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連載『神獣連れの契約妃』

短編で「続きを」と好評をいただき、連載を始めることにしました。

神獣連れの契約妃~加護を疑われ婚約破棄された後、帝国皇子の契約妃になって隣国を豊かに立て直しました
小説家になろう
アルファポリス

神獣のもふもふオオカミを連れた王子の元婚約者がひょんなことから帝国皇子の契約妃になり、守銭奴よろしく仕事に明け暮れながら生き生きと日々を送り、その傍らで帝国と皇子も心に明かりを灯す物語――になる予定です。短編と若干設定を変えつつ、長編にするために話を膨らませていっております。よろしくお願いします!

※紛らわしさ回避のため、短編版は近いうちに非公開にしますが、以下に載せておきます。

短編版

「私は要らなくなったと、そういうことですか?」

 やっとのことで咀嚼して返事をすると「まあ、そういうことだなあ」とアラリック殿下は悩ましげなフリをしながら頷いた。

「なにせ、君の加護は我が国には適切でないというか……いや、間怠っこい言い方はよそう。正直、家柄、能力、なにより人柄、これを考えたとき、ヴィオラのほうが適任なんだ」

 頭には、薄紫色の髪をくるくると指に巻き付けながら小首を傾げ「困ったわあ」を口癖にする殿下の従妹の姿が浮かんだ。次に思い浮かぶのは「ちょっと休憩」だった。

 私には、正直、能力については殿下の言い分に疑義があった。しかし、殿下にとってはそうではないらしい。

「特に、君の振る舞いは王子の婚約者にふさわしくない。王子の婚約者でありながらメイドの一人もつけずに自ら身の回りを整え、時に料理まで手伝うなど。黙ってはいたが、そんなメイドの真似事をされては、私は顔に泥でも塗られたような気分だった」

 私には、メイドをはじめとする付き人のような者はもともといない。もちろん、召し上げられた当初は充分なメイドがついていた。ただ、一年と経たないうちに、ヴィオラ様が解散を命じた。

『だって、もともとメイドがいなかった方なんでしょう? だったら必要ないっていうか……ほら、私は生まれしときより公爵令嬢ですから、人の主たる資質がございますけれど、ロザリア様はそうではありませんでしょう? そんな人に仕えさせるなんて可哀想じゃないかしら?』

 もちろん意味が分からなさすぎてアラリック殿下に直談判しようとしたが、殿下は「お前はヴィオラのいうことが間違っているというのか?」と取り合わなかった。だから、アラリック殿下の言い分が正しいとすれば、それは殿下がご自身で顔に泥を塗ったということになる。

「一方で、ヴィオラは体が弱いにも関わらず、ときに無理をしてでも私の隣に立って、君では相応しくない場で立派に代わりを務めてくれた。涙ぐましいほどの努力をしながら、それでもヴィオラは君が婚約者の立場にあることを慮り、決してその心を口にしなかった。それでも君の振る舞いに耐えきれなかったのだろう、先日、一生のお願いだと言って……私と結婚したいという本心を吐露してくれた」

 まるで尊い告白を受けたかのように、殿下は悩まし気な溜息をついた。

「そんなヴィオラが王子妃に相応しくないと、君はそう思うか?」

 アラリック殿下とヴィオラ様は従兄妹同士、それ以上でもそれ以下でもない関係であったそうなのだけれど、私が7歳になる頃には、そちらのほうがまるで恋人同士になっていた。アラリック殿下いわく。

『ロザリアの一番の功績は、私にヴィオラの愛おしさを気付かせたことだ。ヴィオラの生まれもった上品さ、慎ましさ、儚さ、どれもこれも当たり前に備わるものではないと、自ら身の回りの世話をし、男にも口答えし、可愛げの欠片もないお前を見ていて分かった』

 私はなに言われているのか分からなかった。ともあれ、その頃からはヴィオラ様がアラリック殿下の婚約者然として振る舞うようになった。

 それでも私の立場が失われなかったのは、ひとえに神獣が私についていたからだった――が、なんと半年ほど前、ヴィオラ様に(自称)神獣の守護があると判明した。

 そうなれば、私が早晩お払い箱行になるのは見えていた。いつ王城を放り出されるか分からないと危機感を抱いたものの、そんなときだけ“王子の婚約者”の肩書に邪魔され、王城外で生きるための蓄えや準備をすることはできなかった。

「それに、君は正直、臣下からの評判も良くない。いつもいつも細かいことにうるさく、自由に仕事をさせまいとすると。王子の婚約者となって何を勘違いしているのか知らないが、私が君に任せたのは王子妃として適切な采配を振るうことであって、臣下から反感を買うことではない」

