見出し画像

【ただのぼやき】さかなクンを見て思う「愛」の形|来世はさかなクンちの魚になりたい

最近、毎日のようにさかなクンYouTubeを見ています。
さかなクンを通して見る世界は、平和でいいですよね〜。ぎょぎょ🐠

さかなクンを見ているとお魚に対する「愛」を感じます。(もちろん全世界が感じていると思いますが…)
私がその愛を独断で解釈し、言語化するとしたらこんな感じ…

  • 相手🐠を深く知ろうとする

  • 相手🐠に寄り添って考えて行動する

細分化するともっとあるように思いますが、大きく分けるとこの二点ですかね。

さかなクンにとっての相手は魚ですが、これって人にも当てはまるよなぁと思います。

人も、

  • 生まれ育った環境

  • 性別

  • 人種

  • 見た目

  • 性格

  • どんな生活をしたら心地いいか

  • どんな環境を提供してあげたら心地よいか

  • 何が苦手で何が得意か

全部、全員こと細かに違うと思うんですよね。
全く同じなんて人がこの世にいたらミラクルだと思うんです。

家族ですら反りが合わないことがたくさんあるのに、他人でめっちゃ反りが合うことがあるとしたら奇跡ですよね。

さかなクン大先生が、

相手(魚の1匹1匹)をよく知ろうとして、その子の性格をなるべく理解してあげて、その子にあわせて環境を整え、ご飯を与えて…
そして、その子をよく観察し、理解しようとし続ける姿勢…

そんな姿を見ると、そこに「愛」を感じます。

「愛」ってなんぞや?と昔思った時に、以下の本を読んだことがあるのですが…(めっちゃ有名な本)

この本では、超ざっくり書くと、
本書では愛は技術であるとしていて習練で身につけられる、と語っています。(実際はもっともっと細かく具体的に書かれていますが)

  • 規律

  • 集中

  • 忍耐

「愛が技術である」という解釈に当時びっくりして超納得したのです。「愛を与える」って大変なことなのだな〜と思いますよねぇ。(バツイチ経験なりにも思うところはある…愛って、寄り添うって、相手を理解しようとするってすっごく大変だった…)

あと本書の冒頭に書かれている以下の文章を見て、さかなクン大先生は、本当に魚に対して「愛」を体現されているなぁと思います。(「何も理解できない者は生きている価値がない」は言いすぎやろがいと思いますが)

何も知らない者は何も愛せない。何もできない者は何も理解できない。何も理解できない者は生きている価値がない。だが、理解できる者は愛し、気づき、見る。(中略)ある物に、より多くの知がそなわっていれば、それだけ愛は大きくなる。(中略)すべての果実はイチゴと同じ時期に実ると思いこんでいる者は、ブドウについて何ひとつ知らないのである。 パラケルスス〔一六世紀の医学者、神秘思想家、錬金術師〕

参考: https://amzn.asia/d/9Gccw0m

YouTubeのコメントで「さかなクンの水槽にいる魚はそれだけで勝ち組」みたいなこと書かれていた方がいらっしゃったのですが…私もそう思いました…。笑
私も来世は、さかなクンの家で大事に育てられる魚に生まれ代わりたいと思うのでした。ぎょぎょ🐡


いいなと思ったら応援しよう!