パターソン
ジム・ジャームッシュ監督による2016年の作品。
この映画はパターソンという町に住む一組のカップルを描いたもの。その町が、アレン・ギンズバーグやウィリアム・カーロス・ウィリアムズといった詩人ゆかりの地であることが物語の背景となっている。そして、町と同じ名前のパータソンという男性とそのパートナーの女性であるローラとペットのブルドッグ、この二人と一匹の一週間の生活がユーモアを交えながら淡々と綴られていく。
この映画の中で、パターソンとローラの二人は「芸術家」と「市民」という、これまでもいろんなところで繰り返し扱われてきたモチーフを表わす存在として描かれている。「芸術家」であるパターソンは、バスの運転手として毎日決まったルートを運行するという、およそ変化のとぼしい仕事をしながら、詩の創作をしている。一方、ローラは家の内装に個性的なデザインをほどこしてみたり、ギターを始めてカントリー歌手になることを夢見たり、オリジナルの料理を作ったりと、毎日さまざなことに挑戦している。ただ、彼女のやることは、どれも趣味の域をでるものではない。彼女が唯一その力を発揮するのが、パンケーキというお菓子作りで、町の市場で売り切れるほどの人気がある。一見、平凡な仕事に従事しているパターソンが「芸術家」であり、一見、日々創作活動に打ち込んでいるローラは平凡な「市民」であるという相反した設定になっている。
パターソンの書く詩は日常の営みを丁寧にみつめるなかで紡ぎだされていく。劇中で取り上げられる詩は、どれも生活のなかでありふれているものばかりである。マッチ箱。仕事終わりのビール。初春の陽光。窓から差し込む朝日など。こうした日常のなかに「詩」を発見することそのものが彼の喜びであり、詩人として評価されたいと思っているわけではないから、詩を発表するつもりもない。「秘密のノート」と呼ばれるものにただ詩を綴っているだけである。いっぽう「市民」であるローラは、パターソンの詩を世に問うことを望み、その「秘密のノート」を発表しようとする。すると、その目論みを待ち受けていたかのように、「秘密のノート」はペットの犬のいたずらによって無残に食いちぎられ、本当の「秘密」となってしまう。
ジム・ジャームッシュはこの作品で、詩人の営みがいかに「日常」と親密な関係にあるかを描いている。そして、「非日常」は「詩」たりえないこともいっている。劇中でパターソンは何度も「双子」に遭遇する。「双子」は「非日常」の象徴である。彼は決して、それを詩にしようとはしない。
最後に、日本人の旅行者が登場する。彼も詩に魅せられたひとりである。憧れの詩人のゆかりの地を訪問にきた彼は、偶然、パターソンと出会い、詩について語り合う。そして、彼に白紙のノートを渡すと、別れ際に「Ah ha」という言葉を残して去る。「Ah ha」とおもわず口にする時の発見の喜びは、日々の暮らしの中にあるものであって、難解な観念や思想を理解したときに使う表現ではない。パターソンが白紙のノートそのものが「詩」であることに心打たれる場面から翌日の朝へと移るところで物語はとじる。
わたしたちの多くは、日常のなかに喜びをみつけて生活することよりも、非日常の刺激を追い求めることに熱心である。それは、ローラの役のなかに、道化師のように滑稽なものとして描かれている。ジム・ジャームッシュは、そうした生活を皮肉な目で眺めながら、日常に「詩」を見出すことが、真の生活の喜びをもたらしてくれるものであることをこの映画で静かに語りかけてくれている。