“旧帝大”というのをやめよう。
一応、私、大学は関関同立いずれかの私立、大学院は国立に通ってました。大学院は、”旧帝大”でした。恥ずかしながら、最初に、”旧帝大”という言葉を知ったのが、大学院受験の際でした。
“旧帝大”といえば、なんだか、誇らしく特別な気持ちになります。他の大学とは違うのだ、と誇らしくなります。大学院進学時、そのまま同私立大に進学した友人や同じ研究室所属の学生らを、はっきりいって、心の底では、「私は、この人たちとは違うのだ。」「なんて呑気な奴らなんだ!」と考えていました。
ですが、歴史を紐解くと、帝国大学(The imperial universities)が本当に誇らしいかどうかは疑いがあります。帝国大学は、英語で、皇室の大学と言われるらしいです。つまり、皇室の為に忠誠を誓う人材を輩出するということでしょう。旧帝大出身者が指導層に多く居たであろう第二次世界大戦期。多数の日本人を”ヒト”扱いせず、戦争マシーンとして送り出し、若い女性を公娼制のもと慰安婦、いわばセックスマシーンとして労働させたのが、皇室および旧帝大出身者なのでしょう。旧帝大出身者だからといって、倫理観が素晴らしい訳ではないのです。“旧帝大”は、そんなに誇れるものではないのです。今後は、”旧帝大”という言葉さえ、使わないようにすべきだと思います。