飼育小屋で赤い瞳が見つめていた
通っていた小学校でうさぎが消えた。
子うさぎが忽然と姿を消したのだ。
小学校で飼われている飼育小屋の番のうさぎが産んだ子供だった。まだほわほわのちいさな命。
校内放送が流れて、先生たちが「みんなでうさぎを探しましょう」と言っていた。その様子は冷静だった。
わたしは真剣に子うさぎを探したが、見つかる気配はなかった。
産まれてしばらくは「そっとしてあげましょう」という話だった。だが、そっとしてあげた後に、子うさぎは消えてしまい、触れ合う機会は一度も訪れなかった。
わたしが小学5年生まで在籍していた小学校(4年からは不登校児だったので)では、たくさんの動物を飼育していた。
ふつうの市立の小学校だが、孔雀、鶏、うさぎ、亀、大量のセキセイインコ……他にも何かいた気がするが、覚えているのはこれらの動物。校内ではよく孔雀が歩いていた。
けれど、飼育環境がよかったわけではない。
約20年前の小学校には、動物福祉の概念など存在するわけもなく、動物たちは過酷な環境を耐え忍んでいた。
わたしは動物が大好きな子どもだったけれど、飼育小屋は直視したくない場所だった。寒くて暑いだけではない。汚くて、臭かった。
放課後、うさぎの飼育小屋にふと目をやると、3歳上の兄が小屋を掃除していた。生き物係になったらしい。
兄はアレルギー体質で過敏なのに、だれよりも真剣に掃除をしていた。家では「同じ係の男子も女子もろくに掃除をしない」とぼやいていた。
それから何度となく飼育小屋を熱心に掃除をする兄を見た。
「うさぎたちが、あんな汚いところに住んでて可哀想なんだよ」と言う兄の手は、ボロボロに荒れていた。
わたしも兄と同じように、飼育小屋で暮らすうさぎが可哀想だと思っていた。でも、それを言葉にすることで飼育小屋の現状を直視することが怖かった。兄を見て、自分が見て見ぬふりをしていたことに気づいた。
兄はうさぎたちから目を逸らさない。本当に優しいということがどういうことなのか、この時わかった気がした。
その後もうさぎは消えたが、兄は何も言わなかった。
うさぎがいなくなると先生たちは「うさぎさんを探しましょう」と言ったが、なんだか白々しかった。
いつしか「先生たちが頭数制限のために殺してるんじゃないか」という噂がたったが、さすがにそれは信じられなかった。だが、あまりにも不自然なことばかりだったから遺棄していたのだと今になって思う。
わたしが小学4年生までの間に、飼育小屋のうさぎは3回失踪し、帰ってこなかった。その後のことは知らない。
純真さをあらわすような白いふわふわ、透き通るような赤い瞳。
白いうさぎの赤い目をよく覚えている。
飼育小屋を思い出す時、“命の大切さ”よりも強く感じることがある。うさぎに対して“何もできなくてごめんね”という申し訳なさ。
あの茶番のようなうさぎの失踪と捜索はいったい何だったんだろう。今でも理解できない。
わたしたち以外にも胸を痛めた子どもはいたのだろうか。
おわり