 アラリック殿下に婚約破棄をされること、それ自体は痛くもかゆくもない。この王城を出て行くことだってそう、王子の元婚約者なんて立場は名ばかりで料理長の手伝いからメイド長の代理にメイドや官吏の統制まで、ありとあらゆる仕事を嫌がらせとばかりに押し付けられ、ヴィオラ様には小姑呼ばわりされ、決して居心地がいいとは言えなかった。

 でも、私には、この王城以外に居場所がないのだ。

 私は神獣の守護を受ける者として早々に王家に召し上げられ、生家には王家から莫大な持参金が支払われた。貧乏暮らしに喘いでいた我が両親は大喜びで、何があっても金を返してなるものかと、以後一切私を家に寄りつかせないことを約束したそうだ。お陰で私は地図上でしか自分の家を知らない。

 しかも、私は既に16歳、当然のことながら、嫁の貰い手もない。

「しかしアラリック殿下……繰り返しになって恐縮ですが、要は、私との婚約を破棄すると、そういったお話ですよね?」
「そのとおりだ。巷には婚約破棄だのなんだの騒ぐ令嬢がいるのは知っているが、まさかそんな無様な真似はしないだろう?」

 騒ぐつもりがあったわけではないのだけれど、先に封じられてしまった。

「……本日付けですか?」
「まあ、そうだな。ヴィオラも病気がちであったせいとはいえ既に15歳、いつまでも婚約者がいないのは可哀想であるし、いずれ私の妃になるとはいえ不安定な立場に置くべきではない。そう考えると、あえて婚約破棄を先延ばしにする理由はないだろう?」
「え? 既に16歳を過ぎ、17歳にもなろうかという私から突然婚約者を奪うのは可哀想ではないのでしょうか? というか、私は殿下の婚約者でなくなった時点で王城に出入りする権利がなくなり、生家にも戻れず、一文無しでありながら住む場所も失うことになるのですが?」
「うるさい!」

 と思ったけれど、ついうっかり騒いでしまうと怒鳴り返されてしまった。

 殿下は沸いた湯のように一瞬で憤懣を顕わにしながら、机上の書類をパフォーマンス的に叩き落とした。

「君のそういうところだ、ロザリア! いつもいつもそうやって口答えばかり、それどころか他人のやり方にケチをつけて小賢しいと言ったらない! 素直なヴィオラを見習ってはどうだ!」
「はい? ヴィオラ様だって神獣の守護があることを理由に金と引き換えに強制的に召し上げられた挙句体の弱い年下の従妹から毎週リセット可の一生のお願いに結婚してほしいとせがまれたからそちらと結婚するというわけで婚約はなかったことにして出て行けなんて言われたら烈火のごとくお怒りになると思いますよ?」
「ハッ、そうして一息に嫉妬を口にする。お前の性格の悪さが出ているというものだ!」
「嫉妬ではなく憤慨しているんです。ご返答に殿下の頭の悪さが出ております」
「誰の頭が悪いだと!」
「あらお耳も悪かったんでしたかしら、これは失礼いたしました」

 大体、殿下はヴィオラ様の本性を知らなさすぎる。私だってそう関わりはないものの、ヴィオラ様が連れていた侍女に頭を下げさせて人形を叩きつけるなんて暴挙に出たのを目撃してしまったことがあり、あ、この人はただのか弱いご令嬢ではないのね、と認識を改めた。ちなみに理由はお人形の縫い目がほつれていたから、さらにほつれた原因はヴィオラ様が誤って踏みつけてしまったからだった。

 でも、可愛い可愛い従妹君に絆されてしまっている殿下には何を言っても無駄だし、最終的に婚約破棄を決意したのは殿下。ヴィオラ様の悪口を言うのは筋違いというもの。

 殿下についてもこれ以上は言うまい――と一度口を閉じたが。

「ふん、そうしてお前が達者なのは口ばかり。それだからお前の神獣もろくな能力を持たない役立たずなのだ!」

 とんでもない暴言に、私の理性は彼方に吹っ飛び、机に両手を叩きつけた。

「お言葉ですがアラリック殿下、私はともかく、私の神獣ヴァレンを馬鹿にしないでいただきたい! 彼は私の生まれしときより私を守護してくれてきた存在です。私に能力不足があったとしてそれは私の問題、ヴァレンには何の落ち度もございません!」

 キュウキュウと微かな声を出しながら、ヴァレンは私の足に体を擦りつける。殿下に何を言われようが興味はないらしく、その銀色の毛を舐めて毛繕いを始めた。

 殿下はそれに対し、まるで憎たらしいものでも見るような目を向ける。

「フン、その獣はオオカミ姿の神獣だというが、そもそもそれが嘘なのだろう。ヴィオラのウサギ様《よう》の神獣と異なり、神々しくもなんともないからな」

 神獣の見た目は実在する獣に近く、神獣と認識できる者は少ない。殿下はその大多数のほう――神獣と獣の区別がつかない人だった。

 そしてそのヴィオラ様の神獣・・こそ、獣でないかと私は疑っていますけどね! 確信を持つことができないのは、ヴィオラ様は、その神獣を連れている様子を私には見せたことがないからだ。だからこそ疑いは深いのだというのは、さておき。

