自分をコンテンツとして生きる

私は普通の会社員をしていまして。
まあもともと就活も転職前提で動いていましたので。
今でもずっと頭の片隅に「転職」があるわけなんですが。
最近よく思うことがある。

自分をコンテンツとして生きてる人っていいなあ。

職業柄、イラストレーターさんなど、ご自身の才能みたいなところで仕事をしているいろんなかたとよくご一緒させていただくんだけど、
私は会社員として、つまり会社の一部として、その人の才能、ひいてはその人自身にお仕事をご依頼して、お金を払って仕事をしてもらっているわけで。
そういうの、すごくかっこいいなととても思う日々なのです。

もちろん、そういった人たちは個人事業主だったりすることが多くて、
私たち企業という、いわばより強い立場から仕事を依頼されたら、場合によっては断れないようなこともあるんだろうなと思うし。
無茶なスケジュールでもその仕事を受けざるを得なかったり、
理不尽な条件でもお仕事をしないといけなかったりご自身のやりたいことはできなかったりもあるだろうし、
自分の立ち居振る舞いが本当に直接的にご自身の仕事に影響しているだろうし、
ご自身のコンディションが、すべてに影響しているだろうし、
何より自分自身がコンテンツになることだったり、生み出すことの苦しみっていうのはきっと計り知れないものがあるだろうなと思います。
そのあたりは、もちろん実際の大変さはなにひとつわかってないけど、でも何も想像せずに手放しに、いいなーと言っているわけではありません。
自分にそれができるとも思ってないし。

ということをずっとなんとなく考えていたんだけど、今日このnoteを書こうと思ったきっかけは、
「やすとものいたって真剣です」という番組でお~い!久馬さんとノンスタイル石田さんの回を見ていたときのこと。

アンタッチャブルの柴田さんがケツメイシのライブのMC台本を久馬さんへ依頼した話。
もともとケツメイシの台本を依頼されていたのはアンタッチャブル柴田さんで、でもそれがなかなか難しく、そこでぱっと久馬さんの存在を思い出し、柴田さんから久馬さんへ依頼したというお話。

わかんないですよ、わかんないですけど、
あーそういうことが起こるのか、って思いました。

芸能人はまさに「自分をコンテンツとして生きる」の最たるものだと思っていて。
でもきっとそれに伴う消費というか、代償というか、そういうものもきっととんでもないから、
本当に限られた、選ばれし人びとしかできない職種なんだろうなと心の底から思います。
だから、「自分で勝負している人」たちは芸人さんも、アイドルも、俳優さんも、みんな本当に尊敬する。
そんな生き方、憧れでしかない。自分はできないと分かっているから、思う存分、純粋な気持ちで「憧れられる」なあと。

でもこの柴田さんの話を聞いたとき、ああそっか、と。
芸能人のかたたちは、ご自身がコンテンツになられていることはもちろんすごいことなのだけれど、
ご自身がコンテンツとして生きているから、「ご自身の人脈で次につながる」ということがたくさんあるんだなと思ったとき、
今まで感じていた以上に、とってもうらやましくなりました。
それは今までのように一線を画したうえでの「うらやましい」という感情ではなく。
あー、だから、うらやましくなるっていうのは違うか。
なんというか、「あー私の生きたい生き方ってそれだなあ」って。

ちょうど直前に見ていた、「かまいたちの知らんけど」でも、山内さんはご自身の人脈がすごいというお話をされていて、

そういう生き方であったり、お仕事の仕方であったり、なんだかそれがすっごくうらやましいなと思いました。

雇われている会社員だと限界があるところ。

でも、人としゃべること、人といること、人と繋がることがとにかく好きな私にとって、とてつもなく魅力的な働き方。

パズルのピースをひとつ拾ったような気分になりました。

まあもっとも、このピースはもっとたくさん拾い集めて、そのあと「パズルを完成させる」という作業をしないといけないんだけどもね。

自分の生き方、ちゃんと考えたい24歳金曜日の夜でした。

今週も皆さまおつかれさまでした。
来週も、おきばりやす。(おちょやんが日々楽しい私より)


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