日記11月6日〜11月12日
11月6日水曜日
よし!起きられた。
いつもより早く起きてチャンピオンズリーグを観ながら出勤準備。
スポルティングはマンチェスター・シティーに4対1で勝利。勢いが止まらない。ハーランド久しぶりにみたなあ。海外サッカーを見始めてまだそんなに経ってはいないけれど、私が初めてみた巨大無敵ベイビーみたいなハーランドは黄色をまとっていた。あの時とは環境も変わってもまれてるのかなあ。スポルティングを応援しながらも、水色のハーランドがPKを外した時、少し切ない気持ちになった。
アモリム監督はやっぱりすごいんだ。林さんの解説がわかりやすくてアモリム監督の戦術の素晴らしさが初心者にもよく理解できた。
今日も大変そうなスケジュールが待っているけれど、サッカーのおかげで朝から元気になれた。気合いが入ったのでおだんごがうまくいった。ありがとう。
案の定いろんなことに巻き込まれたけど、おだんごはしっかり手を放さずまんまるのまま頭にしがみついていてくれてほつれなかった。わーい。みんなからもおだんごを褒めてもらえて嬉しい日。帰り道、ヘトヘトな意識でなぜか「虫ピン 小説」と検索していた。そっか、ちょうど一年前の今頃に虫ピン小説を読んでいたんだ。検索したら全然引っ掛からなくて自分のnoteが出てきた。こわい。
虫ピン小説なんて誰も言わないか。正式なタイトルは『虚航船団』。読むのが大変だったけど、最高に面白かったなあ。もしかしたら、虫ピン小説を書いているのは世界で筒井康隆さんだけかもしれない。虫ピンの使い方もいろいろ。そうだ、おだんごを作れるようになってかんざしがほしいなと思っていたけれど、虫ピンみたいなかんざしがあったらかわいいかもしれない。髪用の虫ピン、どうですか? あ!そしたらハーランドのおだんごももっとピシッと留められるように虫ピン贈ったらいいかも。虫ピンパワーは偉大だから。そうなるとスーパーサイヤ人になってしまうかな。海外サッカーも筒井康隆さんも今の私には欠かせない。それより前ってどうやってエネルギーチャージしてたかなあ。大変なことも楽しい想像も全てがありがとうになっている。この、ありが塔のてっぺんにとびっきりの虫ピンを飾りたい。そんな感謝が湧いてくる一日だった。
11月7日木曜日
月曜日分の代休をいただいた。
大きいものから小さいものまでありとあらゆるものを洗濯した。ハンカチとかエコバッグとか藍染のエプロンとか、長く使いたいものやお気に入りのものは手洗いすることにしている。手間はかかるけど、洗濯機洗いよりは多少長寿になれている気がする。気分は桃太郎のおばあさんだ。長いこと川で(お風呂場で)洗濯をした。
洗濯している間は意外と無にならなかった。今日は体を休めなきゃなと思ったり、いやいや手つかずのままになっている翻訳を進めなければと思ったり。ああ、翻訳といえば。去年は本厄で精神的にダメージの大きい時期があったなと苦い記憶が蘇った。父が大変で母も私も参っていた。本厄ってとんでもないなと途方に暮れた、あれから一年。人は年によってこんなにも変わるものなのだろうか。父と母は今度の祝日に旅行に行くらしい。あの二人が旅行に行ける日はもう来ないのではないかと思ったけれど。修復不可能だと思っていた関係を、誰かが一年かけてほどいて結びなおしてくれたみたい。またいつ絡まってしまうかとこわいけれど。でも、太陽がある限りずっと闇なんてことはないんだと知ることができた。どうかお互いに思いやりを持って、一番の理解者でいてあげてほしい。そんなことを思いながら汚れをもみ洗いした。何も書いてはいないけれど、桃太郎のおばあさんもいろんなことを思いながら洗濯していたのかもしれない。
夜、変な時間に掃除スイッチが入った。昼間じゃなくて何で夜なのだろう。まったく不思議なスイッチだ。盛大な掃除と本の整理をした。平置きしてしまっていた本たちは自分たちに家があることも知らなかったかもしれない。本棚も久しぶりに本棚らしい力を発揮していた。
11月8日金曜日
いやあ参りました。
何とも重たい一日にひれ伏した。