 ただ、それはヴィオラ様へのあらぬ疑いを生むので黙った。それを論破と理解した殿下は呆れた溜息をつく。

「私はこれでも君を疑わず、そのオオカミが神獣だと信じていた。だからこそ、どれほど君が我が妃に相応しくなくとも傍に置いてやったのだ。が、お前と婚約してはや十年以上、なんっの加護も感じたことはない。どうせ、大して取柄もないお前が王族に取り入るには神獣の存在をダシにするしかないと考えたのだろう」

 神獣について分かっているのは、神獣は加護を与えられた者の生まれしときより近くにいること、その姿は動物であるが動物よりも格段に高い知能を持っていること……といくつかあるが、重要なのは、守護する人間を通じて、それぞれ特有の加護を周囲に及ぼすこと。だからこそ王家は加護持ちの者を引き立て、また王族に取り込み、そして各貴族も外に出すものかと躍起になる。

 だから、なんらの加護も感じなかった以上、ヴァレンの神獣性は私の嘘だと! とんでもないことを言い始めた殿下に向け、怒りのあまり顎を持ち上げた。

「アラリック殿下……いくら殿下とはいえ、お言葉が過ぎます。ご自身が節穴だからとヴァレンを否定するなんて。その御目を牙で穿たせますよ」
「ほらみろ、お前はすぐにそうして逆上するのだ。それどころか目を穿つなど、おそろしい発想を!」
「冗談でございます、私の可愛らしいヴァレンの牙をそんなもので汚させるつもりはありません」
「王子たる私の目に対して汚いものとはなんだ!」
「というか、もしやヴァレンに嫉妬なさっているのですか? ヴァレンはこんなにもふわふわですが……」

 そっと屈んで、ヴァレンを抱きかかえるようにして顔をうずめる。殿下の馬鹿発言に苛立ったときはこうしてもふもふして癒されたものだ。ヴァレンは気にも留めず知らん顔だけれどいつものこと、私も気にも留めず、そっと殿下を見上げる。

「殿下は二十歳を過ぎてから、その毛の存在感が日に日に薄れてきておりますものねえ」
「きっ……貴様、暴言を過ぎて侮辱であろう! だからお前は――」

 侃々諤々言い争うこと十数分。

「今この場で婚約を破棄する! 謝罪すればメイドとして雇ってやろうと温情の余地もあったが、そんな寛大な処置などまかりならん、今すぐ出て行け!」
「ええもちろんです、そんな不遇な処置など殿下自らお願いされても到底受け入れられません! 今すぐに出て行かせていただきます!」

 売り言葉に買い言葉で、その日のうちに最小限の荷物だけまとめて、私は王城を出て行くことになった。

 さて。部屋を引き揚げた私は王城の門に立った。背中にそびえたつ王城のせいで、西日すら遮られ、私の頭上には影が落ち、仁王立ちした足の間からはヴァレンの顔が出ている。

「……これからどうしよう」
「そう焦らずとも、二、三日は猶予をもらえばよかったのだ」

 まるで他人事のような口ぶりに、じろりと足元を見下ろした。その先では、ぷわあ、とヴァレンがあくびをして大きな牙を覗かせている。

「もっとも、あの感情的な王子はなにを言い出すか分からん。今日のうちに飛び出したのは正解だったが」
「結論において相違ないってことでしょ。というか、ヴァレンなんてただの獣なんじゃないかって言い始めたときによく飛び掛からなかったわね」
「ただの獣と違って、格下は相手にしない主義でな」
「ご立派でなにより」

 小さく返事をしながら、何も解決しないやりとりに溜息をついた。

 ヴァレンは神獣の中でも特に知能が高いらしく、人間の言葉を理解するだけでなく喋ることもできる。いや喋るというと少し語弊がある、限られた者――少なくとも私にはその言葉が直接耳に届くだけだ。

 その会話を「自作自演だ」と陰で言われていることがあるのは知っていたが、まさかヴァレンの神獣性を否定してヴィオラ様の謎のウサギを神獣認定していたとは。アラリック殿下の馬鹿殿っぷりには恐れ入る。

「……行くあてはないけれど、正式に結婚する前に向こうから婚約破棄してくれて、それ自体は幸いだったかもしれないわね。あのまま王城にいたら、もしかしたら結婚という契約さえすれば加護があるんじゃないかって、形だけ結婚させられて対外的に妃として振る舞うのはヴィオラ様になって、私は地下牢にでも繋がれていたかもしれないし」

