e.p ”Souvenir” セルフライナーノーツ
序文
閑話
子供の頃、当時の自分にとっては時間がたつのがひどく長く、一日一日がその数倍にも感じられたようにおもう。時には「早く大人になりたい」焦がれることさえあったように思う。そして、そんな話を周りの大人に話してみると、決まって「大人になったら一年なんかすぐだよ」と言われていたのをやけに覚えている。「うそだぁ」とぼんやり思っていたのもつかの間、気がつけば生まれてから四半世紀が過ぎ、今年で齢も27歳。一日はおろか、一年とい月日さえあっという間に過ぎるようになってしまった。子供の頃、仮面ライダーのライダーベルトを腰に巻きたかった自分も、気がつけば腰痛ベルトを腰に巻いており、仮面ライダーにこそなれなかったものの、日々働きマンに変身しているわけである。自分はこの一年という時間に、それに見合った生産活動ができただろうか?答えはいつだって、敦が書いた言葉、これに尽きる。
はじめに
閑話休題。去る2023年は10月29日、TRCこと、東京流通センターにて開催された同人音楽即売会「M3秋-2023」にサークル・埼玉県として出展させていただきました。それに伴い、Itsuki MiyamuraのNew e.pとして新譜『Souvenir』を作成し、頒布いたしました。
弊スペースには以前から応援してくださっていた方や、今回初めて足を運んでくださった方など、多くの方が遊びに来てくださり、また、作品を手に取っていただけました。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
余談ですが埼玉県というサークル名やサークルカットに興味を持ってくださった方もたくさんいらっしゃり、埼玉あるあるなどもお話しできて楽しかったです。
今回の記事では新譜『Souvenir』のライナーノーツ、作品解説的な文章を書いていこうと思いますので、お時間ある方はリリースした作品と一緒にお楽しみいただけると幸いです。
制作指針
制作概要
過去に制作したアルバム作品からいくつか気に入った作品をピックアップ。
自身の今持てる作編曲スキル、及びトラックダウン技術のみを用い、過去制作した楽曲を"より効きやすい音源 "として自身の納得のいくように再構築する。
今作では、自身のみ作業で完成に至ることができる楽曲のみ対象。外力に頼らなければ完成できないであろう作品は全て選考外とする。
創作的テーマ
「お土産」「贈り物」といった比較的明るい意味合いを持つ「Souvenir」という言葉には「置き土産」と、呪いとも取れる暗い意味合いもある。制作ルーツが異なる楽曲をまとめた一枚の e.p を通して言葉の持つ二面性を表現したい。
制作ルーツが異なる各楽曲を一つの e.p としてリリースする以上、作品同士の繋がりが見えてこないことは想定されるが、それを曲順やアプローチなどを用いて可能な限り最小限に抑え、一つの e.p として完成された作品にする。
技術的テーマ
以前、自分の音楽がクラブなどで流れているところに遭遇した際、他アーティストの楽曲よりもサブウーファーの鳴りが悪いことに気がついた。
検討したところ、超低音カバーする楽器の音量の小ささと楽曲全体のトラックダウンに原因があるようなので、「ロケーションやシチュエーションを問わず、誰がどういう状況で聞いても違和感なく聴いていられる音源」を目指し楽曲を再構築する。洋楽を聴いているとクラップやスナップの音色がやたらステレオに聴こえることが多々ある。以前からJ-POP楽曲の多くが中心に音が寄っているように感じることは多く、自身の作品もその例に外れない。
本作ではよりステレオ感を意識したトラックダウンを行う。音声合成ソフト・Synthesizer Vでの仮歌制作を行う機会が増え、また同アプリにより作られたボーカルのレベルの高さが話題となっている。
自身の制作においても「最悪、外力に頼らないでも楽曲を完成させられる状況」を作る必要を感じていたため、本作では積極的に"Synthesizer V"を使用し、上記アプリケーションの扱いにより慣れるように努める。ここ数年で自身の楽曲で自身がボーカルとして音声を録音する機会が増えたため、この機会に今一度"自分の声に合った表現方法”を検討する。
