに貫き通そうとしている。

それは「ベッドで寝ている周りを子どもと孫に囲まれて惜しまれながら死ぬ」というものだ。
私は、こうやって死にたいのだ。

勘の良い皆様はお気づきかもしれないが、旦那は離別か、もしくは先に他界している設定だ。これは友人に指摘されるまで無意識だった。無意識のうちに旦那を抹消し、私の方が長く生きると思い込んでいる。余生はもう一度、一人暮らしのように好きなことして自由に楽しく過ごしたいと無意識的に思っていたのかもしれない。人の欲というのは、こういう無意識的に出てしまうものこそ本物の欲なのかもしれないと我が事ながらに思ったのだった。そして勢ぞろいでベッドを囲んでくれるなんて、病院で「もう危ないです」と言われた時くらいしかほぼ有り得ないのだ。これまた無意識的に、私は病死すると思い込んでいるらしい。

「結婚したって子どもがいたって、事故で死んじゃうかもしれないよ」とか「お風呂でポックリとか、夜寝てそのままっていうパターンもあるじゃない」と言う方もいらっしゃるだろう。でもそういうのは一度置いておいてほしい。これは私の中学生以来の夢なのである。そういう現実的な可能性の話は一旦あちらへポイと投げていただき、私の話を聞いてほしい。

さて、中学生の頃から思い描いてきたこの理想の死に方だが、30歳現在、実現可能かどうかの瀬戸際に立たされているように感じる。それはなぜか。私がまだ家庭を持っていないからだ。このままでは中学生の頃から切に夢見続けている「死ぬ時は子どもと孫に囲まれて」の最期が迎えられなくなってしまう。

そこで、私の死ぬまでにやりたい7つのこと改め、理想の死に方をするためにやらなければならない7つのことを考えてみる。これはWISHやHOPEではなく、MUSTなのだ。

まず1つ目。私との遺伝子を残してくれる男性を見つけなければならない。私には結婚願望もあるので、とんでもない事情がない限りは結婚していただきたい。そして今引っかかっているのは、この段階なのである。あと6つもあるのに。こんな第一段階で止まっている場合ではないのだ。そんなことは私が一番よくわかっている。でもそれがこんなに難しいと思っていなかったし、野暮ったかった暗い中学生だった頃の私も「まぁ、なんか、28歳くらいには結婚しているだろ」と思っていた。当時の自分に「それは安易に考えすぎだよ」と教えてあげたい。30歳現在、結婚どころか、それを考えられる相手さえもいないよ。現実ってこんなもんだよ。厳しいのだよ。

次に2つ目、子どもを産む。ここに関しては相手のことや私自身の身体のこともあるので、場合によっては難しくなってくるのかもしれない。しかし、難しい問題でないのであれば、血の繋がった我が子をこの世に産み落としたい。そしてここからは我が子を産み落とした前提で話を進めたい。

3つ目。産み落とした我が子を育て上げる。産み落としたからには、親としての責任が発生する。最低限の道は踏み外さぬよう、必要な時には手を貸して逞しく育っていただきたい。かといって多少の擦り傷程度の痛い目は見てもらい、人の気持ちも理解できるような、立派な成人になってもらいたい。何をもって立派と言えるのかはわからないが、自分の好きなことを自分の責任で行える大人になっていただきたい。……と、現時点で存在しないし存在する予定も見込みもない我が子に思いを馳せる。

ここまでで痛い女だと思われていないだろうか? 思っていない皆様は、ぜひ続きにお付き合いいただきたい。

4つ目。我が子が結婚する。これは自分が結婚するより難易度が上がっているような気がする。だって、私には決定権がないからだ。誰といつ結婚するかなんて、我が子が決めることであって母である私が決めることではないのだ。というか、決めるべきではないと思っている。それはもう個人の自由だし、個人の責任でもある。親だからといって介入すべき問題ではない。自分が結婚できていないにも関わらず、さらにこの難易度の高い問題が4つ目に出てきてしまった。これは少し雲行きが……。いや、とりあえず続けよう。

5つ目。我が子とその結婚相手の間に子ども(孫)ができ、その子無事に産み落とされる。これまた他力本願なのである。教育方針は子ども夫婦が決めることであり、これまた私には決定権はないのだ。祖母の立場としては、産み落とされた孫をひたすらに愛でることしかできないのだ。もうここまでくると残りの2つも計画というよりは妄想の域に入ってくるのではないか。

