ナターシャ・ロマノフについて
以下の文章はMCU・『アベンジャーズ』シリーズに登場するナターシャ・ロマノフという女性に情緒をかき乱されたひとりの女オタクの、情緒を取り戻すための散文である。
作品の内容に深く触れるため、シリーズを観たことがない人は『ブラック・ウィドウ』まで観てからこのnoteを読んでほしい。読まなくてもあなたの人生に何ら損失はないのでこのnoteの存在など数分後には忘れてもらって構わないが、『アベンジャーズ』はどうか観てほしい。オタクの望みはそれだけだ。
また原作コミックは未読のため、ほとんど実写化映画版の彼女についての記載となる。
私とMCU・『アベンジャーズ』について
ナターシャ・ロマノフ=ブラック・ウィドウの魅力について
作中のナターシャの活躍を個人的な観点から振り返る
なぜ私がここまでナターシャを愛してしまったのか
上記4項目に分けて自分の思いを整理したいと思う。
1.私とMCU・『アベンジャーズ』について
私が『アベンジャーズ』と出会ったのは2021年3月。発熱により仕事を休み、布団にくるまっている際に「なにか元気の出るような映画でも観よう」と思い立ったことが始まりだった。
かねてより信頼する友人に『アベンジャーズ』シリーズを勧められていたが、なかなか観る機会がなくそのままになっていたことを思い出し、布団の中でU-NEXTを契約、『アイアンマン(2008)』『キャプテン・アメリカ(2011)』の2作を観ることにした。
以下は視聴直後の友人とのLINEのやりとりである。
その後私は有識者である友人ふたりに最短距離で辿り着く道のりを尋ね、ハルクやソー、ブラックパンサーなどの単発作品を除きながら『アベンジャーズ/エンドゲーム(2019)』までの計17作品をわずか4〜5日で完走しきった。単純計算で1日3〜4作観ていることになる。正気の沙汰ではない
かなりストイックなハマり方をしていると今なら思うが、『アベンジャーズ』にはオタクを数日映画漬けにするほどの魅力が詰まっているとも言える。
また、当時体調を崩しがちで欠勤が続き、罪悪感や焦りにより鬱屈としていた心が、多くのヒーローたちによって明るく照らされたことも理由として大きかったように思う。
余談ではあるが、私の自論に「人生の中で起こることや出会いにはすべて意味があり、タイミングすら必然である」というものがある。何でもないようなことでも、その時の自分に必要なことしか人生には起こらないと思って生きているため、『アベンジャーズ』というヒーロー達との出会いとそのタイミングは、私にとっては必然だったと今でも思っている。
そんな中で、私は『アベンジャーズ』に登場する一人の女性キャラクターに心を奪われ、こんなnoteを書くまでに至っている。彼女と出会うことも必然だったのだろうか。果たして彼女は私に何を伝えるため出会ってくれたのだろうか。
いいや違う。彼女は私のことなど見ていない。私が一方的に、彼女の人生を安全なところから覗き見しているのだ。彼女から学ぶことはあれど、彼女から私に伝えたいことなどはないのだ。彼女はただ、自分の人生を精一杯生きているだけなのだ。
私は何を言っているのだろうか。
正気を失う前に次へ行きたいと思う。(もう失っているのでは?)
