「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」
確か高校の教科書に掲載されていた、夏目漱石の「こころ」。その中に出てくるこの台詞は、35歳になった今でも私の心に残っています。なぜならこの台詞は、このnoteで綴られている、私が「本当にしたい事」や「大切にしている思い」に繋がっているように、感じられるからです。
本文が長くなるので、結論から。
私は「ひとの可能性をひろげること」「ひとの出会いをつなぐこと」「ヒトという生物の”共通項”と”差異”を知ること」をしたいと思っています。
それぞれひとつずつ、この結論に至った経緯や理由を共有させてください。長くなるので、noteはそれぞれ3つに分けています。
1.ひとの可能性を拡げること
不登校だった過去
わたし、実は不登校児でした。中学3年の頃、家から出られなくなり、1年間学校に通っていませんでした。いじめが原因ではなく、過去のトラウマによるものでした。ここでは長くなるので、詳細は割愛します。
家から出られなかった私ですが、なんとか高校には進学します。そこで仲良くなった友達との付き合いから、クラス副委員長を務めることになったり、高校3年生の時に、オーストラリアに2週間の語学研修にいくことになります。
些細なことに思えますが、当時の私にとっては、相当大きな挑戦でした。
家から出られなかったけど、頑張って高校受験した。休みも多かったけど、高校に頑張って通った。友達も作れた。なぜかクラス副委員長をやることになったけど、まったく自信もなかったけど、やってみた。2年生の頃、語学研修に行った友達の写真がとてもキレイで…私も現物を見たい!と思って、海外にまで飛び出せるようになった。……
家から出られなかった小娘が、気付いたら海外にまで来てしまった。
些細なことだけど、「できない」が「できる」になった喜びと、それは「自分のちいさな一歩」で作るんだ、という強烈な思い(原体験)を持つようになりました。
海外から留学、そして駐在へ
高校3年生で強烈な体験をした私は、英語をもっと極めたいと思うようになりました。そこで、1年次と2年次に海外研修がある英語学部へ進学。ここで、高校生の頃は「大きな挑戦」だと思っていた「海外渡航」が「当たり前」になっていきました。
ひとつ何かを達成し、「できない」が「できる」になれば、もう後退はしないんですよね。どんどん前に前に進むだけです。たまごの殻を割るように世界が広がり、階段を1つずつ登り続けていける。
大学で行ける短期研修では、英語は身に付かない。そもそも、英語「で」何かを学びたい。そんな現状否定の思いから、大学1年次の夏には、在学中に交換留学に行くことを決意。そこから猛勉強に猛勉強を重ねてTOEFLのスコアを取得し、ついに3年次で米国留学へ。
現地での素晴らしい日常体験と、英語「で」、海外の大学で学ぶ楽しさ(※これが大学院への思いに繋がります)を知って帰国したあとは、「また海外(アメリカ)に行きたい」という思いから、アメリカ出店を計画していたニトリに入社。あれよこれよと色々な工作も経て、なんと海外駐在も実現させることができました。
できないができるになるって、スゴイ!
人から見たら、たいしたことがないかもしれません。でも私のスタートはマイナスからで、家から出られなかった自分。そんな私が、いきなり海外駐在を掴んだわけではなく、着実に小さな階段を登り続けることで、できることが増えていった。
高校に行って海外に出会った。大学で留学した。それがきっかけで、現職には留学生採用枠で採用され、海外駐在の切符や本部勤務のキャリアパスを得ることができた。小さな一歩が、全て自分の人生に役立っている。
そこから得た原体験、「できないが、できるになるって、すごい。」「可能性が無限大に拡がっていくって、すごい。」これらを自分で体験しているからこそ、私はこの思いを誰かにも伝えたいし、誰かの背中を押すことで、世界が広がっていく楽しさや喜びを、一緒に共有したいと思うようになりました。
どんなことをしてきたの?
過去を振り返ると、この思いを元に実行したことがいくつかあります。主に、自分が持っている情報や体験というリソースを還元したという内容です。
こう考えると、喋りも文字書きもうまくないのに、ひたすら書いて、喋ってばかりでした。でも、情報の還元によってだれかの心に火がついて、だれかの後押しが出来たなら、という思いは、一貫して変わらなかったから、出来たんですね。
これからなにをしたいの?
じゃあこの思いを元に、私になにができるの?なにをしたいの?という部分。ふんわりしていますが、やはり自分の原体験からの学びを、他者にも伝えていきたいと感じています。
人の心に火をつけるキッカケを、作りたい。そんな人と人が巡り合うことで、また何か新しいキッカケや、可能性、ビジネスチャンスが生まれたなら、嬉しい。
人は無限に成長できる。人は無限に階段を登り続ける事ができる。そのエンジンをちょっとでも動かす原動力になれたなら、いい。
さいごに
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という一文に話を戻しましょう。ここまで長々と自己開示をしたうえで、お読みいただいた通り、私は「できないこと」を「できる」にすることが好きで、「人との出会い」が「成長」につながると信じています。
そんな私は、変化のない毎日や、同じことの繰り返しの日々が苦手です。
育休中に何か別の事を学びたい、行動したい、仕事したい、と思って行動してきたのも、育児だけでは毎日が物足りなく感じてしまうから。極論を言えば、「育児だけでは自分が成長しているように(変化しているように)感じられない」からです。(賛否あると思いますが私のスタイルです)
だからこそ冒頭の、「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」という台詞は、私が「本当にしたい事(=毎日の変化)」や「大切にしている思い(=日々成長していくこと)」に繋がっているように、感じられるのです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ご興味ありましたら、ぜひ「ひととの出会い」編もどうぞ!