「ランタナ」 歌詞、MV、設定
歌詞
「さよなら」
また会えるかな
あのランタナが廻る、陽は落ちて
くよくよして振り返る
待つ、君だけもういない
ひとりきり
これが何度目って聞かれても
君が初恋と思った
そんな勘違いも愛おしく
思えて幸せだったよ
らららった もう一度
らららった 口遊む
らららった もう二度と
これでさよならだね
「さよなら」
また繰り返す
泣く、君には背を向けて
ひとりきり
取りこぼした未来と記憶
生きた道を辿って
清く正しくありたいとか
思うと悲しくなったよ
らららった もう一度
らららった 口遊む
らららった もう二度と
これでさよなら
らららった もう二度と
らららった 来ない日を
らららった もう一度
願う
願う
これでさよならだね
歌詞のこと
マナマナは今、活動以外の時間で介護をしています。ある日、夜にお休みのお手伝いをしていると、その方がふと「私は幸せになり損ねたの」とおっしゃったことがありました。その日は夜勤だったのですが、その日は夜中ずっと、その言葉を頭の中で反芻していました。私は主に障がいのある方の介助を行なっているんですが、その中で私が介護職に触れなければ得られなかった気づきがたくさんありました。例えば一緒に街へ出かけた時、いつもなら5秒で辿り着けるビルに、車椅子で移動しているためにたった二段の小さな段差を登ることが出来なくて、大きな回り道をして目的のビルにたどり着くまでに20分かかったことがありました。実際にそれを経験するまで、私は街がここまで健常者寄りに作られているということを実感することが出来ませんでした。
障がいに限らずとも、多くの人の普通を基準にこの世界は作られていると思います。
(同列にして比べて話すことは、どんな出来事や状況・人や物に対しても出来ません。)
この歌では同性を好きになる、ということをテーマに歌詞を書きました。
今は多様性の時代なんていうふうに言われて、LGBTQ+に理解を示すような動きが世界で起こっていますが、でもやっぱり、自分がいざそういう気持ちを抱えないと、気づくことが出来ないことばかりだと思います。本当に同性を好きになって初めて、この世界がどこまでも、異性を好きになることが当たり前に作られていることを本当の意味で感じることが出来ると思います。
どんな人にも多くの選択肢が与えられているように思えるかもしれませんが、たとえ多くの選択肢を用意したとしても、それを選べるのかといえば話は別なんだと思います。目の前に求める選択肢があったとしても、すぐ手の届くところにそれがあったとしても、どうしても一番取りたい選択を出来ないことは、当たり前にあると思います。あえて選ばなかった、選べなかった。
「幸せになり損ねた」、その言葉を思って、私は"ランタナ"という歌を書いていきました。
ランタナ、というお花には毒があるそうです。
また、その繁殖力の強さから「植えてはいけない花」と呼ぶ人がいるそうです。
「〜してはいけない」と自分に言い聞かせる時はもう大体そうなってる時だと思います。もう気付いちゃってるけど、でも色んなことを思ってセーブをかけようとしてるんですよね、きっと。
この恋の名前が「ランタナ」みたいな、そんな感じです。恋したくなかった相手に恋してしまって、それが毒みたいにどんどん自分を駆け巡っていくみたいな。
恋って視野めっちゃ狭くなるじゃないですか。で、過去の記憶とかもなんか全部薄れて今が全てみたいな気持ちになって、そうやって新しく恋に落ちるたびに「やばい、こんな好きになった人、初めて…!」みたいな、そういう勘違い(その時は勘違いなんて思わないけど)起こすことありませんか?