2.ナターシャ・ロマノフ=ブラック・ウィドウの魅力について
そもそも彼女はどのような人物なのか。
公式サイトのキャラクター紹介を見てみたいと思う。
ブラック・ウィドウは特殊な能力があるわけではないが、優れた身体能力と数々のスキルを備えたヒーローである。
具体的な戦闘能力については以下に引用する。
有能すぎ〜〜〜〜
上記の通り、彼女の戦闘シーンはフィジカルの強さや高い知能、スキルを活かした非常に見応えのあるものとなっている。ナターシャがいればとりあえず大丈夫だろうという安心感がある。
しかし有能ゆえに苦労人でもある。仕事できるやつばっかり苦しくなる世の中、ポイズン。
また彼女を語る上で、その美しさについての言及も欠かせない。
初登場した『アイアンマン2(2010)』ではその美貌と有能さからアイアンマン=トニー・スタークの恋人であるペッパー・ポッツ(彼女も大いに有能で魅力的)に嫉妬されている
原作ではしばしばファム・ファタールとして描かれている
ハルク=ブルース・バナーと恋愛フラグを建てる
『アベンジャーズ』日本公開時のキャッチコピーが「ありえないほど《妖艶》」
など、とにかく魅力溢れる女性であることは間違いない。
また、他のキャラクターは見た目がほとんど変化しないのに対して彼女はほぼ毎回髪色や髪型が変わる。アベンジャーズを観ている人たちの中には、コロコロと変わる彼女の見た目に心奪われ翻弄された人もいるだろう。かくいう私がその一人である。ほんまどれもめっちゃかわいい好き
(余談だが、「ブラック・ウィドウ」とはクロゴケグモという毒蜘蛛の英名である。メスのみに黒と赤の模様が見られたり、交尾後にメスがオスを捕まえて食す場合があることで知られている)
魅力的な彼女は、個性の強いメンバーが揃ったチームのまとめ役になるなど戦闘以外においても有能だが、戦闘における力を手にした過去は壮絶だ。倫理観のない最低最悪の器の小さいクソジジイドレイコフによる、少女らを操り殺人兵器=ウィドウへと育て上げるためのイカレたスパイ養成プログラム"レッドルーム"に強制的に参加させられたナターシャは、潜在的な能力を持っていたこともあり超一流のスパイとして育った。
ナターシャ含めたウィドウ達は、訓練が終了すると卒業と称して子宮および生殖器を全摘出されるなど、イカレジジイ・ドレイコフへの怒りが加速するようなエピソードもあり、彼女の生い立ちには多くの人が心苦しい思いをしただろう。
そんな彼女の魅力は、艶やかで冷ややかな強さを持ちながら、時々驚くほど健気な面を見せるところにあると私は思う。
スパイ活動をする中で偽装家族として共に過ごした仲間のことを家族と信じたい気持ちを隠していたり、アベンジャーズというチームを家族のように大切に扱い、それを守るために暗躍する一生懸命で必死な姿を見せたり、ホークアイ=トレントの子どもに優しい笑顔を見せた後に、自身の能力への負い目から子どもを作ることに不安のあるハルク=ブルース・バナーに子宮がないことを伝えたりするなど、仲間や家族を渇望するひとりの女性の顔を覗かせては、他人のため、任務のためすぐにさっと蓋をして隠してしまう。
クールさに秘められた熱さや幼さ、純粋さや優しさに視聴者はどんどん惹き込まれていったことだろう。私はもうすでに好きすぎて気が狂いそうである。
次の項目では彼女の具体的な活躍や描写を、初登場した『アイアンマン2(2011)』から順に振り返っていきたいと思う。個人的な意見を多分に含んだ内容となるが、彼女についてじっくり考えたいオタクの自己満noteなので許してほしい。
3.ナターシャの作中での活躍を個人的な観点から振り返る
『アイアンマン2(2011)』
アイアンマンことトニー・スタークがチームにふさわしい人物か見極めるという指令のため、スターク・インダストリーズの社員として接近していたナターシャ。観ていた当時、私の顔はハッピーと同様に緩んでいた。仕事できそうな美人、イイ…。
アベンジャーズのヒーローたちについて事前情報をひとつも知らなかった幸運な私は、そんな強いの〜!?え〜!?めっちゃかっこい〜!!と戦闘シーンに心を躍らせていた。超人ヒーローのひとりだと知らなかったため、後に『アベンジャーズ』を観た際にはかなりのメインキャラであることを確信して喜んでいた。
ヒーローの自覚の薄いトニーのサポート役として暗躍し、今思えばこの頃から苦労人の片鱗を覗かせているように思う。
赤毛の長いウェーブヘアがセクシーで素晴らしい。
『アベンジャーズ(2012)』
個性派揃いのヒーロー達が初めて共闘し、ぶつかり合うこの作品では、ナターシャがしっかりと仕事をこなす様子が際立っている。
謎の組織の男3人に椅子に磔にされた姿で登場するナターシャ。追い詰められているのかと思いきや、どうやら仕事中、それも順調に進んでいたらしい。しかしコールソンからの「ホークアイが攫われた」という電話により表情は一変。数十秒で全員倒し、親友の危機に駆けつけようとする。仲間思いのいい女。
