卑俗(ひぞく)な彼
イスラエルだと思うのですが、とても暑い国でのお話です。
縄か、鎖でつながれて歩いています。
炎天下、乾いた砂の地面を歩いて、死刑台に連れて行かれる自分。
なだらかな小高い丘のようになっている頂上に、粗末な木で組まれた十字架があって、
そこで磔になるのです。
小柄な男性です。
痩せこけて貧相で、不潔で品がなくて、
教養もなく、身分もそうとう低い。
家族も恋人も友人もゼロ。
あらゆることに恵まれておらず、
心がけも、それに相応しいものでした。
卑俗(ひぞく)という言葉が浮かんできます。
生きるために、スリか盗みか乞食かをやっている。
人をだましたり殺めたりして、金品食べ物を手に入れることを、
なんとも思っていません。
そういった悪事を働く仲間に入っていて、つかまってしまい、
これから死刑になるのです。
一緒に引かれていく、仲間もいるようです。
でも、心のつながりも仲間意識も感じられません。
「どうせ、どんな辛い目にでも合わなければならないんだ」
という思考が感じられます。
絶望、という言葉も浮かんできます。
気持ちは最低でしたが、だからといって反省もしていませんでした。
何も感じていないわけではない、
反省はできなくても、
「どうせ」と心でつぶやく気持ちの中に、反省に繋がる糸口が見えるのですが、
……もう、死んでゆかなければなりません。
死刑台まであと数十歩、というところで、
視点が上の方になりました。
歩いて行く自分の肉体を斜め上から見下ろしている、
もう一人の自分になっていました。
そこから私は絶望にまみれた卑俗なイスラエル人の男性ではなくなっていました。
高い場所からただ静かに、死刑の様子を見ている。
絶望にあえいでいる卑俗な男性は、自分の一部でもあるのですが、
隅の方に小さくまとまっている。
小指のほんの爪先ぐらいに存在している、
という感覚。
死刑の苦しみを爪先でわずかに感じながら、
大きな視点の存在を感じていたのは一瞬だったのか、
それとも長かったのかわかりません。
以上が、少し前に見た白昼夢の話です。
今、思うのは、卑俗な彼も、私の中の一部分として存在していることです。
白昼夢であろうと、睡眠中の真夜中に見る夢であろうと、自分が内部に持っているものが現れてくるのが「夢」。
私はときどきこうやって、書き留めているのですが、
その中には、人生のヒントが隠れているのに気が付くことがあります。
それは、自分自身からの大切なメッセージであるのです。