 でも、じゃあ、これからどうしよう。幼い頃からヴァレンが隣にいてくれたお陰で、我ながらたくましく生きてきた自覚はある。家族に金代わりに売られて、殿下に邪険にされ、公爵令嬢に目の仇にされ、殿下いわく臣下に煙たがられ、普通ならしょんぼり落ち込んで部屋に閉じこもる以外できなかっただろうけれど、そうはならずに済んだ。これからも、ヴァレンがいればきっと生きていける。

「とりあえず、住み込みの職を探しましょう。ヴァレンと一緒の部屋で暮らさないといけないからちょっとハードルは高いかもしれないけど、いざとなれば野宿でもいいし」
「これからの季節は寒いだろう」
「ヴァレンがそばにいれば暖炉よりも暖かいわ」
「ねえ、仕事探してるの?」
「え?」

 不意に、びっくりするほど軽い口調が降ってきた。驚いて振り向くと、立派な商隊を率いる馬車を更に率いる馬に乗って、少年がこちらを見ている。

 お使いにでも来てるの、と聞きたくなるほど可愛らしい顔立ちをした子だった。少し跳ねた太陽色の髪に、いたずらっぽいグリーンの目。この子ならヴァレンも懐くかも、そんな人懐こそうな、他人を警戒させない雰囲気があった。

 実際、足元のヴァレンは顔を上げるだけで、特段牙をむくことはない。

「きっと王城《ここ》に勤めてたんだよね? クビになっちゃった?」

 ヴァレンの存在も気に留めず、彼は穏やかに微笑みかけてくる。

 しかし確かに、私はそう見えるのかも……。王子の元婚約者が供つけず、それどころか自分で荷物を両手に足元にオオカミを従えて吊り橋前で立ち尽くしているなど誰も思うまい。身に着けているドレスも古いし、ヴァレンももしかしたら犬と思われているかもしれないし、住み込みの使用人が職と住を一挙に失ったと勘違いされるのも当然だ。

 そしてまあ、婚約者の立場をクビになったといえば、そうでもある。重たい荷物を地面に下ろしながら「……ええ、まあ……」と頷く。

「そう……ですね……」
「じゃ、俺が雇おっか?」
「え?」

 少年は商隊を振り向きながら「適任がいなくて困っててさあ」と肩を竦める。

「条件は悪くないと思うよ、衣食住保障だし、身の安全もかなり確保できると思う。求めるものは多いかもしれないけど、王城《ここ》に勤めてたなら務まるんじゃないかなって。ああ、もちろん、犬も飼っていいよ」

 どう? なにか企みごとでもありそうな笑みに警戒心が顔を出す。

「もちろん、怪しい人間じゃないよ。ほら、王城を出入りする許可証もちゃんともらってるし」

 広げられた許可証には「ラウレンツ・F」と署名がされていた。確かに違法な商人ではないから、怪しい人ではないはず。この少年を見たことはないけれど、商人だから直接顔を見たことがないだけだろう。

 それに、神獣に守護される女なんて、どこの誰に利用されるか分かったものではない。下手な職探しをするより、こうして身元の確かな商人を頼ったほうがいい。

 いざとなればヴァレンもついているし、と見下ろした先では、犬呼ばわりされたことに怒っているのか、少年を睨みつけていた。

「……じゃあ、お願いします」

 半年後の私は、宮殿の廊下から窓の外を見ていた。見下ろす先の庭園は、その果てが見えぬほど広がっている。中心には巨大な噴水があり、その左右にはシンメトリーのバラ園が広がって、西側のバラ園の向こう側には人工の小川まである。東側のバラ園の向こう側には森が広がり、野生動物が放たれ、すぐに狩りに出かけられるようになっていた。

 窓枠に足をかけたヴァレンは「いつ見ても整い過ぎた不思議な景色だな」と首を傾げている。神獣のヴァレンから見ればそう見えるのだろう。私から見れば、一日どころか何日いても退屈することのなさそうな、豪華で贅沢な空間だ……。感嘆にも似た溜息を漏らしてしまっていると「ロザリア、ロザリア!」と大きな声が廊下の向こう側から聞こえた。振り向く頃には、走るラウレンツ殿下が隣にまでやってきたところだった。