バイブス
いい作品を作るぞ
自分自身も楽しく制作するぞ
どこの出しても恥ずかしくない「名刺代わりの一枚」にするぞ
各楽曲解説
Tr.01 Sun goes down
当初、アルバムの最後のトラックとして制作を始めるも、思ったよりもアンビエントな楽曲になったので、終わりというよりかは始まりの感覚を覚え曲順を変更。 実は元々BPMを少し早めに作っていたが、2mixを書き出しトラックダウンするタイミングでスクリュー(楽曲のピッチを上げたり下げたりする行為。併せてBPMも一緒に上下させる)することに。以前見たMJ ColeのAgainst The Clock でBPM80ぐらいのハネたビートを組んでからそれを一気にBPMを上げて2stepにするという技法から着想を得て制作。
最近は日々涼しくなってきており、クローゼットから少しずつ冬物のアウターを引き出す、といった日々である。十一月に入った今も自分の服の袖丈は未だおぼつかず、いつも着る服を間違えてないかを気にしている。
この時期は夏に比べて朝方と夕方の空のグラデーションが美しい。それらに名前があったり、なかったりすることを昨今SNSのおしゃれな投稿で知ることがあるが、それらの景色を眺め得る感情の名前を知ることは未だない。
秋から冬に差し掛かる今日この頃、木々は葉を落とし、その様がどこか死を連想させる。そして、それにいつもどこか惹かれてしまう自分は、いつもこの季節に言葉にできないようなうら悲しさを感じている。
Itsuki Miyamuraの作品には毎回インストを入れるようにしているが、これは自身の創作における"余白"の意味を持つ。自身の中で完成した答えに対して、リスナーが聴いた時にリスナー自身が作品について各々の答えを見出せるように、その余白を用意している。
タイトルは米津玄師の "砂の惑星" の歌詞より。
Tr.02 Moonlight
2022年リリースのアルバム"bouquet"よりピックアップ。
トラックのリファレンスは宇多田ヒカル "BADモード"より。
「BADモード」は初めて聴いた時に相当喰らってしまい、自分もこんな曲が書きたいェ…と切望するように。BADモードは配信音源もスタジオライブ音源もこれ以上にないほどスマートで、余白が多いように感じるが、これ以上に足し引きが不可能な、とてつもない名作である…
フィーリングを参考にした上でこれを自身の作風に落とし込むとしたら、と考えた結果、ちょうどいい形のポップソングに落ち着いたように思う。
ある時期、お昼ご飯を食べる時にダラダラとアニメを見ることにハマっていた。その時はちょうど「可愛いだけじゃない式守さん」を見ていて、同作では不幸体質の主人公の男の子がタイトルにもある女の子・式守さんに守られているシーンが多々ある。
それを見て「でも実際のところ、男って生き物はマジで女の子に守られている節があるよな」「男って生き物は女の子には全く敵わないよな…」とふと思い、制作に着手。
自分が敬愛するラッパー・C.O.S.A.が作品『Girl Queen』のインタビュー(というかKID FRESINOとの対談になるのかな)の中で自身の楽曲「I Can See Your Palm」について語っている動画がある。
その中で以下のように語っていたのが自分の記憶に残っている。
自身も過去に恋人と話していて「この人は俺の弱さや愚かさみたいなものを見透かした上で今こういうふうに笑っていてくれているんだろうな」と思ったことがあったな、と思い出してからリリックが完成するまで早かった。
もちろん、これは自分自身の考えの話である。この世の恋人たちの関係の全てがそういった関係値であるという風に思っているわけではないし、人の数だけ関係値というものは存在すると思う。