こんな日は癒しが必要。そう思って図書館で借りた『日本美のこころ』をようやく開いた。思った以上に癒されてビックリした。やっぱり彬子女王殿下のお言葉は美しい。綺麗事なのではなく、純粋な美しさ。優しいのにとてつもない引力がある。美しい日本文化を紹介してくださっている本で、まだ最初の二章しか読んでいないのにこれは全部読んだら全部見に行きたくなってしまう危険性があるなと感じた。全然人に流されないタイプなのに彬子女王殿下の文章にはいとも簡単に流される。それくらい美しくて生命力みなぎる文章が展がっているということで。そんな清らかな文の川にはいつでも葉に化けて身を任せたくなる。今、無性に盆栽に惹かれているこのこころはもうひとりでに旅しているのかもしれない。川の流れのように。
11月9日土曜日
彬子女王殿下が英国から帰国されたというニュースを見た。三笠宮妃百合子さまのご容態が悪化したのだという。一国民は何にもできないけれど、彬子女王の本を読みながら心を送った。
今日のシャンプーがないことを奇跡的に思い出し、帰りにシャンプー探しの旅に出た。お気に入りはoggiottoのスムース。何と言っても香りが良いのだけれど、栄養素も自分の髪と相性が良い。髪が細いらしく、髪質の問題は大いにあると思うけれど、色々試して今のベストはこれ。不思議なことにモイスチャーを使うとパサつくからスムースをお勧めされる。oggiottoシリーズは私にとっては高いなと思うようなお値段をしているけれど、美容院の特殊なトリートメントをお願いするとなぜか髪色が明るくなったりさらに痛むことが多いので、それをやってもらうよりは普段のシャンプーで栄養素を取り入れられる方が安くて簡単で良いなと思っている。ただ、oggiottoは美容院でしか販売していない。次の美容院までは別のものを探そう。そんな時の駆け込み寺、錦糸町へ向かった。
コスメ類が売っているお店に寄ると、ウインターギフトが並んでいた。その中に、ひときわ目を引くステキなパッケージを見つけた。どこかで見たような本の装丁にも見えた。中身は…おお!まさに求めていたシャンプーではないか。悩むことなく手にとった。
本でさえ装丁だけを見て一目惚れして買うという経験はなかったのだけれど、まさか自分が装丁買いをするなんて。全くの想定外だった。
人が良いと言うものは、へえ~と思っても、私も!とはあまりならないのだけれど。自分の感性がビビッときてしまったらもうそれはロックオン。調べてみると、やっぱりあの『むらさきのスカートの女』の装丁を描かれた方のデザインだった。他の作品も見てみたくなってついつい検索。気付くとついつい本を購入していた。"1500部限定特別装丁"と書かれていて、中古しか見つからなかった。初めてメルカリで本を頼んだ。
それにしてもこのシャンプーのパッケージの女性、かっこいいなあ。心奪われる美しさ。机の上に置いておいたら気分良く生活できそう。くり抜いてペン立てにしようかな。それとも切り抜いて写真たてに入れてみようかな。
11月10日日曜日
確か髪型の話をしていたと思っていたのに「かくさん、かきあげも似合うと思いますよ」と、唐突にぽのさんが言ったので思わず「かき揚げ?!」と反応してしまった。「そのかき揚げじゃないですよ」とすかさず私のかき揚げ暴走を制してくれるかくさん。「絶対あっちのかき揚げ想像してると思いました。顔がもうかき揚げでしたもん」と、冷静かつ迅速にツッコミを入れてくれるのはいつもかくさんだ。とてもありがたい。でもボケたつもりはなく、すごくナチュラルにかき揚げ頭が思い浮かんでしまったので申し訳ない。リーゼントみたいなことかと思った。
疲れもピークに達する頃、併設のレストランの人がクリスマスコンサートのチラシを持ってきてくれた。レストランで演奏を聴きながらクリスマスディナーが楽しめるというもの。チラシにはメニューと演奏者さんの紹介がどどんと出ていた。楽器やってる方ってきれいな方多いですね~なんて話をしていると、しろさんが「でも同じ系統ですよ。ミナミ系の顔ですよね」と私に言うので何のことかわからなかった。もう頭が回らない時間帯の会話はいつも以上に聞き取りが難しくなる。「南系?」と自分で口にしてみるも沖縄出身のしろさんに南系の顔だと言われても「?」が浮かぶだけだった。すぐに本気の「?」を察知してくれたしろさんは「田中みな実ですよ」と教えてくれた。ほう。それはまた巨大惑星ですな。さすがの私も田中みな実さんのお顔はわかる。わかるけれども。もし私がそのみな実系だとすると、日本人は皆みな実系だと言えるだろう。どちらかというと南系の方が合っていたかもしれない。しろさんは極限の疲労困憊状態なのだろう。申し訳なくなった。疲れてくると耳も遠くなるし視界もぼやけてくる。
