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ピンクと和解した話
新しいiPhoneの廉価版が話題だが、先日私もiPhoneを新調した。
今まで使ってきた数台のiPhoneは全てブラックだった。しかし、ここへ来て初めて、なんとなんとピンク色のiPhoneにした。
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よくあるパステル調やパーリーな優しいピンクじゃなくて青みピンクなところがハマった。
私は、ずっとピンク色に苦手意識があった。
しかし、かのジェーン・スー氏も著書の中で仰っていた。
中年になるとピンクと和解する、と。
思春期には私の「ピンク憎けりゃ人まで憎い」スタイルが確立されました。
同時に「ピンクの似合わない女は愛でられないし、大人や異性に愛されない」と勝手に自分を追い詰めました。
私ももれなく、幼少期からピンクに嫌悪感があったクチだ。
好きな色は水色。
兄のお下がりを着用し、髪はショートカットが定番。短く切れば切るほど褒められた(親や祖母が手入れする手間が省けるからじゃないかと思っている)。
当然、まわりには男の子と間違えられる。
「女の子らしさ」というステージから早々に降りることを選んだ私には、ピンクは忌み嫌うべき存在だったのだ。
女だから、女のくせに、そう言う理由でナメられるのは御免だ、と気を張っていた。
この嫌悪はいつまでも続くものだと思っていました。
しかし、四十代の背中が見え始め、自分が女であることにも慣れ、
女としての記号的な性的価値が下がり始めてようやく、
ピンクが似合う女ではないことが、どうでもよくなりました。
ようやく、ピンクが似合うことが愛される必須条件ではないと、
体験的に理解したからでしょう。
あと残念ながら、媚びの象徴に見えていたピンクを纏ったぐらいでは、
媚びているようには見えなくなってしまったからなんですよ、三十代後半以降。
フッツー。ピンク着てもフッツー。ちょっとご陽気に見えるぐらい。
加齢、本当に素晴らしいな。
気がつけば頭のてっぺんから足の先までオールブラックなカラス族になっている私は、今年は黒禁止令を自分に課した。新しく服を買う場合は、黒以外!
ピンクに、年々抵抗が無くなってきた。全身黒ずくめでも、ピンク色のアクセントはちょうど良い。
徐々に黒の分量を減らして、最終的にはカラフルで派手なおばあちゃんになりたい。
そういえば60代の母親もピンク好きで、気を抜くと全身ピンク系統でまとめていることがある(それはどうなの)
歳を取るとはこういうことなのか。
「ピンク色=かわいい女の子」
無意識に刷り込まれたジェンダーバイアス。
もう私は、たとえピンクを選んでも、か弱く見られない。
必要以上に女らしさは求められない。
(そして、ピンクを選んでも可愛くはなれない。)
そのことにやっと気づいた今日この頃。
ピカピカの新しいiPhoneを握りしめて、私はピンクと和解した。
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