その後ハルクことブルース・バナーを勧誘するよう命じられインドへ向かい無事成功。ロキから重要な情報を巧みに聞き出し、親友のホークアイを正気に戻し、チタウリ軍が侵入するため開かれたゲートをエリック博士と共に閉じ………
ほんまめっちゃ有能やな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この人いーひんかったらこのチームどうなってたんやろう。めっちゃ偉い。
このときロキに無遠慮にほじくられて怒っていた過去について詳しく掘り下げたのが『ブラック・ウィドウ(2021)』だが、観る前にこの『アベンジャーズ(2012)』を振り返っていたので『ブラック・ウィドウ』を観ながらロキへの僅かな怒りを感じずにはいられなかった。
今作ではボブヘアになっている。すっきりしてて素敵。かわいいね。
『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー(2014)』
ここで一つ叫ばせてほしい。
こん時の髪型、好き〜〜〜!!!!!!!!!!!!!サラサラワンレンストレートかわいい〜〜〜!!!!!!!!!!!!!
満足しました。作品を振り返ります。
対テロ作戦部隊のデータを持ち帰り、追われる身となったキャプテン・アメリカ=スティーブ・ロジャースをサポートするため行動を共にするナターシャ。日の当たる場所に常にいて、純朴なキャラクターであるスティーブと、影で暗躍することを得意とする経験豊富なナターシャという正反対のふたりのバディは個人的にかなり好きです。二人とも魂がずっと清らかで、互いをリスペクトし合えている穏やかさがある。
今作で初めて彼女が内心を吐露する描写や、彼女の過去についての描写が見られる。
自身の過去が公になることを厭わず、ヒドラの行動を全世界に公開することに踏み切った彼女の「正しく生きようとする姿勢」は高潔そのもの。
好き………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………(クソデカ感情)
『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン(2015)』
ナターシャの内面が多数描かれており、ナターシャを知る上で外せない作品となっている。
ウルトロンの暴走などの裏でハルクことブルース・バナーと想いを寄せ合うナターシャ。しっかり者の美女と心優しい怪物カップルを私はかなり推していたので、もどかしいふたりの関係にやきもきした。なんでどっかいってしまったんハルク。
"卒業式"についての告白や一緒に逃亡することをブルースに提案したナターシャ。そんな中でもチームのことを思って動く彼女の健気さに、もう私はどうしたらいいのかわからない。私に力があれば彼女の家族になったのに。非力さが憎い。
ちなみに髪型はウェーブのボブに戻っている。かわいい。
『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー(2016)』
冒頭のアベンジャーズの活躍がかっこいい。ナターシャの体幹って改めてすごい…。
男達が互いの意見や信念をぶつけ合う中でも、ナターシャだけは冷静に、チーム存続のためにひとり方法を探っていた。彼女はよく「私は一匹狼」と言うが、そんな優しい一匹狼はいないよ…といつも思う。やっと見つけた居場所を守ろうと尽力して、結局はどちらもの味方になろうとするナターシャを見ていると、キャップ=スティーブもアイアンマン=トニーももうちょい落ち着かんかい、となる。
トニーにスティーブを逃したことを非難されたとき、トニーにしっかり言い返してたところ、好き。
彼女は常に全員と対等で接しているなあ。
髪型は外巻きの豊かなロングヘア。髪伸びたんだね^^時の流れ感じていいね^^
『ブラック・ウィドウ(2021)』ではこの作品と次の作品までのナターシャの動きを描いたものとなっている。
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー(2018)』
ついにきてしまいました。
あまりに思い返すのが辛すぎて、実はこの項目を書くまでに約2ヶ月の時間を要している。インフィニティ・ウォーは観るたび毎回気分が沈む。
サノスの部下に襲われるワンダとヴィジョンを助ける形でキャップ=スティーブと共に現れるナターシャ。登場の仕方かっこよすぎるやろ。
ワカンダでの対決でワンダやオコエと共闘しプロキシマ・ミッドナイトを倒すシーンは何回でも見たい。女性ヒーローの共闘大好き。ナターシャって戦闘のセンスがあるからなのか、そもそも勘が鋭いのか、人とタッグを組んで闘うのに非常に長けている。かっこいい。
インフィニティ・ウォーはあまりに辛いからさらっと終わらせたい。いやここからずっと辛いけど。
大事なことを言い忘れていた。
ブロンドのぱっつん前下がりボブ、かわいい〜〜〜!!!!!!!!!!!
