乙女心の無責任

今日は満月だという。そんな日に一歩も外に出ず、部屋の掃除に明け暮れていた。
ここ最近「推し」が出来てからというもの、部屋の収納力に限界を感じつつあって、気を抜くとすぐに雑然としだす。まず圧倒的に本棚が足りない。いままで文庫本ばかり持っているような人間だったので、背の高い本を仕舞える場所が無い。雑誌も!写真集も!でかい!入らん!
でも買う。そして困る。それの繰り返し。

ちなみに件の推しは荒木宏文さんといって、主に舞台に出ている俳優です。わりと薄味の顔をしてらっしゃるので正直見た目がどタイプというわけではないが、なにか人目を引く雰囲気のある方で、気づいたら出演舞台のなにもかもを追いかけていた。これが沼か…沼入りしたというよりは、じりじりと這い上がれないところまで来てしまったという感じ。蟻地獄式。
アクセスしやすい映像でいえばかつてヒーロー戦隊モノ、ゲキレンジャーにて黒獅子リオ役をされていたので是非ね、観てください(放送は約10年前だが、びっくりするほど外見が変わらない。彼は歳を取らないのかもしれない)。

閑話休題。


それでつい先日、その推しの握手会があったんですね。そもそもが有名人を応援するというムーブメントから縁遠く、かの音に聞く握手会というもの、実態はまるで何もわからない。とにもかくにも握手できるほど近くに身を置けるということで、ちょっとでも綺麗にしておかねばと思うわけだ。
服を選び、爪を整え、指にちょっと傷がついたのにも、あ〜〜最悪!完璧にしておきたいのに!と一喜一憂し。あわよくば実際よりよくみられたい、可愛いと思ってもらいたいと燃える気持ちがわたしにもあったんだな…これが乙女心というものかと身を持って知った。世の乙女たち、ひととおりこれを経験して恋愛と呼んでいたのか。この愚かしくも甘美な思い煩いを!



ときに、以前バズっていたどなたかのツイートで

「推し」という言葉は「責任を取らない愛」のことだと解釈してる

というのがあって「まさにそれ」と膝を打ったんだけれども、乙女心による恋愛と推しに対する気持ち、ほとんど同質でないかと思うのだ。

実際よりよくみせつづけるのには気苦労も多かろうし、なにより相手にも実際を超えた理想を抱きがちだし、そのどちらかの偶像がふつんと崩れた瞬間が乙女心が織りなす恋愛の終わりとすれば、それは「責任を取らない愛」の一種だよなあと。しかしまあ、責任の伴わない恋愛感情ほど純粋で烈しい熱を帯びたものもない。昨今流行りの不倫など、この乙女心を介す者にしか到底できないアドベンチャーだと個人的には思う。乙女心は得てして身勝手で残酷なものなのだ。

こうして書き綴るだけならなんとでも、その実を振り返ると特に乙女心を発揮するような恋愛をしてきた覚えもないので、どの口が言っているのかと思うところだが、そのロマンスと引き換えに地に足のついた関係を築いてきたとも取れるのでまあ…物は考えよう。



ともあれここにきてようやく理解しはじめた乙女心。推しに対してはいくらでも無責任でいられるけれど、現実はそうもいかない。身の回りで関わる人に対してはちゃんと責任の取れる大人にならねばと、しみじみ思う今日だ。まずは収集した本達への責任を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?