「こんなところにいた! ごめん、ちょっと来てくれ!」
「はいはい、ただいま」

 二つ返事で引き受け、ドレスの裾をたくし上げて走り出す。ヴァレンは飛び降りるように素早く廊下に着地し、音もなく追いかけてくる。

「で、本日はどうなさったんですか?」
「困ったことに、隣国からお客様があってね。商談に出てる連中じゃ言葉が通じない」

 ラウレンツ殿下はすぐ隣を早足で歩き始める。

「俺が出てもいいんだけれど、これからちょうど会談が始まるんだ。王子の俺が外すわけにはいかない」
「でも、それなら私も会談に出席しなければならないのでは?」
「それはもちろん。ただ、会談は取引の話しかないから大丈夫だよ。終わってから庭園を散歩して少しお茶を振る舞う、そのお茶のタイミングから来てくれれば」
「お茶の準備も含めて考えると、会談が終わるまでに商談をまとめて戻ってきてくれということですね」
「そういうことになるね」

 なんなら私は着替えと化粧直しまで必要になる。相変わらず人使いの荒い王子様だ。

「それってボーナスも出ますか?」
「……善処しよう」
「約束してください」
「……約束しよう」
「ありがとうございます!」

 廊下の突き当りで別れると、ヴァレンがクゥと鳴く声が後ろに流れていく。ラウレンツ殿下が私の視界から外れると、最近のヴァレンはよくそんな反応をしている。

 でも、それがどういう意味なのかヴァレンに聞く暇はない。いまは商談の場に急がなければいけないのだ。窓の外を見ると、ちょうど地上に人の塊が見えた。

 慌てて立ち止まり、大窓を開け放つ。

「ヴァレン、ちょっと下まで乗せてくれる?」
「よかろう」

 すかさず屈んでくれたヴァレンの背中に乗って、一緒に三階の窓から飛び出した。ふわふわの銀の毛が風にあおられてくすぐったい。

 シュタッと軽やかにバラ園の陰に着地したとき、音もなく飛んできたフクロウの影がヴァレンの頭に落ちた。見上げるより先に、その影は私の頭に合流する。

「オーリ、お帰りなさい。森の様子はどうだった?」

 クー、という機嫌のいい声は豊作だった証拠だ。ヴァレンは私を下ろしながら「昨晩は雨が降ったから草木が一層元気だそうだ」と通訳する。神獣同士は直接に言葉を理解できるらしい。

「そう、よかったねオーリ。おいしい木の実は食べた?」
「オーリは木の実を食わない」
「あ、そうだったわ。ごめんなさい、見当違いなことを言ったわね」

 オーリは宮殿近くの森の主で、言ってしまえば野良神獣だ。出会って以来、こうしてたまに会いに来て森の様子は教えてくれるものの、ヴァレンと違っていつでも近くにいてくれるわけではなく、ふらっと飛んできてはふらっと飛んでいく。そのわりに人懐っこいのか、私の頭の上に乗って寝ていることもある。今だって、影を見れば、羽に顔を埋めてうとうとしているのが丸分かりだ。

「それで、そのお客様のお相手が今日の仕事か?」
「ええ。上手くやりましょう、きっとそのお客様は隣国の使者――会談についていらっしゃった方々、懐事情はすこぶる良いに決まっているわ。ぜひ気に入られて色々とお買い求めになっていただきましょう」

 そうしてこのモンドハイン国の財政を立て直し、ひいては私もボーナス獲得。ぎゅっと拳を握りしめてドレスを整え、目当ての人々がいる場へ飛び出す。ラウレンツ殿下の言ったとおり、いつもの商人仲間は、異国の雰囲気のある若い男性相手に、手を縦横に振りながら右往左往していた。

「お待たせしました、担当のロザリアです!」

 相手の母国語と共に飛び込むと、パッと男性の顔が華やいだ。そのまま「このグリーンの石が美しいから、ペンダントにして売ってもらえるか確認したかったんです」と少し照れくさそうな顔をする。

「そういうことなら、デザインから加工まで、どうぞお任せください」
「ありがとうございます!」

 バラ園の陰に隠れたヴァレンから私の耳元へ、「相変わらず商魂たくましいことだ」とおじさんくさいコメントが届いた。

 ――さて、どうしてこんなことになったのか。はじまりは半年前、私がアラリック殿下に婚約破棄されたときに遡る。

 行き場がない、と呆然としていた私に声をかけた商隊の長たる少年ラウレンツは、なんとモンドハイン国のラウレンツ王子だった。王子がなぜ商人のふりをしていたのか、その原因は破綻寸前のモンドハイン国の財政にあった。

 モンドハイン国は、我が国――エーデンタール国の隣にある巨大な国だ。その領土面積は大陸屈指、必然強国――とも思えるが、実は元王妃の浪費により国が傾くほどの財政難に陥り、また一族ばかり要職につける縁故登用を繰り返した結果汚職にまみれてしまっていた。彼女は一族と共に既に追放されているが、それによって自動的にすべてが回復するわけではない。結果、元王妃の継子であるラウレンツ殿下は、王城の人事を取り仕切るほか、なんと自ら商人となってまで財政の立て直しに奔走する羽目になっていた。