『アベンジャーズ/エンドゲーム(2019)』
サノスの指パッチンにより人口の半分を失った地球で、ナターシャはひとりアベンジャーズ本部に残り指揮をとっていた。伸びた髪の先は赤毛に混じりブロンドのままで、長い月日が経ったことと、あれだけコロコロと色や形を変えていた髪を気にかける余裕すらないことが窺える。
そんな気を張った環境の中、親友であるホークアイ=トレントが生きてはいるが正気を失っていると聞かされたときの彼女の胸の痛みは、決して安易に言語化できるものではない。パンを食べながら思わず涙をこぼす姿は、「あのナターシャが泣いている」と多くの人に事態の深刻さを伝え、緊張感を与えただろう。
久しぶりに本部を訪れたキャップ=スティーブに「私には何もなかった。でもやっと手に入れた。この仕事と、この家族を。たとえ離れ離れになっても、いい人間であり続けたい」と零すナターシャ。彼女はずっと後ろ暗い思いを抱えながら、それでも真っ当に生きたいとヒーローになった。心の拠り所だった「アベンジャーズ」と、守りたかった人々を失って、彼女を支える唯一の柱は"ヒーローであり続けること"のみだったのだろう。真面目で、献身的で、いつも温かい何かを求めて必死で生きている。これほど美しい人間がいるだろうか。
失った人々を取り戻せるかもしれないと、残された仲間と初代アベンジャーズらは共に「タイム泥棒作戦」を立てる。ホークアイを説得するナターシャの瞳に強い光が宿っていて、目的に向かって突き進む強さこそが彼女の魅力だと改めて確信するシーンだった。
惑星ヴォーミアでもそれは発揮された。
彼女にとってはもう、誰かを失うことのほうが、自分の命が失われることより恐ろしかったのだろう。5年という長い月日の中で感じた喪失感や後悔を、どうかここで晴らさせてくれと言わんばかりにホークアイの静止を振り切って崖に飛び降りた。
私はエンドゲームの中で、女性ヒーローたちがスパイダーマンをフォローしながら進むシーンが大好きなのだが、いつもそこで「ああ、でもナターシャはいーひんねんな…」と鼻の奥がツンとなる。彼女こそ、戻ってきたヒーローたちを、アベンジャーズ・アッセンブルを誰より見たかっただろう。それは観客…私たちの思いに誰より近い感情かもしれない。
だからこそ私は、ナターシャ・ロマノフという女性に心を奪われたのかもしれない。
『ブラック・ウィドウ(2021)』
エンドゲーム後にこの映画をうちらに観せるなんて、MCUっていけずやわぁ。
失礼、内なる京都人が出てしまいました。でもマジで観た後そう思いました。いけずっつーか性悪ですらある。
今作は時系列的にシビル・ウォーとインフィニティ・ウォーの間に入る形となる物語で、謎に包まれていた逃亡中のナターシャの動向が明かされる。それに伴い彼女の過去についても明かされるのだが、彼女の強さは元々のポテンシャルと、強くならざるを得ない環境にいることを強いられていたためであることがわかる。彼女を強い強いと称賛することを果たして彼女は喜ぶのだろうか…などと不毛なことを考えた。
この映画で、「なぜナターシャがアベンジャーズを家族と呼び、存続のために心を砕いてきたか」がわかる。レビューに「闇堕ちインクレディブルファミリー」という一文を見かけたが、確かにその通りの内容だった。
彼女にも帰るべきところがあったんだと思うと、じんわりと胸が熱くなると共に、ことさらにエンドゲームの展開が苦しくて切ない。
