下手でもいいんです!

 カラオケとか、歌が上手くないと面白くないと敬遠してしまうかもしれない。けど、下手でもいいんです!
 学校教育は何でも競争させる風潮をやめるべきだ。クラス対抗合唱コンクールなど歌に対してトラウマを植え付けるだけのイベントになっているのではないだろうか。競争させると十中八九、敗者が発生するし、敗者の方が多数派になる。敗者は落ちこぼれ根性が染み付き、自分は歌が嫌いと思うだろうし、勝者は勝者で少数派になるので浮いた存在になりうる。勝者は社会に出て歌が上手いと言われていた自信が粉々に打ち砕かれる可能性が高い。そして歌が上手いと過信して、NHKのど自慢大会に出場して失笑および鐘一つを喰らうのだ。
 歌は歌いたいときに歌うもので、競争するものでは無い。歌を歌いたいと心から思う人が結局最終的に大成するのだから、競争というフェーズは不要である。
 これは運動会、体育祭といった学校行事も同様だ。私は高校生1年のとき、騎馬戦の騎手をやったのだが、開始2秒くらいで背後に居た奴にやられてしまった。あれ以来私は体育祭が大嫌いになった。騎馬戦を思い出しただけで虫唾が走る。体育祭のお陰で私の騎馬戦プロ騎手の夢は絶たれたのである。
 なんでも競争させる学校教育には違和感しかない。わざわざ、大量の敗者(一学年100万人とすると、90万人くらいが敗者か。)を作って、自信喪失させる日本の学校教育が憎たらしいまである。
 競争させなくても、続ける奴は続けるし、大成するのだから放っておいてくれ。私はnoteを記載しているが、このモチベーションは”ビュー数を増やしたい”という願望からではない。ただ、自分の意見を世に広め、この暗黒な社会を脱したい欲望、文章でどれだけ高密度に情報を載せることができるのか追求したい欲望、そして文章の力で社会が変革するのか見届けたい欲望からだ。そこに”誰よりもうまくなりたい”という欲望はない。私は競争がなくても大成するのである。
 ここで久しぶりに我が日本強共産党のマニフェストが生み出された。
 •学校教育において、スポーツや文化行事における競争を禁止する。いや、スポーツや文化行事の実施を禁ずる。

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