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こないだのつづき。

大切な出会いと、絵を描くことがセットになっていた。
自分にも描ける絵を探していた。

少しだけ通った絵の教室では「絵で描くよりも素材をかさねたり、塗ったり破ったりして表現する方が向いている」と。
それは自分でもなんとなく、気づいていたことだった。(今後のヒントになる気もしている。)
しかし、何か描いてみたいな、と思う気持ちは消えない。
というわけで、シンプルな線でとにかく何でも描いてみることにしました。白いメモと黒ペンさえあればどこででも描けるし、画期的。
せっかちでもいける。
私にとってそれが入口だったのかなあと、思います。

時を経て、描いたり描かなかったりして…
「結局本当に好きなことじゃないからだ」というお約束の暗闇トンネル。
自分の好きにしたらいいのに、いちいち凹むのは、なんなんほんまにと思う。

そのあと、好きにすることにした。
描くことにした!

そんな時「ネイチャージャーナル」*という方法に出会います。
ネイチャージャーナルでは、観察すること、疑問を持つことが肝なんだと教えてもらいました。(*自然物を観察して、絵だけでなく、言葉や数字を使って記録する。マインドフルネスにもつながる習慣。気温や天気なども記録するので、世界の状態を肌で感じることができる。…と、私は感じた。)

しかし、改めて、観察して描こうとすると、見たとおりには描けない。
しんどい。それは見たとおりに描けないことが、ダメなことだと思っているから。

でも、例えば1個の柿をスケッチした時の感覚は。
オオカミ少年が、嘘をやめられたとしたら、きっとこんな気分。
ともだちと仲直りできた時の安心感にもちょっと似ている。
ただ毎回その場所まで行くには、時間がかかる。
しんどい→しんどい→あ、そうだった。と思い出す地点がくる。→不思議な安心感。という感じ。

何が言いたかったかというと、この実感の移ろいが面白いので、しばらく続けてみようと思っています。

たぶん、ミソサザイ(鳥)








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