個人的に自分にも妹がいるため、エレーナが途中ナターシャをいじるシーンは「うわあ妹〜〜!」と笑わずにいられなかった。あのエレーナの言動は、まちがいなくナターシャの妹だった。
『ブラック・ウィドウ』への感想や考察として、男尊女卑的思想によって作られたスパイ映画からの脱却、家族こそ至高だという価値観からの脱却を示唆しているというものをちらほら見かけたのだが、そういう視点もあるのかとおもしろく読むことができた。
おそらく私はナターシャ・ロマノフという個人を愛しすぎて、彼女の生き様を見る気持ちで映画に臨んだため、そのような考えには至らなかったのだと思う。
同じ作品を観ても感じ方は人の数だけあるのだと、今作が改めて教えてくれた。
4.なぜ私がここまで彼女を愛してしまったのか
ここまで彼女の魅力を自分なりに言語化して、文章でまとめ、気持ちを整理してきた。
思えば私は『アベンジャーズ(2012)』を観たときからずっと、ナターシャ・ロマノフという女に視線が釘付けになっていた。彼女にどうして惹かれるのか、きちんと整理すれば結論が出るはずだと思ってこのnoteを書き始めた。
しかし実際はどうだろうか。答えは出ないのだ。
どれだけ彼女の魅力を言語化しても、上っ面の情報をなぞっただけのような気がして、本質に辿り着けないままでいる。ますます迷子になってしまった。
強いて言うならば、私は彼女の見た目も、中身も、思考も能力もすべてに惹かれているのだろう。それはおそらく、私とは正反対だからだ。
私は彼女のような肉体的な強さもない、ハイスペックな能力もない。メンタルのタフさも、美貌もない。あらゆる魅力値を項目化したグラフがあるとするなら、私にとって彼女はそのグラフをすべてを満たした存在なのだ。
なのにどうして、私より彼女のほうが辛く厳しい場所にいて、欲しいものを手に入れられずにいつも寂しそうにしているのだろうか。どうして彼女は死ななければならなかったのだろうか。
私はこのひどい理不尽に耐えきれなくて、だから狂ったようにこんなnoteを書いているのではないかと、これを書きながら思い始めている。
『アベンジャーズ』のヒーローたちには、求められているものが2つあると私は考えている。1つは自己犠牲、2つはそれを選択する高潔さだ。確かにヒーローにとって自己犠牲の精神は必須であり、それがないままヒーローになることはできない。易々とできる選択ではないからこそ、できる彼らはヒーローたり得るのだろう。
しかし私はどうしても納得がいかない。どうしても彼らに「救う対象のなかに自分自身も勘定してほしい」と思ってしまうのだ。世界に平穏が訪れても、あなたたちが悲しんでいたら、あなたたちがいなければ、それは私にとって最も悲しい結末なのだ。これはエゴだと理解しつつも、そう思わずにいられない。
人間離れした能力を持ちながら誰よりも人間らしくいようとした彼女に、どうか平穏が訪れてほしかった。
惑星ヴォーミアへ向かう途中の、ホークアイ=トレントへ向けた嬉しそうな笑顔が忘れられない。ずっと笑っていてほしかった。少女のように笑う瞬間が彼女にもっとあってほしかったのだ。
強さの中に弱さを隠して最期まで気高くあろうとした彼女は美しいが、私は絶対それを称賛したくない、と思い始めている。彼女の死を悼んでいたい。
誰か一人くらいは、彼女の死に感情的になってもいいだろう。
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