恋をした相手に「君が初恋!」なんて言われても、きっとそれは勘違いだよ、って冷静に思う自分もいるんだけど、でもその勘違いをしてくれていることが嬉しくてあったかくて可愛くて愛おしい、みたいな。別れの時が来た時に、ふとそんなことを思い出して、ああ、そんなことを愛おしく思えていたのって、ほんとうに幸せだったなあ、って振り返るみたいな感じ。
この歌は主人公が2人いて、1番と2番がそれぞれの子が思うことを書いてるみたいなイメージなんですが、2番の「さよなら "また"繰り返す」は、初恋だ、なんていうのは勘違いだったってことの証明っていうか。2番の子(佑月 MVではみづポが演じてくれました)はこれまでも恋をしてきて、その恋を自ら終わらせてきてる。ふたりからひとりになることを繰り返してきている。
ずっと"そう"じゃなく生きられるかもしれないみたいな微かな希望を抱く自分もいるけど、"そう"でしかない自分もいつもいて、何度も何度も目の前にある手を手繰り寄せても最後には自分からその手を解いてしまう。父とか母とか兄弟とか親戚とか友達とか…今まで自分が生きてきた時間の中で関わってきた人にかけられたみんなの当たり前に沿った言葉がずっと頭の中でこだましてて、思い出すたびにどうしようもなく傷ついて。自分にも恋をした相手にも、こんな気持ちを諦めようよって思いがある。
Music Video 設定
主人公:陽葵(演:みお)、佑月(演:みづポ)
歌詞は特に、2人の視点を織り交ぜて書いていきました。
1番が陽葵(演:みお)、2番が佑月(演:みづポ)目線です。
MVで描いた表から見えるキャラクターのイメージ的には名前は真逆なんですけど、内面的なことを思うとこの名前がぴったりなんです。
陽葵は「ひまわりなんてつけて・・うちこんな根暗なのに…ほんと…名前負けだよ」みたいなこと思ってたり実際に口にしたりするんですけど、佑月にとっては陽葵は太陽みたいに眩しいと思えるような存在で、「ぴったりだよ、名前」みたいなやりとりがあって欲しいと思ってます!!!(圧)
あれでしょうね。佑月が陽葵にちょっかいかけるようになるきっかけはほんと些細なことだと思います。なんか、全校集会とか体育の授業中とか…大勢がわらわら動いてるような時に、誰もが無視してなんなら足で蹴って遊んでるような床に落ちてたゴミとも呼べないようなゴミを拾ってゴミ箱にちゃんと捨ててた、とか。やたら掃除が丁寧だとか。靴を引きづらないとか。身内の流行りにむやみやたらに乗らず、みんなが持ってる何か(例えば実際に私がイイなと思ったエピソードで、みんなタイヤがやたら太いとかカゴがなくてスタイリッシュ とかっていう高級チャリを手に入れることがそのコミュニティのブームだったんですが、とある人だけボロボロの中古のママチャリに乗っていて、"いいでしょ、私の愛車〜"って自慢げに見せつけられ、最高の気分になったことがありました。)に興味を示さないとか…。そういうことを陽葵がしてて、えっいいじゃ〜ん。みたいな。
最初は話しかけても話しかけてもなんかぶっきらぼうというか愛想ないんだけど、次第に言ったことに笑ってくれたり放課後何も言わずとも「一緒に帰るんでしょ?」と言わんばかりにちょこんと待っててくれたり。そういうことをしてくるあたり、本質的には明らかに陽葵のほうが陽の気質があると思います。違和感や苦悩をまだ知らないからこその明るさというか。陽葵のそういうところが佑月は好きだし、"陽葵"という名前がぴったりだと思うんだと思います。
MVで描いたようなグミとか体育館とか、そういうハッキリ友達としてのラインを超えていくようなことをして確かめても、受け入れてくれたり。
無理やり佑月が始めた交換ノートも、乗り気じゃないみたいな感じなのに陽葵はちゃんと翌日には返事を書いて渡してくれるんですよね。元々は「家で読んでよ」「良いじゃん、どうせ読むんだし」みたいなエピソードもMVで描きたかったんですけど、撮影当日めちゃくちゃ台風で無理でした。無念。(どっちがどっちのセリフだと思いますか?教えてください、違ったらぜひ喧嘩しましょう)
佑月の表面的な明るさは、常に周りを見て人に合わせてきた、とにかく本当の自分をひとつもバレないように過ごしてきたからこそ身についたものだと思います。だから、嘘のない陽葵の仕草や反応が嬉しいし 安心できるんだと思います。だから、好きになった。
陽葵は陽葵で、葛藤がないわけではないと思います。