それにしても現場のメンバーは皆やさしい。私の「わからない」はあまりにわかりやすく顔に出てしまっているらしいのだけれど、そんな時は面倒くさがらず言葉を言い換えて教えてくれる。割り切って「やれやれこの宇宙人は」と思ってくれる人が多くてありがたい。ワレワレにとって日本語ハ六ヶ敷いのですヨ。
~系という言葉も範囲がかなり広いなと思う。帰りに一瞬住吉駅で降りて八百屋さんに行こうと思ったら新しそうなラーメン屋さんが目に入った。看板を見ると横浜家系ラーメンと書かれていた。この家系という言葉もよく耳にするけれど、私には全く馴染みのない言葉だ。家系って一体どこの家?家系って言ったら全部横浜なの?家系の家系図ってあります?絶え間ない「?」が湧いてくる。今度しっかり調べてみよう。
帰るともう本がポストに入っていた。昨日の今日で? 開けると本屋さんかと思うくらいきれいにラッピングされていて驚いた。私はメルカリでは物をお譲りできないなと思った。榎本マリコさんの装丁を目の前にすると胸が鷲掴みされる。この衝撃は何だろう。
11月11日月曜日
スポルティングのアモリム監督のラスト試合は今日だった。先週の試合から数えてちょうど今日で3games after leaveだ。聞き間違えたかと思っていた英語のリスニングは合っていて、日本語の読解の方が間違っていた。日本語力が危うい。とにかく、まだアモリム監督だった。今日が正真正銘のラストマッチ。試合開始の3:45に起きたけれど、守田選手が先発メンバーじゃなかったので1hour more sleepした。その1hour more sleepがよくなかった。結局何も見届けることができなかった。深い眠りにつき、起きたらちょうど試合が終わったところだった。疲労に勝てなかった。アモリム監督は幸せそうな顔をしていた。アモリム監督は勝ったんだ。連勝かあ、すごいな。守田選手は途中から出場して1ゴール、1アシスト。んーとっても観たかった。
起きたところでソシエダの試合がまだやっていたのでそちらを観ることにした。気持ちを切り替えて久保選手を応援。......するはずだったのに。気付いたらまた眠っていた。全然何も観ていないに等しい。今宵は日本人選手たちが大いに活躍したようでよかった。活躍は嬉しい。嬉しいけれど、見られなかった活躍は悔しい。
お昼にガパオライスを作って力尽きた。自分で作る料理は暴れたい放題、全部が自分基準だから美味しい。美味しくてつい食べすぎてしまった。明日のお昼くらいまで空腹にならなさそうな満腹感に包まれた。
いや。このまま力尽きてなるものかと思い直し、住吉~押上間を散歩をした。よく歩く散歩ルート。浅草通りの交差点のところにあるケバブ屋さんがいつも気になるのだけれど、タイミングが合わず食べたことはない。美味しいかなあ。
チェーン店だけど、あまり入ったことのなかったカフェで頼んだアイスアメリカーノが美味しかった。座って15分くらいだろうか、本を読んでいたら周りの人たちが次々と立ち始めた。あれ? まだ閉店時間じゃないと思ったけど。レジでのやりとりを思い出すと、確かにまだ時間があるはずなのに「~時までですがよろしいですか?」と聞かれたような気がする。ガラスのカップではなく、紙のカップを手にしている意味がようやくわかった。日本語リスニング力の低下が激しい。耳にはもうちょっとガッツを持って頑張ってもらわなければ。
11月12日火曜日
『日本美のこころ』を読み終えた。
図書館で借りたけれど、手元に置いておきたい本だ。手元にも置いておきたいし、心にも留めておきたい言葉の数々。その中でも"白いご飯とお味噌汁にほっとする"こうした気持ちこそが日本文化であると書かれていた章はグッときた。なんてありがたいお言葉なのだろう。これからは食いしん坊だという言葉の代わりに、私は日本文化をしているの、と言ってもいいでしょうか。
