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わたし、頑張ってるのに。の基準

また難しい話題だな、と自分で書き出しながら感じている。

例えば職場での話。

知識も豊富で、丁寧な仕事ぶりに感激されて
クライアントさんから「次回もあなたにお願いしたい」
と言われるほど優秀な人なのに
「いやいや、自分なんて」と
相手からの評価を素直に受け取れない人。

一方で、何度言われても報・連・相が出来ない人、
または、仕事をする上での言葉使いとか
気の回し方とかを身につけられずに社歴だけは長い人、というのもいる。

報・連・相ができない人は
「報・連・相?なにそれ、パワー全開になっちゃうやつ?」
ってくらい関心がなくて、その大事さも理解できない。

理屈としては「何かあったら言うし、相手だって言ってくるでしょ。
何も言わないのは特に問題ないってこと」らしい。

うーん。

言葉使いが雑だったり、気を回せない人は
今まで誰にもきちんと教えてもらえなかったんだな。
とそれはそれで可哀想に思う。

不思議なもので、「ちょっと問題があるな」と感じる人に限って
自信満々で自己肯定感がめちゃくちゃ高かったりする。

そして、自分が思っているよりも周りの評価が低いと感じると
「こんなに頑張っているのに正当に評価してくれない。
私、頑張ってるのに!」
と言って憤慨する。

最初に挙げた「いやいや、自分なんて」タイプの人は
また違った意味で問題があって
言葉の通り、自分なんてと本当に思っているので
自己肯定感はもちろん低い。

「頑張っているなんておこがましくてとても言えない」
なんてことを言ったりする。
むしろ、頑張っているかどうかなんて口にしない。

頑張ってる・頑張ってないって一体誰が決めるんだろうか。

「私、こんなに頑張ってるのに!」
それはそれで良いと思う。
そうやって自己評価して自分を認めて励ますってとても大事なこと。

ただ、自己評価と他者評価が違っている場合、
それを理解する素直さが必要だと思う。

自分はこう思っているのに、思っているような評価が得られていないのは
なぜなのか。

そして客観的な目。
自分寄りな人は、ただ寄り添ってくれちゃうので
できればフラットな目で見てくれる人がいい。

それを組み合わせたら
自分の、自分に対する評価が高すぎるのか
会社がきちんと評価をしてくれていないのかが分かるから。

まぁ、でも自信満々だと自分が間違っていたり
できていないことが分からないし、認めることができないかもしれない。

自己評価が低い人は
ただ黙々と日々やることをやっているだけというのと
遠慮する気持ちがとても強い気がするので
周りがひたすらに正しい評価をする必要があるのかも。
要は、ケアが必要です。

とはいえ会社なので、一人一人を事細かくは見れないのだけど。

十人十色とはよく言ったもので、人ってそれぞれ過ぎて難しい。
ここに書いたのは、私の感じることだから正しさとかは分からないけど。

自分の思う通りにならないことがたくさんあって。
わたし、頑張ってるのになんでこんななんだろう?って
むなしくなる。

頑張る方向性が違うのかもしれない。
頑張っていると思っているだけで、まだまだ頑張れるのかもしれない。

立ち止まって振り返りながら確認して、
もう頑張らなくて良いこと、まだまだ頑張れることを選びながら
進んでいきたいな、と思っている。

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