3つの「置き土産」
お盆ですね。
今年はどこにも行けなくて、お墓参りができません。
それで、お盆休みを持て余し気味です。
「あの世」に行ったおじいちゃんやおばあちゃん、母や義父は、
誰も来なくてさぞつまらない思いをしているんじゃないだろうか、
なんて思ってしまいます。
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私が常日頃から思うことの中に、
家族や近しい肉親がなくなるときは、
「置き土産」をしていくことが多い。
というのがあります。
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たとえば、一緒に暮らしていた祖父が亡くなったときなのですが、
49日を過ぎたころから、お付き合いしていた人(今の主人)との仲が急速に進展し、
半年後に結婚しました。
その頃、たくさんのネガティブな思いを背負って暗闇を生きていた私は、
この結婚によって、どん底から救い上げてもらうことになったのでした。
主人との生活の中で、人生に少しずつ、明るさがやってきました。
祖父の死は、私の人生のターニングポイントになったのです。
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6年前に母が亡くなったときは、もっと大きなものをもらいました。
物心ついたときから私をさんざん虐待し続けた母が、
病で「余命半月」と言われた時から病床にずっと付き添い、
三途の川を渡りきるまでを、一番近くで見ているうちに、
私が長いこと持っていた「死んでも許さない」と思っていた母に対する憎しみが、
消えてなくなってしまったのでした。
それはおそらく余命わずかで口もきけなくなった母と、
言葉によらない会話を続けているうちに
「なぜ、母は私を虐待したのか」が理解できたからだと思います。
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あともう一つ、5年前に亡くなった義父がいます。
血がつながっていないからかもしれませんが、ちょっと特殊な「置き土産」をもらいました。
福島の海沿いの先祖代々の家は、3.11で被災しました。
義父が亡くなったのは、その4年後です。
「都会から来た嫁」と言われて、田舎の風習にずっとなじめずにいた私は、
残された義理家族に、肉親のような情を感じるようになり、
自然の豊かな福島が急に魅力的な場所に見え始め、
自分の故郷だと思うようになりました。
今まで憂鬱で仕方なかった盆と正月の帰省を心待ちにするようになるくらいに、
自分が変わってしまったと気付いたのは、かなり後になってからのことです。
人間は、変わるときは変わるものですね。
自分だけずっとこのままかもしれない、と思うことが、
人生の節々に、あるかもしれません。
でも、変わるときは、強引に変わってしまうんです。
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たいせつな3人の肉親は今、土の中に静かに眠っています。
日常生活に忙しくしていると、なかなか故人のことを思い出す機会がありません。
人が人生を終えるとき、残された人に何かしら残していきます。
お盆は、そのことに感謝をするいい機会であると思います。