
30歳になるーこどもとキャリアの狭間でー
30歳になった。女の20代と30代の境界はそれはもうおおきい。誕生日になって初めてそのことを実感した。ダンナが本当に素敵なお祝いをしてくれたおかげでなんとか惨めにならずに済んで、本当に良かった。元々リクエストしていたが、言い過ぎだったかと思ったが、全くそんなことなかった。安心した。29歳から30際になる境目は自分が思うよりずっと濃く太かった。そして、30歳になった瞬間、29歳から30歳の幅よりも、30歳から31歳になる幅は、きっとずっと大きいのだろうということを唐突に理解した。たぶん5〜10倍くらい。これから誕生日を迎えるたびに「この一年は子どもは産まない選択をしたんだ」と覚悟していくんだなと思った。
子どもはいらないと思っていたけど...
私は子どもは要らないと思っている。ダンナは子どもが欲しい。元々付き合う当初からこの立場の違いは明確で、このことについて日常的に話し合っている。子ども産みたくない理由は書ききれないが、1番は夫婦関係が子どもによって壊れることが怖いからだ。しかし、ダンナの助けもあり、以前よりも精神状態も良くなり、人生にも充実感を感じるようになってきた。そして、付き合ってからもう3年半。さすがに新鮮味もなくなってきたところ。「子どもがいた方が面白い」というダンナの言い分に少し納得しつつあった。
過去記事▼
留学と子育ては両立可能?
ダンナは付き合ってから難関資格に挑戦している。その試験に合格することが見えてきて、その先をどうするのかに目が向いてきた。私は今大学院におり、就職に有利になるためには留学が必要だと考えていた。ダンナもそれについていきたいと言う。その時に子どもがいれば、育休を取りながら2人で海外に行くことができるのでは?と思っていた。これくらいのメリットがあれば、私も子どもを考えてもいいかもしれない。でも、いざ現実に、となると、何から決めて良いかよく分からない。妊娠もそんなにうまく行くかわからない。留学もいつ決まるのか。そして何よりダンナは海外でワンオペの育児になる。それは本当に可能なのか?非現実的なんじゃないか?と思えてきた。
子どもに対する義母の本音
とりあえずダンナが資格試験を最終合格してから考えるかと呑気に考えながら、2025年を迎えた。ダンナの実家に泊まり、義母にぶっちゃけて相談した。正直、私は義母に子どもを産みたくないと言いにくかった。孫を期待しているかもしれないし、働かず勉強している私に対して子どもも産まないのかと思われそうな気がした。実際は自分がそう思っているだけで、義母は自分も初めは子どもは欲しくなかったと話してくれた。「仕事をしながら子育てをするしんどさも分かっているから、よくよく話し合った方がいい。でも、一気に全部詰め込んだら、全部うまくいかなくなる可能性がある。留学と育休を同時に取るのはやめた方がいい」とアドバイスしてくれた。
気づいてしまった、自分の人生からの逃げたい気持ち
「やっぱりそうだよな、無理があるよな」とわたしは思った。ダンナを見ると、同じように思っただろう顔をしていた。わたしは気づいた。私たちはお互いに合わせようとしすぎていた。そして、「私はあなたが希望したから子どもを産んだんだ」と言い訳をして、自分の人生から逃げたかったんだと気づいてしまった。セルフハンディキャッピングだ。テストの前に掃除をし始めて、あとから「掃除してたからテストの点が良くなかったんだ」と思えるようにする、あれだ。
昔の自分が思い描いていた2人の関係
私は自分がダンナに書いた手紙の内容を思い出した。まだ、付き合ったばかりの彼の誕生日。「万が一、同じ方向を向いて歩いていくことができなかったとしても、今一緒にいる時間を後悔したくないし、後悔するようなものにするつもりもありません。お互いに付き合っていたからこそ、今の自分があると思えるような時間を一緒に過ごしていきたいと考えています」と。
よく考えれば、無理して相手に合わせて、その分の見返りを求めるなんて、夫婦関係崩壊への第一歩じゃないか。本末転倒だ。もちろん、留学に行き、年単位でダンナと離れて暮らすのは嫌だ。でも、これこそ私に今必要なものな気がした。それは「自律」であり、「自分の人生を生きる覚悟」だ。自分の人生をまず納得いくまで生きること。これが夫婦関係を維持するためにもしあわせな人生を送るためにも、何よりも大事だとちゃんと気づくことができた。
スロットのように2人の人生を決めていく
来月、私たちは引っ越すことになっている。この引越しは、私の生活リズムが変わり、駅の混み具合などを鑑みて「もうこの場所は...」と思っていたところに、ダンナもちょうど同じタイミングで「ちょっとそろそろ引っ越していいかも」と言い出し、急遽決まったものだった。トントン拍子で話しが進み、部屋も条件にぴったりのところが1日で見つかり無事契約した。こうやって、自分の人生の中で「これがしたい!」というのがスロットのように揃ったときに、2人の人生のことは決めていけばいいのだと思う。大事なのは、無理に合わせようとしないこと。人生で大きな決断は、スロットがたまたま揃ったとき、つまり「ノリで決められる時」に動かしていくのがいい。もしまた何かに迷ったら、この方針に立ち戻りたい。そうしたら、ずっと今のしあわせな生活が続けていけそうな気がする。人生で起こる様々なことを誰のせいにもせず、自分の人生を楽しく生きる。それが一番だいじた。