公共空間における人のつながりの段階とデザイン|都市を学ぶ④
街に出てまちを考える、デザイン思考に基づいた実践的な学び
今年の6月に正規の留学期間が終了してから、同じアムステルダム大学のサマースクールに参加し、Placemaking(公共空間の場づくり)について地元のコミュニティと協働しながら3週間みっちり学んでいた。一応北欧とはいえ、30度を超える7月の炎天下の中毎日自転車を漕いで通学し、週に1回以上はフィールドトリップで数時間歩き続けるのは正直堪えたがが、頭と体で街を感じながら濃い学習期間を過ごせたように思う。
このPlacemakingのサマースクールはデザイン思考に沿った実践的なプログラムになっており、3週間と期間が限られるためEmphasize(共感)、Define(問題定義)、Ideate(アイデア創出)までしか進めることができず、プロトタイプまでは行うことが叶わなかったが、最も体験したかった「ユーザーと実際に関わって物事を進めること」ができたのはとても貴重な体験となった。
公共空間での人々のインタラクションを5段階に分けて「はしご」に例える
さて、サマースクールで実際に何をしていたのかの詳細は気が向いたときにまとめるとして、今回はそのサマースクールの2日目の授業に出てきた「公共空間でのインララクションのレベル」の話がとても印象に残っているので、自分の脳内整理も兼ねてnoteを書くことにした。
現実世界での「はしご」概念と各段階におけるインタラクションのデザイン例
この「インタラクションのはしご」モデルによると、公共空間での人々のインタラクションには5段階ある。(以下の図の通り)
はしごの最下段=インタラクションの最も低いレベルから順に説明していくと、
Civil inattention = 集団的無関心
街中ですれ違う人たちをいち個人としてその装いや行動に注意を向けない状態。
「すれ違い」のデザイン例:Shared space (標識や信号を極力減らし、車や自転車、歩行者らがあえて同一の空間で移動するようデザインされた場所)
Functional Inconvenience (機能的不便利。あえて狭い道を作ったり、人が少し曲がって通らなければいけないようガードを設置したり)
People watching = 人間観察
人間観察はするが、話すことはしない。他者を理解するプロセスであると共に、ジャッジする瞬間でもある。
「人間観察」のデザイン例:道端の椅子
広場の無造作に見える階段
バルコニー、テラス、全面ガラス張りの窓など、高いところからより低い場所を眺めることも
Fleeting interaction = 束の間のインタラクション
バス停などで落とし物をしたり、道端で犬やその飼い主に話しかけたり、その場限りの会話を交わす。このレベルから「会話」が生じ始める。
「その場限りの会話」のデザイン例:変な形の置物やゆるキャラを道端に出現させる
Street Debater (路上で通行人に対して問題を提起し、世論を硬貨で可視化する職業/行為者。詳しくは考案者木原さんのこちらの記事へ)
(会話のきっかけとなるものと考えるとイメージしやすい)
Repeated interaction = 反復されるインタラクション
生活の中で同じ顔を高頻度でみるいわゆる顔見知りとなり、世間話を交わすことも。入り口がある程度限られるのが特徴。
「顔見知りとの会話」のデザイン例:地域のカフェやストリートマーケット
定期的なイベント
Enduring interaction = 永続するインタラクション
ある公共空間での体験が関わる人たちの間で共有され、深い関係性が醸成されていく。共に何かをすることがキーポイント。
「継続する深い関係性」のデザイン例:コミュニティガーデン
子ども食堂
(Co-creation、共創する体験全般)
ただ、このモデルについて授業中に他の学生から上がった意見なのだが、はしごに例えられているからと言って段階を踏む必要はない。確かに、ある空間において 2: People watching のデザインが無い(例えば人間観察できる椅子が無い)からといって 3: Fleeting interaction のデザインを実装できない(ゆるキャラが歩いていけない)わけではない。確かに他者への無関心から他者との共創までは明らかに人間関係の深さの度合いが違うが、これら5つの段階に優劣や前後関係はない。(ただ4の段階にある顔見知りが多ければ5のコミュニティづくりがやりやすいというのはあるかもしれない。)
インターネット(Instagram)上での「はしご」はこんな感じ?