自分が落ち込んでいたり、なんとなく憂いが拭えないような日に、何も言わずとも手を引いて『コンビニ行こうぜ』と悪友のように笑ってくれる相手がいてくれるだけで、どれだけ心が救われることか。今回は異性の恋人として描いたけれど、異性に限らず、友人でも同性のパートナーでも、そういう僥倖をもたらしてくれる人が一人いるだけで割と人生は穏やかで、いい方向に進んでいくのかもしれないし、自分も誰かにとってそういう存在であれることを願うばかりである。
余談ではあるが「ここでキスしようぜ」というリリックについては自分でもいいリリックがかけたな〜と想う反面、マジでキモいな〜と思っている節がある。
Tr.03 Gospel
こちらも2022年リリースのアルバム"bouquet"よりピックアップ。
ビートのリファレンスはSEEDA "LIVIN’"より。
この楽曲は自分のHipHopに対する考え方みたいなものをガラッと変えてくれた楽曲である。MOROHAもリリックの中で言っている通り、HipHopやロックンロールというものは音楽のジャンルではなく「魂の名前」である。
正直な話をすると、この曲については曲の中で全て書き切ってしまっている気がして、特別な何かあとがきのように書くことができる話もない気がする。
故人のことを思い出すと、いつも「どうにかできなかったのかな」「もっとなんかしてやれなかったのかな」と考えてしまうが、その全ては"後の祭り"である。故人に対して、ただ穏やかであれと願うことのみが彼らに対してできることでありそれ以外に遺された側ができることは、きっと何もない。
この歳になってくると、同級生だったり、よくしてもらってた飲み屋のおじさんだったり、家族だったり、どんどんとそういう人たちが「会えない人」になっていってしまう。
遺された側からするとそれはどうにも寂しいことだし、嗚咽するほどに辛いようなことだけど、生きとし生きるもの全てに訪れる終わりであり、見方を変えるとそれは救いなのかもしれない。それらを憎むことは、自分にはできない。
今はもう、夢でも逢えない人がいる。
Tr.04 Luminous
2021年リリースのアルバム"Fogbound"よりピックアップ。
自身をボーカルとしてはじめて作った曲でもあるので思い入れは深い。
トラックのリファレンスは The Chainsmokers "Closer ft. Halsey"より。
MVも愛情に溢れていてすごくいいのでぜひ。
これもGospel同様に故人に対して作った曲である。そしてまた同様に作品の中で大概のことは書ききってしまっているので、これについても特筆してかけることはない。
誰かを亡くすということは自身の一部が切り取られることであるように思う。
誰かを亡くした翌日、自分はいつもどおり生きていられるか?という問いに対して、このリリックを描いた当時から変わらず自分は未だ明確な答えを出せないままでいるような気がする。だが、それから数年の生にわかったことは事実として「誰かを亡くしたとしても、自分の呼吸が止まることもない」ということである。悲しくも何一つ変わることなく世界は続いていくし、日は登り沈みゆく。時間だけが、ただ流れていく。
「バンドマンの彼氏と付き合うと曲にされるぞ!」と言う冗談話はそれなりに有名かもしれないが、それをいえば、ビートメイカーに歌詞にされてしまった人も大概世話ない話である。とはいえど、もう二度と会うこともないので、許して欲しいっすね…という免罪符を盾に、メメント・モリの精神で楽曲として過去をリリースすることに。
自分の中でも大切な曲になったな、と思う反面で「故人をテーマに作品を書く」という、自身の前に聳え立つ”禁忌の扉”に触れ、どこぞの錬金術師よろしく「持っていかれた!!!」の気持ちになったことは正直否定できない。あの世で会うことがあれば、平手の一つや二つもらってもおかしくところだろうが、それらを甘んじて受け止めたいところである。
Tr.05 Azure
こちらも2021年リリースのアルバム"Fogbound"よりピックアップ。
トラックのリファレンスは存在せず。夏に際した楽曲を作りたいと思い、2021年リリースのアルバム"Aurora"から陸続きのバイブスで作った記憶がある。