2人のことがおかしいなんてふうにも思わないけど、だけどどこか疑問にも満たないようなふわっとした感情はある。でも、人付き合いが得意ではない陽葵にとって 佑月と過ごす時間のその全てがいちいち初めてのことだから、誰かや何かと比較しようがない。し、比較せずとも佑月への確かな愛情というか、好意的な気持ちがある。こうして別れても、「また会えるかな」なんて思ってしまうくらい、佑月が離れていった意味もその勝手すぎる思いやりにも何も気付いていない。
ふらっと近づいてきてぐいぐい心に踏み込んできたくせに、ふと気づけばその人はいなくなっている。「どうして?」と聞くこともできず、ただひとりきりで2人でいた時間を思い出すことしかできない。でも、思い出すのは結局、なんか楽しかったなあと思うようなことばかり。良いことばっかり。
一歩ずつ歩み寄っていく陽葵と、生き急いでいるみたいに一度に何歩も歩み寄ってくる佑月 というのを視覚的に表現したくて、輪っかを持ってもらって独特なゲームをしてもらいました。コレも元々は海でやりたかったんですけど💢キレそう💢台風で無理でした💢砂にマルを書いてそれらが打ち寄せる波で消えてほしかったです💢跡形もなくそういう証拠みたいなものが消えてなくなって、ふたりのことはふたりにしかわからない、そういうのをやりたかったです💢だから今ライナーノーツにしたためています💢また晴れた日にRe:ランタナ やろうかな💢その時は作編曲の足立さん、そしてMV撮影編集のhitaguroさん、またお願いします!!!
ふたりがお揃いでつけている鳥のチャームは、ランタナという花に毒があるという性質から着想を得て、ふたりにつけてもらいました。
ランタナの種子の毒は、鳥には効かないらしいです。鳥が食べて運んで、遠く離れた地でランタナの花を咲かせる手伝いをする。
鳥の種類まで考察してくれていた方もいて、驚きでした!そんなことしてくれる人いるとは思っていなかったので!とても嬉しいです!作品は発表した時点でそれぞれ受け手であるみなさんのものなので、ここまでつらつらと書いておいてなんですけど、正解というのは特にないと思います。見た人聴いた人が感じたことがその人の正解というふうに思います。だから、ぜひランタナを皆さんのものとして楽しんでもらえたらな〜と思います。
最後に
改めて、MVに出演してくれたみおちゃん、みづポ、本当にありがとう!思い描いていた妄想みたいなものが具現化していく様はとても刺激的で、表現する楽しさをとてつもなく感じさせてくれました。
私は人の考えていることとかそこから発生する動きみたいなことをとても愛していて、だから普段生活する中では手に届かない感情を自分も感じたくて、いろんな妄想(壱川※1)を常日頃しています。それを仕事に繋げるなんてこれまでは考えたことがなかったけど、実際にやってみるととっても充実した時間になりました。作詞に関してもこれまでは自分発の感情が多かったけど、今回は自分の中にいる陽葵と佑月が動いてくれて、それを語り手として作詞したり描いていく時間はとても刺激的でした。
作編曲を担当してくださった足立さんには、これ以上ないんじゃないかと思うほど世界観にぴったりの楽曲を作っていただきました。感謝でいっぱいです。
MVの撮影、編集を担当してくださったhitaguroさんは、撮影前から何十時間と打ち合わせに時間を割いてくださり撮影後の編集段階でも何度も打ち合わせを重ね 完成まで共に走ってくださいました。本当にありがとうございます。
こうして多くの人にマナマナの活動に力を貸していただき、さらに多くの人に知ってもらい愛してもらうことが自分のできる最大の恩返しであると強く思いました。これからも一つ一つ丁寧に作品を作って、届けていけたらと思います。頑張ります!
最後まで読んでくださりありがとうございました!
改めて、このライナーノーツを読んで、ぜひランタナを聴いて見てくださいね!
※1 マナマナの妄想癖を"壱川"と呼んでいます。壱川はマナマナが妄想で作り出している人格の中で、いちばん難しくて未だに壱川を考え続けています。元々は「私が望んでいるそのすべてを手に入れた状態で生まれた人間は果たしてどんな感情や葛藤を抱くんだろう?どうやって生きていくんだろう?」という疑問から始まった妄想癖です。私は壱川とは真逆の人間というわけです。壱川を知ろうとする時間は、私の中でとても特別な時間です。