変わらないもの
「悲しみは愛にも似ている」
本を読んでいたらこんなフレーズに出会いました。
若いころだったら「なんてクサいセリフなんだろう」と思ったに違いありません。どうせなら、悲しみなんてないに越したことはないよ。と
以前は幼児や少年期が中心だった発達心理学の研究も、最近では中年、壮年の分野でも進み、40~50代の中年期では焦りや葛藤を覚える時期なのだそうです。衰えゆく肉体から「自分の人生これでいいのか?」とふりかえってしまうものだということです。なるほど、自分も確かにそうだ(笑)。
そんなことを考えながら、これを成長と呼ぶのだろうか、あるいは老化と呼ぶのかもしれないぞと考えていました。そんなおりに「悲しみは~」のフレーズに出会い、そうか、悲しみがどんどん蓄積して年老いていくんだ。そして、人生に深みが増してきて「愛」が身に染みて感じられるようになったんだ。などと納得したのでした。悲しみがなければ、愛も深まらないのかもしれませんね。
わが家には、愛犬シーザーがいます。シーザーが子供のころ盲導犬の赤ちゃんとして一年間わが家で成長して(パピーウォーカーというボランティア)、訓練ののち盲導犬として仕事をしていました。その後病気になったシーザーは盲導犬をリタイアして帰ってきたのです。
パピーウォーカーを始めた動機は「ペットの死に目に会いたくないから」というものだったのですが、結局最後まで面倒を見ることにしました。やっぱり一緒にいたかったから。今から悲しみを抱えて精一杯最後まで逃げずに一緒にいようと覚悟を決めたのです。これぞ、愛だ!と。
私も変わりました(笑)
そうやって人の思いは変わっていくのですね。
形あるモノだって姿を変える。じゃ、変わらないものって?と禅の教えのような問いに、誰かが「情報」「記録」は変わらないと言っていたのを思い出しました。
何を言いたいのかわからなくなってきたので、この辺で。
また、しょうもない記録でも残します。