Azure(仏: azur)は青系統の色を表すフランスの言葉である。余談だが、神戸・舞子浜の公園一帯はアジュール舞子という名前があり「やたらとおしゃれな名前やな…」と思った記憶がある。
いつか夢で見た「砂浜を歩く女性」の景色がどこか頭から離れず、それを作品にしたいと思い制作。
海のない埼玉県に暮らしていることが原因なのかはわからないが、夏の手前、誰もいないような海にどこかで憧れがある気がする。
制作にあたりイメージしたロケーションは江ノ島のロードサイドのビーチだが、夢で見た海の景色はどちらかというと宮古島のビーチの方が近い印象がある。一体いつも夢に見る景色はどこが元になっているものだったのか… そして夢に見るあの女性は一体誰なのか… 十数年前にみた夢のことだが、未だにわからないままでいる。
日々は長い人生を前にしては全てが一瞬、瞬きの様であり1秒前のことは全てが過去である。美しいような日々もいくら言葉に書き留めたところですぐに歴史的遠近の彼方へと過ぎ去ってしまうが、それを憂うことはひどく愚かなことであるように感じてしまう。全て失われるからこそ美しいのであり、終わりのないもの、ただ惰性で続いていくようなものは、自分に言わせればすべらかく美しさを持たない。
酒を飲みながらくだらないような話をダラダラとするあの時間も、部屋の窓から外に咲く花をぼんやりと眺める時間も、全ては失われるからこそ美しいのである。
なお、リリックの一部「やけに残った汐の香り 八月や楼下」は正岡子規の句「八月や 楼下に満つる 汐の音」からの引用である。
Tr.06 Doughnut
2022年リリースのアルバム"Doughnuts"よりピックアップ。
ビートのリファレンスはSTUTS "Presence"より。
前作"Doughnuts"に作ったビートであり、リリックは "Doughnut Repair"としてアルバムに収録したものである。
なお、Doughnutsに先のリリース時点のビートよりキーが上がっているが、これは自身のラップに対して元のビートのキーが低く感じていたためである。
ドーナツの穴を穴だけ切り取ることができないように、自分自身に空いたその穴をなしとして自身を証明できるのだろうか。
ここでいう穴を「亡くしたことの寂しさや喪失感」と定義するのであれば、これほどに痛みを伴うアイデンティティは他にない。そしてまた同様に、その穴の存在は自身の存在ででしか証明でき得ない。自身は痛みとともにあり、痛みと自身は切って離せるものではない。いつだって、失うということは断腸の思いである。
制作したアルバムの特設サイトには古代ローマの詩人・マルティアーリスの言葉を引用した。
今となってはこの言葉がその全てであるように思う。
誰かを想うための言葉はこの世にいくつでも存在するが、おそらくオレンジの片割れ という言葉以外に食べ物を使って表現するのであれば、ドーナツはきっと一番わかりやすいものである。何よりドーナツ、おいしいし。
自分が暮らす街には昔からずっとある純喫茶があり道路に面している窓から店内がよく見える。夜、その辺りを通るとぼんやりと中の明かりが外に漏れていて、なんとなくホッパーのNighthawksのことを思い出す。あの作品な青っぽい色に哀もの悲しさが漂っている。好きな絵画の一つである。
また、よく行く別の純喫茶では未だに紙煙草が吸えて、リリックを考えているとさっき火をつけたはずの煙草がもう灰になってしまっていることが多々ある。珈琲の香りに混ざるキャスターのバニラの匂いはどこか落ち着きがあってとても好きだ。
余談だが、自分のバースの文字数は238字であり、前後半はともに119字である。また、1バースの秒数は39秒、前後半ともに19.5秒である。
Tr.07 River
アルバムの一番最初の曲としてトラック制作を始めるも、思った以上にエンディング感が出たため順番を入れ替え一番最後の曲に。
トラックのタイトルは美空ひばり「川の流れにように」より。
はねた感じのピアノをベースにアコースティックな編成となったがアルバム全体を締め括る作品として相応しい作品のようにおもう。
