勤労偏重社会から勤労消費自己投資金融投資バランス社会へ
日本では、法定労働時間週5日、40時間労働であり場合によっては+45時間労働+サービス残業できてしまう。裁量労働制適用された研究者などは青天井である。異常な程の勤労偏重社会であると思う。多くの労働者は消費、自己投資、金融投資に割く時間が無く、生きる意味を見失った奴隷と化している。長時間労働にハマる奴隷には、衛生的な住環境、スマートな衣服、バランスのとれた食事、自由で健全な恋愛と結婚生活、見聞を広める為、スマートな外見となる為の自己投資する時間、資本家の仲間入りとなる為の金融投資する時間は与えられない。
私は、勤労偏重社会から勤労、消費、自己投資、金融投資バランス社会への移行を提唱する。投資において時間的分散、項目的分散投資が推奨されているのと同じである。そもそも勤労に一点集中する日本社会の在り方が非合理的なのだと思う。自殺が起こるのも、一点集中型社会によるものだと思う。
何故、勤労に一点集中してしまう傾向にあるのだろうか。やりがい搾取という言葉もあるが、日本人は自己実現と労働を重ね合わせてしまう傾向があると思う。斯くいう私も会社で何かを成し遂げたいと考え入社したし、その為に大学大学院、帰社後の自己研鑽などに励んでいた。今となっては、外見に対する自己投資、恋愛、衛生的な住環境を整えることなども重要であると感じているし、勤労偏重になってこれらを蔑ろにしていたことを後悔している。
勤労に集中してしまう、もう一つの理由は、学校教育にもあると思う。所属する部活は一つに限られるし、途中で退部することは良くない風潮がある。高校野球でもそうだが、多額の資金、時間を投資した結果、たとえ甲子園で応援団要員になったとしても一点集中で努力した過程が美化されてしまうのだ。資本主義的に、客観的にみれば、応援団要員になってしまうというのは、投資の失敗を意味するにも関わらず。日本はどうも一点集中型資本主義のようだ。1億総火の玉の時代から変わってないのだ。特権階級の死はその他大勢の死を意味するのだ。
勤労偏重社会の末路は悲惨だ。長時間同じ職場に固定化された、労働者の多くは、どんどんとくたびれてしまう。私が入社した企業の上司は、年収1,000万円は軽く超えていただろうが、何故か靴はボロボロだし外見もくたびれていた。斯くいう私もストレスで太ったし、勤労のことが頭から離れなくなるということさえあった。貯金は積み上がるが、消費活動に費やす時間がないので、そこら辺を歩く大学生よりも洗練されておらず、社会の潮流に乗っかれず古臭い道具を使いこなすことになる。カラオケに行っても流行りの曲についていけないなんていうシーラカンスにもなってしまう。
一刻も早く、勤労消費自己投資金融投資バランス社会へ移行すべきだ。その為には、ゼネストを起こすべきだと思う。要求事項としては、夜間営業の縮小、週20時間労働の実現、ギャンブル、性風俗規模の縮小又は禁止、労働の合理化、無駄の削減、タワーマンション規制、新築住宅規制などを要求する必要がある。大阪万博で木製リングを建築させて1年後に撤去することで利鞘を得ている既得権益の存亡など興味はない。
スタバで洗練された多くの美女を見て感じたことを書いた。