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「努力は報われる」を考える

2019年2月から2020年3月17日のプールでの練習再開まで約1年間、治療のため休養していた池江璃花子選手が、日本選手権の女子100メートルバタフライで優勝されて、東京オリンピックの代表に選考されました。

そしてインタビュー記事はこちら。
朝日新聞デジタル 「努力は必ず報われる。今すごく幸せ」 五輪内定の池

池江選手が白血病を公表された時は、「頑張っている人に、神様はなんでこんな試練を課すんだろうね」と思いましたし、練習復帰の報道の時も「残念だけど東京オリンピックは間に合わないよね」と思いました。

東京オリンピックが延期になって何一つ良いこと無かったなと思っていましたが、唯一、池江選手の復帰が間に合って良かったと思っております。

そんな私ですが、この「努力は必ず報われる」を聞いて、少し考えてみたくなりました。
※報われる=相応なものが返ってくる。
 相応なもの=釣り合っているもの。


考えるきっかけ

池江選手が1位ということは、2位以下の選手も当然いるわけです。

日本選手権の決勝に出場されているわけですから、当然日本でトップレベルの選手で、オリンピック出場候補だったわけです。(もしくは既に出場が決まっている人もいるかもしれませんね)

彼女たちも当然、大変な努力をされているわけですが、今回は優勝できませんでした。

2位以下の人たちの努力は報われたのでしょうか?と記事を読んですぐに思いました。
※池江選手への尊敬と同時に、2位以下の人たちがどんな気持ちだったのだろうと思いを馳せました。



2位以下の(結果が出なかった)人たちの努力も報われている説

優勝できなかったとしても、その努力(水泳の練習)によって、体は健康に丈夫になり、困難に打ち勝つ経験(いわゆる良い経験)などにより、人生に役立つ力が身についていると考えていると、報われている部分もあります。

ただそれで、2位以下の人が「努力が報われた」と考えているのか?
真実は聞いてみないと分からないですが、

「優勝するためだったら、こんな苦しい練習も耐える」というセンスで努力されていた方は、「相応なもの=優勝」という定義なので、優勝できなかったら、努力の割には、返ってきたものが少なかった=報われていないのかもしれません。


実は努力値に応じた結果にみんななっている説

実は、 努力の量×努力の質=努力値 という概念があり、結果は全て努力の結果に応じて平等に出されているという説。

つまり2位以下の人は、1位より努力が少なかったという説。

先天的適正というのもあるだろ?という声もありそうですが、先天的=遺伝というもの、ご先祖様の努力の結果だとすると、ご先祖様からの努力値が結果として出ているとも考えられる。

そうなると、もう努力ってなんだよ?って感じますね(笑)


努力は必ずは報われない(報われる努力をしなさい)説

「努力は必ず報われる」は間違いで、「報われない努力もある」ので、報われるような努力をした方がお得という説。

少なくとも「競争」すると、必ず順位が付き、競争が激しい(人数が多い)ものは、必ず順位が相対的に低くなります。
また時期によってライバルの力は変わり、同じパフォーマンスでも去年だったら1位だったのにということが起こります。

もし努力が報われないと嘆いている方がいらっしゃいましたら、あなたが取り組んでいることが、努力によって報われにくくないか確認してみると良いでしょう。


自分だったらどうするか?

ここまで考えてきて、もし自分だったら?と考えてみると、
もし努力が報われなかったとしても、やって良かったと思うことをするのが良いかなと。
・好きなこと
・興味があること
・死ぬまでにはやってみたいこと etc……

「努力が報われなかった」ということがあっても、そもそも好きでやっているわけで、楽しいので良いになりそうかなと。

人間頑張った時に報われなかったなどと思うと、拗ねたり、無気力になったりしますが、「報われたかどうか?を気にしない生き方」を生きたいものです。


追記:東京スポーツ 池江璃花子「努力という定義も難しいな」 “必ず報われる” 発言で物議

美談しか出ないだろうと思って、本テキストを書きましたが、軽く炎上しているのですね。。
池江選手がその時、そう思って、そう発言したこと自体は、当然池江選手の自由で、池江選手自体が批判されるべきことではないと考えます。

どんな人が聞いても"痛くない発言"は、当たり障りがない含蓄のないものが多いのだと考えます。

今回、多くの人に感動を与え、努力について考えさせた池江選手のパフォーマンスと発言に私は感謝しています。

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