 私に声をかけたのは、人事の一環だったそうだ。元王妃が選んだメイドたちは、当然のことながら元王妃と共に贅沢三昧、とてもじゃないが雇用継続することはできず、しかし全く新たに雇い入れる余裕も伝手もなく、困っていたのだという。

 そこに見つけたのが、大国・エーダンタール国王家の元メイド(と勘違いされていた)私。雇われていた時期があった以上、それなりの教養はあるはず、そうとなれば一から教育する手間も費用も必要ない、クビになった直後で藁にもすがりたいタイミング、今が底値でお買い得――そう判断したらしい。大変失礼だけれどごもっとも、大変商魂たくましい王子様だ。

 そうして侍女として雇入れたら実は王子の元婚約者でしたということで大変仰天されたし、なんなら「じゃあメイドとしてなんて働けないじゃないか!」と頭を抱えられてしまったのだが、私が王城でいいようにこき使われていたのはお互いに嬉しい誤算だった。ラウレンツ殿下は、すぐに私の仕事っぷりを喜んでくれた。

 が、それもほんの短い期間だけで、すぐに「メイドでなく妃で契約し直してくれないか」と提案された。思ったよりも私が使えたのでメイドではもったいないと感じたらしく、そしてラウレンツ殿下は継母のトラウマで頑なに婚約を拒みつつ、しかし対外的に度々王子としての資質の欠陥だと指摘され、婚約者の不在を苦慮していたそうだ。

 結果、日当を1.5倍に上げていただくことを条件に私が引き受けた。

 そうして私は、時に外交の場でラウレンツ殿下の隣で微笑み、社交場で一緒に踊り、王子としての体裁を保ちつつ、アラリック殿下の婚約者当時にさせられていた宮殿の内部統制だの監査だのの仕事を引き受けつつ、こんな通訳みたいな事務仕事まですることになっている。お陰で現在の私の収入には、日当以外にも臨時ボーナスがつくようになった。

 ボーナス対象の商談を無事終えた後、ヴァレンと一緒に部屋まで戻り、今度は外交用のドレスに着替え、化粧直しをして、庭園に降りる。向こうから殿下と隣国の使者が馬に乗ってやってくるのが見え、オーリは私の頭上から飛び立った。オーリは騒がしいのが嫌いなのだ。

 ラウレンツ殿下は「わざわざありがとう、ロザリア」と微笑みながら下馬し、「私の妻のロザリアです」と私を紹介する。その一挙手一投足は優雅なものだが、目元にはほんのりと疲労の色が滲んでいる。仕方がない、アラリック殿下がボケボケ暮らしていたのとは違ってラウレンツ殿下は王子なんて名ばかり、継母の尻ぬぐいのために朝から晩まで働きづめなのだ。今日の夕方には少しいい紅茶を淹れて持っていってあげよう。

「はじめまして、王子妃殿下自らお出迎えいただけるとは、大変恐縮です」
「こちらこそはじめまして、ロザリアと申します。どうぞ、お気遣いなく」

 この会談は、元王妃のせいで外国からの信用を失いつつあったモンドハイン国が、再び同盟を結んでもらうための第一歩。そのせいか、席に着いたラウレンツ殿下の横顔には日頃ない緊張が見えていた。

 しかし、きっと大丈夫だ。元王妃が好き放題やっていなくなったのは事実だけれど、ラウレンツ殿下が王家として責任を取り、努力してきたのも事実。

 実際、使者の方はいい意味で意外そうな表情で「こちらの宮殿も見違えましたね」と周囲を見渡した。

「もう4、5年前になりますが、私が以前お訪ねした際は、それはもう酷い有様でした。断罪されたかの王妃とその一族に支配され、宮殿全体が暗く、いやらしい雰囲気に満ちていた。それが今や、かつての栄華を取り戻しつつある。さすがですね、ラウレンツ殿下」
「褒めていただき光栄です。ただ、私一人の力ではありません、尽力してくれた信頼できる臣下と、有能な我が妃のお陰で」
「あら殿下、外でそんなことをおっしゃらないでください」

 目配せされ、微笑んで頷く。褒めてくれるのがお世辞かは分からないが、少なくともそうして感謝を口にしてくれるのはこの場限りの演技ではない。ラウレンツ殿下は、ご自身が継母に振り回されて苦労した経験があるからか、日頃から労をねぎらい、感謝してくれる方だ。