自分はピアノという楽器が好きである。フォルムや音色、見せる表現も多種多様で、また自分の想う形を表現するためには必要不可欠な楽器であるように思う。そのためかとりあえず迷ったらピアノのトラックを立ち上げてしまうものだから、気がついたらほとんどの曲にピアノの音色が入っている気がする… 一度ピアノを使わない楽曲を作ってみるか?とも考えたが、それはまた別の機会に…
日々は川の流れのようだ、とふと考えることがある。
晴れた日には水面が美しく煌めき、穏やかに流るる。またある時には雨が降り荒々しく流れることもある。自身がどれだけ穏やかに努めようとしても、外力による影響は免れないものであり、それにいかに振り回されないようにするかは、現代社会を生きることにおいて必要なスキルの一つのように思う。
Tr.08
有料部分「追加記事」にて解説。
跋文
閑話
ここまでつらつらとアルバムについて書いてきたが、気づけばこの時点で七千字を超えてしまい(おそらく全文を通すと一万字強と言った具合になるんじゃないだろうか)卒業論文でも書いてるのか?と言った気持ちに。
そもそも自分の作品について解説という形で文章を書き足す行為に対して文字通りの”蛇足”なのでは?という考えが頭の中で見え隠れする。「あんまりよくないのかな」とおもう節があるものの、全ての作品は誰かに対して伝わることで初めて意味を持つものである。少しばかり、与えた余白に対して補助線を引く程度のことはしても良いのかも、と思い今はこの散文とも言えるライナーノーツを書いている。
制作を終えて
本作はItsuki Miyamuraの作品をここから聴き始める人にとっても、また今までも聴いていてくれていた人にとっても楽しめる作品になったように思う。入口としても、一つの答えとしてもその役割は果たしているようにおもう。紛うことなく「名刺がわりの一枚」としてこの作品は成立するだろう。
そもそも、作品全体が旧譜からピックアップしたRefineベースの作品であることから、普段のような長期制作ではなく、当初は数ヶ月単位の超短期制作を想定していた。だが、普段の仕事の傍ら細々と制作を行っていたことに足して、約二年ほど闘病していた父が亡くなったことにより、その葬儀や遺品整理、諸々の手続きなどが重なり忙しなく過ごすことに。結果、当初の予定よりも制作期間が圧迫されてしまったわけだが、それでも無事に今作をリリースすることができたことは嬉しい限りである。
技術的、創作的テーマとして掲げていたものも概ねクリアできたように感じており、現時点では本作はItsuki Miyamuraの作品の中で一番聴きやすいものになっていることは間違いない。自身も本作の出来栄えには概ね満足している。
おわりに
ここまで長々と書いてしまいましたが、以上でセルフライナーノーツを終わります。ここまでお読みいただき誠にありがとうございます。
毎度、一つの制作が終わった後「次何を書いたらいいかもうわかんないよ〜〜〜ッ」「もう描きたいものなんてないよ〜〜〜ッ」という気持ちになり、今現在もその最中であるわけですが、しばらくするとまたさまざまなものから影響を受け、ひっそりと筆を持つことになるだろうとおもうと焦ってDAWを開く気にはならず、ここ数日は部屋の掃除をしたりただ惰眠を貪ったりと平穏に暮らしています。これが自分の生きる道、性ってことなのかもしれない。
現時点では次回作がいつになるかは全く未定で、もしかしたら年内にまたシングルを出すかもしれないし、また下手したら今作が最終作、または遺作となる可能性さえあります。もちろん制作を続けていく所存ですが、全ての予定は未定。人生何があるか分からないので。
ただ、また次に作品を描いて皆様に向けて発表するときは、また胸を張って自分でも満足できる作品を書けたときだったらいいな、と心から思います。
また、次回の作品のライナーノーツという形でまたお目にかかれることを楽しみにしております。
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