6つ目。孫が立派に成長する。そしてバアバ(私)にめちゃくちゃ懐く。願わくば、愛嬌のある孫に育っていただきたい。大きくなるにつれ、恐らく小学校高学年か中学生くらいになると、家族より友人やお付き合いしている彼氏または彼女を優先するようになるだろう。それくらいは妄想の域でもお見通しだ、我が孫よ。でも私の誕生日や敬老の日には「バアバ、誕生日おめでとう」だの「元気に長生きしてね」だの連絡をよこしてほしいのだ。できたら会いに来てほしいのだ。会いにきてくれたら、バアバは自分でケーキを買いに行って食べさせてあげるから。自分の誕生日や敬老の日に、自分でケーキを買うべきでないなんて決まりはないだろう。孫とおいしくケーキを食べる時間を過ごせるならば、バアバは少ない(というかあるかどうか不安だが)年金からホールケーキ5号くらい、つまり4,000円弱くらいの出費は必要経費として支払ってやるのだ。バアバって、そういうもんだろ?

そんなこんなで、ラスト7つ目。ポックリ他界しない。決して大病を患いたいわけじゃない。できれば一生健康体でいたい。苦しんで死ぬのは嫌、というより、想像するのが少々怖いところがある。だけど、ポックリ逝ってしまうと、誰も看取ってくれない。私の理想の死に方には、必然的に病にかかる必要が出てきてしまうのだ。できれば可能な限り正確な余命宣告を受け、それに合わせて親族全員が集合し、私が横たわるベッドの周りにスタンバイしてくれていなければいけないのだ。子どもにしろ孫にしろ、大きくなっているのだから私が住んでいるところから遠いところを拠点にして暮らしているかもしれない。車をかっ飛ばしても1時間以内に来られない場所に住んでいる可能性だってある。飛行機に乗らないといけない可能性もある。なんなら国内だなんて限らない。海外在住の可能性だって、無きにしも非ずだ。だから「余命あと1カ月って言ってましたけど、やっぱ明日の夜ぐらいが山になるかもしれないですねぇ」なんて言われようもんなら、私の夢はその瞬間破れたりの可能性が非常に高くなるのだ。ここまで順調だったのに! この(ある意味での)ヤブ医者め!!!! なんて最後に性格の悪いことを心の中で叫んでしまう可能性だってあるのだ。心の中で叫ぶどころか、どうせもう死ぬのだからと考えて口から出してしまう可能性も、これまた無きにしも非ずだが。とにもかくにも、私が中学生の頃から思い描く理想の死に方を叶えるためには、余裕を持った余命宣告を受けなければならないのだ。

と、ここまで書いてみて思う。中学生の頃の私が「最期はこうやって死んでいきたい」と思い、今まで謎にその夢を抱き続けてきたのだが、書いてみて思った。結構大変だ。
まず、1つ目で躓いてしまっている。しかし、子どもに関しては、最悪結婚しなくても、まぁ選択肢はないことはない。ということは、1つ目は別に達成しなくても良い、つまりMUSTじゃないということになる。
4つ目から6つ目に関しては、もはや他力本願だし、7つ目に関してはもはや自分でどうこうコントロールできるもんじゃない。というか、したくない。というか、大病患いたくないよぅ。死ぬまでずっと元気に遊んでいたいよぅ。

……。無理やん。7つ目まで書いたけど、これ絶対無理やん。無理っていうか、叶える気なくなってきてしもうたやん……。

文章を書いているうちに、自分でも思いもよらぬ答えにたどり着くことがある。いやでもさ、私よ。15年近く思い描いていた自分の理想について、その思いは長年不動のものだったはずなのに、なぜこの長年の間に深く考えなかったんだ。考えようともしなかったのだ。なんでお前は、この歳になってもそんな浅はかな考えなんだよ!!!!!

というわけで、ここで夢変更です。健康に、楽しく生きていきたい。死に方には、せめて今はこだわらないようにする。だって楽しく生きたいもん。

さて、じゃあこれからどんな楽しいことをしようか。大切な人たちとどう過ごそうか。7つとは言わず、やりたいことは、7つと言わず片っ端からやっていくことにしよう。私の人生は、最期を考えるにはまだまだ猶予がありすぎるのだから。

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