2.5次元舞台について
舞台とは非日常だ。
劇場の空間に、そこにはないはずの世界を作り出してしまう。
多様なジャンルの物語を、生の人間の熱量で表してくれる。
2.5次元舞台というものがある。
原作をもとにウィッグや衣装が再現され、俳優の演技によって、まるでキャラクターそのものを見ているようなリアルに感じられる舞台だ。
中には舞台上では俳優の名前を出さないよう徹底しているものもあり、そういう場合はカーテンコールでも役のままで終える。
俳優が好き、作品が好き、脚本が好き、演出が好き。それぞれ惹かれるところはあると思う。一つだけが理由とも限らない。
2.5次元は原作が好きで観に行くことが多いけれど、別作品で見た俳優が気になるな、ということはよくあるし、俳優が好きで来た人に作品を好きになってもらえることもある。ありがたいことだ。
舞台化する原作自体にファンがいて、中には2.5次元を受け付けない人もいるけれど、劇場に行ったことのない人(俳優や制作サイドのスタッフを知らない人)でも興味を持ちやすいというのは、集客における大きなメリットだと思う。
観客が劇場に足を運ぶには、何らかの興味を持ち、まずは行く気になることが必要だからだ。
原作のコンテンツ自体が舞台に新規の客層を取り込む力を持っていて、公演の魅力で新規の客層を定着させる。
そうして、舞台を観に行くことへの精神的ハードル下がるのは、いいことだと思う。
私も、古典劇などは知識がなく行ってもいいのか迷ったり、敷居が高いと感じたりすることがあった。
けれど、チケットを買い、公演を観に行き、グッズを買う。こういった当たり前のことに慣れることで、どうしたらいいんだろう?と不安に思うことがなくなった。
2.5次元でもそうじゃなくても、みんな思い思いの楽しみ方をしているのは変わらない。マナーを守り、自分なりに楽しめばいいのだと思えた。
舞台という文化が続くためには、より面白い作品が世に出されるためには、現実的な話、お金が支払われなければならない。
舞台にお金を支払うことを躊躇わない人が増えることは、今後の舞台の発展にいい影響があると思う。
2.5次元舞台は、作品を知っている状態で行くと、既知の展開が生身によって再現される。
肉体や音楽、照明等によって原作とは違った情報を与えられ、新たに解釈が生まれたり、より強く共感したりする。
さらに、客席降りやライブパート、日替わり演出等、小説やゲームやアニメの中のキャラクターが、客席に向けて気持ちを投げかけてくれる。この手段として客席降りはすごく効果的で、2階席3階席まで誰かは行くことで、遠くから観劇している人を置き去りにしないように配慮されていることが多い気がする。
これらは原作にはない、しかしキャラクターから外れないという絶妙なバランスを保って行われている。
観劇という一方向の視点から、双方向のコミュニケーションに広がることで得られる一体感。
客席に座っている観客が、ただ見るだけではない。キャラクターが生身の存在として観客の現実に介入するという現象。
2.5次元舞台は、人的なAR(拡張現実)なのだと勝手に思っている。