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#14 ミニマリスト 100円ショップに思うこと編


みんな大好き100円ショップ。
ミニマリストの天敵。頻回にここへ行く人は、ミニマリストにはなれないだろう。
私の持論だが、100円ショップで購入するものは、そのほとんどがゴミとなる運命にある。(子どもがよくやりたがるガチャガチャもゴミ。ガチャガチャ イコール ゴミ の公式が成り立つ。)
100円均一で購入したアイテムはすべて、100円以下の商品なのだ。(利益などがあるから。)おそらく原価は、50円から80円程度だろう。
そんなアイテムは、生涯共にするアイテムにはならない。
100円で購入したシャープペンシルを愛することができるだろうか。

価格とは、モノの機能対価と、価格分の愛情を注ぎ込める器の大きさだと思う。
この考えから、購入しなければならないものは、極力良いものを選択して、一緒に生きていくことを誓えるかどうかを考えて購入するようにしている
これを購入して、どこに置いて、最期を看取るときは、どうなった時なのか?も考える。
それだけのことを考えて物を買う様になった。

100円ショップで私が購入するなら、消耗品だけ。
例えば、スポンジとか、綿棒とか。
安易に最期を看取ることができるものだ。
買ってすぐに無くしたとしても、痛みは大して無い。

余談だが、アメリカにも1ドルショップたるものがあるようで、この店舗は地域の人に嫌われているのだ。
なぜか?
貧乏な人が1ドルショップに集まって来るため、地域の治安が悪くなるそうだ。
こういう発想は、治安の良い日本にはない考え方だが、日本でも言えることだと思う。
海外に限らず、基本的に100円ショップはお金がない人が行くところだと思う。
お金がないのに、100円ショップに行って、やすいものを買って、お金を浪費して、より一層お金がなくなっていく。悪循環だ。

演出家が、貧乏な家と、裕福な家を演出する際、どうするか知っているだろうか?
貧乏な家ほど、モノが多く、裕福な家ほど、モノを少なく演出するようだ。
こうした演出家の仕事からも、物が少ない人ほど、裕福な人ということが言える。
ルイヴィトンに100円ショップほどのアイテム数が無いのも、そういうことだろう。高級なものは数を作れない、だから高額だ。
裕福な人は、100円で売っているようなものを買わない。

直近で私が100円ショップで購入したのは、8月頃、夏休みの宿題を作成する際のグルーガンのグルースティックだ。その際、seriaに行ったのだが、すごいアイテム数だ。店内をぐるりと回れば、きっと購入したいものも増えるだろう。そんな店側の戦略だ。
欲しいものがあれば、それだけを購入すればいいのだ。
娘も一緒についてきたのだが、欲しいものだらけ。買ってほしいものを持ってくるのだが、
「お父さん、お金ないんだよね。」って言って一蹴する。
娘から「お金あるでしょ。嘘つき」と言われながら、110円だけ払って店をあとにする。
安物買いの銭失いにならずに済む。
娘が持ってきたものの中に折り紙があり、迷ったが買わなかった。
私の発想はこうだ。折り紙は100枚入っている。それなら家に折り紙が10枚はあるだろうと予想した。
案の定、家に50枚くらいあった。そんなもんだ。
娘には「なくなったら買ってあげるね」と伝えたが、返事はなかった。悲しい。

100円ショップは儲かっている。とてつもない勢いで拡大中だ。
東京ドームの看板広告宣伝費を賄えるくらいダイソーは儲かってる。
ダイソーが儲かっただけ日本は貧しい人が多い国なのかもしれない。
悪い言い方だが、100円ショップはいかにして貧乏人にお金を使わせるか?貧乏人が欲しいものは何か?を考えている企業ともいえるだろう。


ちなみにダイソーはstandard productsという、高い商品では1000円くらいのクオリティの高い商品展開をしている店を出店してきた。
店の雰囲気なども良い。
商品もかっこいいもの、ミニマリストが好みそうなシンプルなものが多い。
ダイソーのようなゴチャゴチャ感は無く、おしゃれだ。
駅にあるので立ち寄った際、スマホの充電器を入れるポーチのファスナーが壊れたので、代替品を買った。この金額でこの商品はすごいねって思うけど、たいして欲しいものは無い。

次回は ミニマリスト オフィス編 を記載します。
よかったらお読みください。


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HAYA
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