最近このインタラクションのはしごを思い返した際、これはきっと現実世界の公共空間のみならず、インターネット上にも通じるのでは?と思い始めた。例えばInstragramひとつをとっても、日々無数に流れてくるおすすめや広告において、発信者はおろかコンテンツそのものも無意識にスルーしていることが多いはず。上記にある現実世界でのモデル通り綺麗に分けられなくとも、とりあえずそれに当てはめてネット上の公共空間におけるインタラクションを考えてみたい。
今回は私が日々一番使用するソーシャルメディアであるInstagramを例に取り、金銭的・物質的対価が生まれる行動(アフィリエイトなど)は抜きでインタラクションを見てみると、
Civil inattention = 集団的無関心
レコメンデーション、広告、フォローしている誰かのコンテンツが目に入ってもスルーし、すぐ忘れる状態。街中で他者とすれ違う様子に似ている。
Instagramにおける「すれ違い」のデザイン例:タップorスクロールでストーリーや投稿コンテンツをスキップできる仕様
People watching = 人間観察
レコメンデーションのページや誰かのプロフィールを眺めている状態。コンテンツや発信者に注意を向けている状態だが、相手は注意を向けられているとは知らない。
Instagramにおける「人間観察」のデザイン例:ユーザーが「観察」したくなるようレコメンデーションを集めて表示し、常に更新し続ける
プロフィールページからその人の投稿を時系列に全て覗けるようにし、その発信者がどのような人かを公開設定範囲内にいる人は好きなだけ観察できるが、誰に見られたかユーザー自身は知らない
Fleeting interaction = 束の間のインタラクション
いいねやコメントなどによってそのコンテンツ上のみで生まれるその場限りの関わり。
Instagramにおける「その場限りの関わり」のデザイン例:ストーリーや投稿コンテンツにいいね、スタンプなどによって簡単に何かしらの反応を送ることができる仕様。反応を受けた側は必ずしも反応し返さなくて良い
Repeated interaction = 反復されるインタラクション
ある発信者のコンテンツが繰り返しレコメンドされ、それらにいいねや保存といった反応をするうちにお互いのアカウントを認識するようになる。現実世界と同様、「興味関心」によってバブルの入り口が限られる。
Instagramにおける「アカウント見知り」のデザイン例:同じ興味関心を持ち、同一トピックでの投稿を繰り返すユーザーのコンテンツを優先的にレコメンドする仕様
Enduring interaction = 永続するインタラクション
現実世界と同じく、ある体験が関わる人たちの間で共有され、深い関係性が醸成されていく。共に何かをすることがキーポイント。
Instagramにおける「継続する深い関係性」のデザイン例:複数人で同じアカウントを運営し、情報発信をする
不特定多数のユーザーが同じ社会問題に一石を投じ、世論を形成する手段の一つとしてハッシュタグ(#)で意見を主張する
これを現実世界でのはしごと比べてみると、異なる点は多くあるが、私が特に面白いなと思った点として、
①2のフェーズで意識を向けるのが人間(発信者)以外にコンテンツそのものにもなり得る
②3で二者が何らかのつながりを持つが、それは見知らぬ人同士でも既知の仲でも成り立つ
③3で二者が何らかのつながりを持つ方法が会話とは限らない
がある。このような特徴をうまく応用し、フォロワーを増やしたり金銭的・物理的対価が生まれたりしているのだなと素人ながらに想像を巡らせる。
人と人のつながりと街を好きになること
インターネットがどうのは一旦置いといて話を戻すと、記事の前半で触れた人と人の相互関係があるかないかって、その街にいる人々が抱く街への親しさや愛着みたいなものにすごく影響してくるように思う。私が実際に留学先であるオランダという国・アムステルダムという都市が大好きになった大きな理由の一つが「人とのつながり」であった。その辺りを伝わりやすく言語化することがまだできていないが、言葉にできる頃には私自身にとっての思考の財産として改めてnoteにまとめようと思う。また、卒論の方向性としてこの人とのつながりと街への愛着を研究する予定でいるため、この記事を見て何か思うところがあればどんな小さなことでもぜひ私に教えていただきたい。
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