嘘のような本当の話
時折ふと思い出しては、あれは一体何だったんだろうかと不思議に思う経験がある。
あれは2010年(2009年かもしれない)、季節は夏か秋だったと思う。平日の午後に私は東京メトロ東西線に乗っていた。私(以下、甲)は優先席を背にして立っていた。
飯田橋駅に止まっていた電車の扉が閉まろうとしていた時、サラリーマン風の男性(以下、乙)が駆け込んで乗車してきた。乙は甲の前に立ち、乙のすぐ真後ろの網棚(A)に書類封筒(と呼ぶのだろうか。A4の厚手の茶封筒で、ついている紐でくるくる巻いて封をするアレ)を載せて熱心に新聞を読み始めた。
その後2分程度で神楽坂駅に到着し、乙はかなり大急ぎで下車した。ふと、甲は乙が網棚に置いた書類を忘れていることに気がついた。しかしながら甲が気がついた直後に電車の扉が閉まってしまったため、甲は降車する駅で駅員に状況を伝えて書類を渡そうかと考えていた。終点で回収されるよりは状況がはっきりとしていた方が乙から東京メトロに問い合わせがあった際にスムーズに対応してもらえると思ったからだ。
電車が発車し早稲田駅に向かっていると、同じ車両で座っていたスーツを着た身なりの綺麗な男性(以下、丙)が立ち上がり、こちらへ歩いてきた。そしてAにある書類封筒を立ち止まることなく手に取り、そのまま甲の背後の車両へと歩いて行った。
甲はいま目の前で起きた出来事にあっけにとられた。振り返って丙を確認したかったが、なぜかしてはいけないような気がしてできなかった。乙が駆け込み乗車をしてから丙が書類を回収するまで3分足らずの出来事である。もし乙が車内に同僚の丙がいたと知っていて連絡したとしても、普通であれば丙はどこに書類があるのかと多少なりともキョロキョロするはずである。それがない上に、乙が降りてから丙の回収まで手際が良すぎる。それに、あの慌てて降りた乙が1分もかからずに車内にいた丙に手早く連絡を送れるだろうか。丙がメッセージを受け取って状況を理解し、書類の場所を確認して歩いてくる時間を考慮すれば1分どころか慌てて降りた2, 30秒以内には連絡を完了していなければならない。しかも当時はまだガラケーが主流な時代であり、今のようにLINEでスムーズにやりとりをすることもできない。そもそも、甲が乙の立場であれば乗車時間が2分程度の場合書類をわざわざ網棚に置かないし新聞だって広げない。
こうして書いてみると直接的な恐怖や不可思議な体験というわけではないのでインパクトに欠けるが、目の前でドラマや小説内のような出来事が起こるとかなりの衝撃を受けるものだ。甲の前で取引されたものが違法なものではなく、多くの人々を幸せにするものであったことを切に願っている。そしてこの記事を読んだ方の中でもし何かこの手の出来事に対する識者がいらっしゃったら、甲のモヤモヤを晴らすためにもぜひ情報を提供していただければ幸甚である。