今日は3歳下の妹の誕生日。だからというわけではないけれど、たまたま休みが合ったので、9歳下の妹とお昼ご飯を食べに行くことになった。題目は別にあった気がするけれど、私たちの目的はご飯。ご飯で地球が回っている。妹はもうすぐ旦那さんの実家の方に引っ越すらしく、食いしん坊姉妹ももうあまり会う機会はなくなりそうだ。あ、違った。日本文化姉妹か。いや、この使い方はちょっとナンセンスだね。言葉のセンスを磨かなければ。
有楽町に寄りたいところがあるというのでその辺りのGoogle Mapを開き「土鍋」と検索してみた。お米が美味しいところを探したいけど「お米」検索をするとお米屋さんがヒットしてしまう。末の妹は食べるのが好きなのに食べられれば何でもいいらしく、決定権は放棄している。いろいろ出てきた中でここにしようかと持ちかけてみるも、提案しながら自分でもここだ!という感じがしない。電車の乗り換えギリギリまで探していると、ここだ!と心が頷くお店を見つけた。土鍋で炊いたご飯にカレーの写真。一体感という美味しそうなカレー屋さんだった。営業時間を見てみると8時〜15時。珍しい時間帯だと思ったけれど、築地が近いので納得。最寄りは東銀座なのでお値段は銀座価格だけど、土鍋だから納得。
年季の入ったビルの中2階系飲食店だった。あ、"系"って私も使ってるね。広範囲を指す時の総称にしっくりくる言葉だ。
その中2階系のカレー屋さん、こじんまりとしていて席数は多くないけれど、運良く1組分だけ空いていた。
妹はハヤシライス、私はカレーに二人ともなすを追加した。なんとご飯は三種類から選べるので、妹は山形、私は新潟のお米を選んだ。あとカレーは辛さも選択式。辛口から五辛まであるうちの一辛にした。注意書きには注文してから炊くため30分かかると書いてあってそれだけでもう満足できるくらいワクワクした。実際30分も待たなかった。一人だったら本読みながら待っていたらあっという間だと思う。
実食。これはすごい。言葉にならないくらい美味しくて、妹も私も何も言えなかった。ただ頷きながら味わった。お米は見ているだけでもう美味しい。ご飯だけもカレーだけも美味しくて、別々に食べてみようかなと思うくらいどちらも最高だった。でもそうはできなかった。辛さのチョイスを間違えてしまったカラだ。一辛って全然辛くなさそうな響きでしょう? でもね、ここの辛さはナメちゃいけんかったのです。最初はね、ピリ辛かな~くらいなのだけど、なぜか食べているうちに激辛になってね、知らないうちに涙も出てきて口から火吹きそうだった。その火でまた土鍋を炊けそうなくらい。言葉にならないくらい辛かったのでノーマルか辛口をおすすめします。あとお米の量もね、食べているうちに土から生まれてくるからね、大食いの人も侮ってはいけません。私たちがこんなにはちきれそうになるのは珍しいよね、と帰りに話したくらい量が多めなので大盛りとかトンカツ追加とかは慎重に決めた方が良いかと。
いつもなら美味しいものを食べたら家でマネっこして作りたくなるのだけれど、何が入ってるかな~とスパイスを推理する余裕すらなかったのでリベンジしたい。
そうそう、ここまでは穏やかな時間が流れていたのに......。
いつもは一週間の最後の日に日記を書き終えたらそのままnoteにあげているのにこの12日の日記がなかなか書き終えられずにいたのは夜にまた父と母がバッチバチになってしまったからだ。せっかく旅行に行く予定が立つくらいまで元に戻ってきていたのに。私が書いたからかな、と思わずにはいられないタイミングで天地がひっくり返った。周りが灰色になって何も書く気にならなかった。
前に読んだ野沢直子さんの『半月の夜』がすごく良くてまた読み返したいと思っているけれど、辛いとき、目に映る世界が灰色に見える感じ、わかるなあと共感したのを思い出した。何で人は人に期待してしまうのだろう。期待なんてしてはいけないのに。そう書いて気付いたけれど、私も父や母に期待してしまっていたのかもしれない。親という生き物の人間らしい部分が見えただけなのに、仲の良い親というものを期待してしまっていたのかな。もう二人のことは二人でどうにかしてもらおう。さてこの人たちは旅行に行けるのでしょうか。ってゲームみたいに考えたら気楽になるかもしれない。書くのも辛いと思っていたけど、書くといいかもしれない。ちょっと気持ちが軽くなってきた。書くってすごいパワーだ。
早く世界が色づくといいな。
楽しい何かにさらわれたい気分だ。