マインドハンター

『マインドハンター』 同じ動機を抱えていても殺人を実行しない人はいる(by キミシマフミタカ)

by キミシマフミタカ

かつて、殺人現場をよく歩いた。雑誌の記者として、殺人事件の記事を書くためだ。裁判所の傍聴席で、殺人犯たちの横顔を見て、その発言を何度も聞いた。起訴状を読み込み、弁護士の反論も聞いて、関係者の話を聞いて集める。そこで何度も考えたことがある。人間の中に、殺人者とそうでないものを分ける境界線はどこにあるのか?

殺人者を異常者である、と片付けることはたやすい。このドラマにも登場するシリアル・キラーたちは、いずれもどこかネジが外れている。一般的には異常者と言われるだろう。殺人の動機はさまざまだが、だからといって、殺人を実行するのはなぜなのか? たとえば同じような異常性を持ち、同じような動機を抱えていても、殺人をしない人はいる。

このドラマは、FBIの犯罪心理捜査、いわゆるプロファイリングの黎明期を描いたものだ。地味なテーマだが、デヴィット・フィンチャーらしく、登場人物を丁寧に描き、展開にリアリティを求めることで、視聴者の心を揺さぶり、不穏な気持を煽って来る。

そこにあるのは、殺人に至る心理的なプロセスの解明だ。そのプロセスを解明することで、犯罪を予防することができるはずだ、という理論が前提にある。実際にFBIでは今、その手法を進化させ、捜査に活用しているのだろう。だが、と思う。プロセスを解明することで、ある程度の犯罪予測はできても、人がなぜ殺人を犯すのかという理由はわからない。このドラマに惹き付けられるのは、逆説的だが、その理解不能の怖さなのだと思う。

主人公の若きFBI捜査官(ジョナサン・グロフ)には、博士号をめざして勉強しているガールフレンドがいる。やや高慢で自分勝手な彼女に振り回されるが、ドラマの終盤、やがてその恋愛そのものを自らプロファイリングすることで、その疲弊する関係性から離脱できそうになる。だからといって実際に別れられるのか? その答えは、シーズン2にまで持ち越されるが、それこそが、プロファイリングの可能性と限界を示唆することになるのかもしれない。
 
雑誌の記者は孤独だが、FBI捜査官には相棒がいる。行動分析課のベテラン捜査官役のホルト・マッキャラニーが、いい味を出している。それなりの闇を抱えつつ、若いFBI捜査官の“暴走”を傍からサポートする兄貴分。自分にも毒を吐き出す相手が必要だったと思い、このふたりのコンビに軽い嫉妬を覚えつつ、シーズン2に期待している。

 

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