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俺の人生①

noteは多分、2年ぶりくらいに書きます。

最近は仕事で残業続き。
深夜0時まで残業する日々の中で心身ともに疲れ果てました。
そろそろ鬱病になっちゃうな、というタイミングでゴールデンウイークに突入することができたのはよかったかも。

せっかくの休みなので、久々に家でダラダラとネットサーフィンをしていたらこんなサイトを見つけました。

https://bit.ly/3LAGYNI

とある自殺志願者のブログなんですが、自分の人生をひたすら振り返った内容が書かれているんですね。

確かに俺は、1988年7月24日から自殺したその日まで、この世界に存在していたけども、
人知れずこの世界から消えてしまうと、俺がこの世界に存在していた事実まで消えてしまうような気がして、
それが怖くて寂しくて、自殺が出来なかったんですね。
だから俺は、俺がこの世界に存在していた証拠を残す方法を考えて、
自分の人生を書いたホームページをネット上に公開することを思い付いたんです。
なぜなら、このホームページには俺の人生が書かれてるけども、
だからこのホームページを見た人の脳に俺の人生が記憶されるけども、
その記憶こそが、俺がこの世界に存在していた証拠になると思ったからです。

https://bit.ly/3LAGYNI

とのことで、「死んだあとも自分の生きた証を残したい」という思いでブログを書かれていたみたいです。

俺はこの方の文章に、不思議と引き込まれていきました。
一晩で全て読み終わってしまったほどです。
最近はChatGPTで簡単に整った文章が作れてしまいますが、それとは違う感情の生々しさというか、そういうものに魅力を感じてしまいました。

というわけで、この方の真似をすると言ったらおかしいですが、俺も自分の人生を振り返って書いていこうと思います。

別に自殺したいわけじゃありませんよ。
今のところ、予定はありません。
だけど、少なくとも今は全然幸せじゃないので、どうしてそうなってしまったのかってのを振り返れたらいいなーと思っています。

ちなみに、今の俺はとある会社でサラリーマンをしている23歳です。
大卒で就職し、今年の4月で社会人2年目になりました。それなりに大きな会社へ就職したんですが、どうやらかなりブラックだったようで、深夜までお家に帰れない日々を送っています。
プライベートでは、素人童貞で、包茎で、EDという絵にかいたような弱者男性です。


幼少期

俺は愛知県で生まれました。
愛知って言っても名古屋みたいな感じではなくて、本当に何もないところです。家の周りには田んぼと川しかありませんでした。

俺には兄弟がいなくて、狭い賃貸アパートに両親と3人で住んでいました。
保育園に入るまでの記憶はほとんどありませんけど、それなりに仲の良い核家族って感じだったみたいです。
父親は当時、自動車系の現場仕事をしていたみたいです。母親は働いていた会社を寿退社して、専業主婦として俺を育てていました。

実家に昔の写真がたくさん入ってるアルバムがあるんですけど、家族3人の写真があるのはこの頃までです。
単純に若いっていうこともあるでしょうけど、両親が見たことないような笑顔で写っていたりするので、アルバムを見るたびにドキッとしてしまいます。


小学校低学年

俺が小学生になった後、家庭内の雰囲気が急速に悪くなっていきました。
父親の仕事が現場から営業に変わったんですけど、それで精神を病んでしまったんですね。
休職をして、家で寝込んでいる時間が多くなりました。

この頃の父親は、本当に一言も話さなくなっていました。
表情が暗いし、動かないし。
風呂に入っているのかもよく分からないような感じです。
処方された鬱病の薬を飲まずに捨てていたこともあったみたいですね。
一緒に住んでいるのに何を考えているのかわからない、得体の知れなさのようなものがありました。

母親はそれに耐えられなかったようで、父親と接する態度がどんどん冷たくなっていきました。
夫婦間で会話をするときは、必ず俺を通していたような記憶があります。
「お父さんに○○って言ってきて」と、母親によくお願いされていました。
家族3人がそろった時は家の中の空気が「ピンッ」と張りつめていて、本当に逃げ出したかったです。

一方で俺の小学校生活はというと、あまりうまくいっていませんでした。
友達は多少いたので、まったくの独りぼっちというわけではありません。
だけど、体育の授業とかで2人1組や複数人のグループを作る時には、いつも余ってしまいました。
クラスメイトと軽い会話をするくらいはできるんですけど、それ以上の関係にはなれなかったんですよね。

休み時間にはいつも読書をしていました。
読書が好きってわけでもなかったですけど、運動場でサッカーやドッヂボールをしたいとは思えなくて、やることがないので仕方なく本を開いていました。

土日に友達と遊ぶこともほとんどなかったと思います。
そんな姿を見て心配だったのか、母親は俺とよく遊んでくれていました。
キャッチボールとか、サイクリングとか。色々やりましたよ。
元々運動が得意な母親でしたし、廃人になった父親の代わりになろうとしてくれたのかもしれません。

今思い返すと、小学校3年生くらいまでは本当に孤独な生徒だったような気がします。

今回はこれくらいにします。
また時間があるときに少しずつ書いていこうと思いますので、よろしく。

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