You Gotta Move
英語版ウィキペディアによると、この曲は人種差別をネタにしたSNSの動画によく使用されているそうである。なぜこの曲が使われているのか、その理由についての説明は特にない。試しにtik tok で You Gotta Move と検索してみたら、それらしい投稿がいくつもある。見てみると、どうやら歌詞の3番をネタにしているようだ。
フレッド・マクダウェルの You Gotta Move は古くからあるゴスペルをブルースにアレンジしたもので、1965年にレコーディングされたもの。3番目の歌詞はその時に新たに加えられた。1番2番まではゴスペルの歌詞ほぼそのままであり、身分によらず神への信仰を持つべきだといったことが歌われていて、When the Lord gets ready, you've got to move「神様の準備ができたら、(心を)動かさないと」と訴えている。ここでの move は「心の動き(回心)」という意味で使われているようだ。神への帰依を歌ったゴスペルらしい内容である。続く問題の3番の歌詞を以下に引用してみる。
You see that woman
That walk the street
You see the policeman
Out on his beat
But when the Lord gets ready
You got to move
3番の歌詞は、1番2番のようにただ神への帰依を訴えるのではなく、現実の場面が描かれている。「通りに女と巡回中の警官がいるのが見える。でも、神様の準備が出来たら、おまえは移動しなきゃ」といった内容である。3番の move は「現実の場面」という状況からみて「回心」ではなく「移動」という意味で使われているようだ。では、なぜこれが人種差別をネタにした動画に使われているのか。
歌詞はまず that woman「あの女」the policeman「あの警官」が見えるだろうといっている。どうやら「あの女」「あの警官」とあえて限定しているのは「白人の女」「白人の警官」を婉曲に指しているらしい。つまり、白人の女や白人の警官の目の入らないところにさっさと移動しろといっているのである。これには、当時の時代背景が関係してくる。一つには、ブルースを聴くのはほとんどが黒人だったということ。だから、聴き手の黒人に警告しているのである。もう一つは、黒人の男性が白人の女性を見ただけで、白人からの暴力に遭う危険があったということである。これは白人の黒人に対する差別感情の中に、皮膚の色という表面的な問題とは別に、黒人の身体能力に対する隠微な劣等感を白人は本能的に感じているからではないかという気がする。それが日常生活では鬱屈して隠されている分、時にかえって過剰な暴力の形で現れるのである。「ゲット・アウト」という2017年の映画には、そのへんの事情が誇張されて描かれていて興味深い。
そして、1番2番と同じように「神様の準備ができたら」という歌詞がある。これは「神様は準備ができていても、おまえを白人の暴力から助けてくれるわけじゃない」という意味なのだろう。いわゆる「神の沈黙」を揶揄しているのである。
tik tok の動画では that を「白人の」ではなく「黒人の」の婉曲表現としてアレンジしているものなど色々なものがある。わたしは、以前はこの曲はブルースにありがちな性的なことをほのめかして歌っているんだろうと思っていたが、今回、動画をきっかけに人種差別の視点からあらためて解釈してみると、ゴスペルとブルースの歌詞の対比が実に効果的な構成になっているのを感じた。