 そんな腰の低いラウレンツ殿下は「それに」と付け加えながら遠くへ視線をやる。

「時の運も大きいです。この半年のうちに迎えた収穫の季節には近年まれにみる豊かさがありましたし、“死んだ山”と呼ばれていた山からは溢れんばかりの鉱石が採掘され、我が妃の提案もあってですが、さびれていた田舎町が工芸品で活性化し、海を越えて新たな国と取引も始まり、お陰で優秀な人材が宮殿に戻ってきてくれて」
「はは、そうご謙遜なさるな。殿下が国のためにいかに尽力なさったかは私もよく存じ上げております。ただ、そうですな、時の運もあるとすれば、ひょっとすると、ロザリア妃殿下は幸福の女神だったかもしれませんね」
「ええ、ロザリアが妃になってくれただけで、こんなに幸福なことはなかった。それなのに、二つも三つも幸せを運んできてくれましたよ」

 こういうことはさらっと言ってのけるんだから、素直で腰が低いとはいえさすが王子だ。いつものことながら感心してしまい、すごいですね、なんてうっかり口にしてしまいそうだった。

 そんな会談の後、ラウレンツ殿下は疲労を肩に乗せながら「助かったよ、ロザリア」と気の抜けた笑みを見せた。

「いえいえ、私は隣でニコニコしていただけですから」
「隙なくニコニコしてもらうのが大事だからそれがよかったんだって。それから、商談に来ていたお客様が、実は辺境伯令息だったんだ」
「あら、どうりで」

 身形が随分きちんとしているし、若いわりに随分ぽんと大きな金額を出すものだと思ったのだ。

「婚約者へ少し珍しい贈り物をしたいと考えていたらしくて、大層喜んでいたよ。婚約者が気に入ってくれれば――」
「定期的に工芸品を仕入れてくれるかもしれませんね」
「そのとおり。さすがロザリア、話が早くて助かるよ。……それで」

 少し改まるような間に、つい両手を合わせて目を輝かせてしまった。もしかして。

「もしかしてボーナスの上乗せですか?」

 どうやらそうではないらしい、というのは面食らったグリーンの目を見れば分かった。

「冗談ですって、私とて契約妃としてこの国の財政が健全とおりこして潤沢になるために尽力しているのです。がめつく給金アップばかり求めません」
「あ……ああ、うん……そうだな、うん、助かるよ。でも無理はしないでほしいから、厳しいことがあればなんでも言ってくれ」
「大丈夫です、衣食住が保障された居心地のいい生活にお給金までもらえているんですから、これほど気楽なことはありません」

 ラウレンツ殿下はまだなにか言いたげにしていたけれど、何かあればすぐ言ってくれるタイプだし、勘違いだろう。ではこれで、とヴァレンを連れて辞去した。

 自室に戻ると、ヴァレンはのっそりとソファの上に横になる。

「今日の仕事はこれで終わったのか?」
「ええ、一応ね。ねえヴァレン、もうラウレンツ殿下の人となりも分かったんでしょう? そろそろ神獣だって明かしてもいいんじゃない?」

 悪用されてはたまらないと、ヴァレンはラウレンツ殿下の前では頑なに口を閉ざしている。お陰でラウレンツ殿下は、ヴァレンが犬ではなく狼である以上のことは知らなかった。

 ヴァレンは「用心はするに越したことはない」と言いながら顎を前足に乗せ、耳をパタパタと動かす。

「でも、ヴァレンの加護が時の運だと勘違いされてるわよ」
「別に、それで十分だ。私としても感謝されたいわけではない」

 ヴァレンがつかさどる加護の内容は“豊穣”。しかもその対象は、一族や家族といったごく狭い範囲ではなく、国全体を含む。そんな強大な力を持つヴァレンの加護を受け、このモンドハイン国の死んだ山は鉱山に、荒地は畑に、枯れた木々は果樹に、それぞれ甦った。

 でも、エーデンタール国はそれほどの豊かさに恵まれなかったように思う。こんな風に二人きりでいるときにそう首を傾げると、ヴァレンは鼻を鳴らし。

『加護を与える相手を選ぶのは私だ。私のロザリアを物のように扱う者に加護など与えるものか』

 いけしゃあしゃあとそんなことを言ってのけた。なんだ、じゃあ分かりやすいほどの加護がなかったのはヴァレン自身がそう決めたからだったのかと納得した。ちなみに、ヴァレンの通訳によれば、オーリは才能をつかさどり、加護を与える者のもとへ才ある者が集まるのだという。

 結果、私とラウレンツ殿下は、お互いにウィンウィンな関係を築いていた。私はラウレンツ殿下に雇われたお陰でこうして衣食住を確保し、なんならかつてアラリック殿下には「口うるさい」「細かい」「小賢しい」と黙らされてきたことをしても至極公平に判断してもらえてお給金までもらえて、生活に不便することはない。ラウレンツ殿下は、長年の努力が報われ、ヴァレンに認められたことで国を豊かにすることもできた。殿下とのお散歩中に野良神獣のオーリが発見されたことで、宮殿には才ある新たな官吏も登用されている。

