公然わいせつ罪の存在意義を再考する。

 何故公然わいせつ罪が存在するのかを考えることは、テクノロジーの進展が激しい現代において有意義である。
 公然わいせつ罪がない世界を考えよう。工場前の河原で男女が性行為をしているが、誰も咎めるものはいない。寧ろ性的に興奮した男が集まりだして、自慰行為をやり出す。それを横目で見ながら工場で生産活動に従事する労働者ら。という風景が思い浮かぶ。
 公然わいせつ罪がなければ、仕事どころではないのである。道路に面した住宅の庭で性行為に耽る男女が居たら道を歩くどころではなくなるのと同じだ。
 公然わいせつ罪は、わいせつ行為が経済活動に悪影響を与えないようにする為の法律であると解することができる。
 したがって、他者に見えるようにして18禁ゾーンからレジまでAVを移動させることを許可するレンタルビデオ屋の店主やアダルトビデオを電車で見せびらかすことは公然わいせつ罪にあたるものと考える。因みにピンサロは公然わいせつ罪にあたるようだ。日本では潜在的に法令違反が常態化している場合があるので注意せよ。

いいなと思ったら応援しよう!