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#インフラストラクチャー
【開業151年】 鉄道論議は尽くされたのか?
義父は、国鉄の保線区員として長く働いた。大雨や台風の日には家に帰らず、路線の保安と復旧に当たった。冬は北海道の雪深い保線区の応援に出かけ、何日も帰らなかった。
戦争中、少年義勇兵として満州(現中国東北部)に渡り、戦後迷わず国鉄に入ったのは、南満州鉄道を力強く走る列車に、心を激しく動かされたからだそうだ。当時、近隣の貧しい農村の若者の多くが満州に渡ったと言う。義勇兵時代に落馬して片手の骨が捻れ