 メイドとしてさえ雇ってやるものか、そう放り出されたとき、一時はどうなるかと思ったけれど、人生、なにがよく転ぶか分からないものだ。ヴァレンとラウレンツ殿下のお陰、もしかしたら婚約者時代に私にあれこれ仕事をさせてくれたヴィオラ様とアラリック殿下のお陰で、こうして私はせっせとお金を稼ぎ、ヴァレンと一緒に暮らす算段を立てることができている。

 そう上機嫌になりながら、ラウレンツ殿下の紅茶を用意する。

「ねえヴァレン、充分なお金が貯まったらどこで暮らしたい? やっぱり自然が近くにあるほうがいいわよね。それに、ヴァレンがこの国を加護の対象に選んだのなら国内に留まるほうがいいだろうし、なんならオーリも一緒に来ないかしら? 自然が近くで、ヴァレンと住めて、働くこともできて……もしかしてこの宮殿でメイドとして雇ってもらうのが一番いいかも、でもさすがにそれは我儘かもしれないわね。……ヴァレン?」

 いつも適当な相槌を打ってくれるのに、ヴァレンはむくりと立ち上がる。

「どうしたの?」
「いや、用事を思い出した」
「用事って、ヴァレン、あなたいつも夜にいなくなるけど、一体どこに行ってるの? 狩り?」
「そんなところだ」

 扉を開けてあげると、ヴァレンはのそのそとどこかへ歩いていく。心なしかその後ろ姿はちょっぴり嬉しそうだった。

 ――そっと、夜の庭園を歩く。さらさらと流れる小川の音を聞きながら歩いていると、サクリサクリと草を踏む音が聞こえた。

「やあ、ヴァレン。少し待ってた?」

 ひょいと挨拶代わりに一房のぶどうを放り投げられ、大きく口を開けてキャッチした。伏せて前足でそれを押さえかじりついていると、ラウレンツ王子は隣に座り込み、俺の背を撫でる。最初は遠慮して触れてこなかったが、最近は勝手に旧知の仲になったつもりらしい。悪くないので許しているが。

「今日はロザリアが紅茶を淹れてくれたんだ、お疲れでしたからって。でも俺は顔に出さないようにしてるというか、なんなら他の臣下には無尽蔵のエネルギーがありますねなんて笑われてしまうくらいなんだけれど、なんでロザリアは気が付くんだろう。彼女は本当に不思議だね」

 ガツガツとぶどうの粒をいくつも一気に齧りながら無視をした。ラウレンツ王子の凛々しい眉の端が少し垂れる。

「……もちろん、期待し過ぎないようにしているよ。ロザリアは責任感をもって仕事を真面目にしてくれているだけだ。それにアラリック殿下と婚約していたのはほんの半年前、いくら酷い仕打ちを受けたって嫌いになることはないだろうし。……そういえば、ロザリアがいなくなってエーデンタール国の王城はてんてこまいらしいね」

 ラウレンツ王子は、私は言葉を喋ることができないと思っている。その立場上話し相手もそういないせいか、ロザリアに話すことができないことはすべて私に垂れ流すのが常だった。

 例えば、ロザリアの元婚約者アラリック殿下とその住まいの王城について。

 王子の婚約者として扱われなかったロザリアは、嫌がらせ的にとかく無理難題を押し付けられ、いつもそれをどうにかして乗り越えてきた。その一つが王城の統治システムなのだが、ロザリアは何事にも細かい基準を定めて運用し、お陰で重要事実は漏れなく王子ないし王へ報告され、また逆に些末な事物は下の者の裁量に任され、王子と王の負担が軽減されていた。その意義を理解しなかった王子は、無能な者の「基準が細かくて面倒くさい」という進言を受け入れロザリアの評価を落としていたし、ロザリアがいなくなった後は思い出したようにその基準を撤廃した。結果、王子ないし王のあずかり知らぬところで重大な決定がなされてしまい、それを強く叱責したところ、王城で飼育する鶏のエサの量まで確認されるようになってしまったのだという。どの立場の人間がどこまで関与し決定するか、その塩梅が分からず苦労しているとか。

 他にラウレンツ殿下から聞いた話といえば、ヴィオラ公爵令嬢が神獣呼ばわりしていたウサギがただの野ウサギだと発覚してしまったこととか。

 ヴィオラ公爵令嬢に実は神獣の守護があると聞いたとき、私はいの一番に確認に行ったが、ただの野ウサギであった。愚かなアラリック王子は、もちろんヴィオラ公爵令嬢のウサギを神獣と信じ、ヴィオラ公爵令嬢との婚約に際しては大々的にそれを喧伝してまわったという。ただ、ヴィオラ公爵令嬢の横暴に耐えかねた侍女がウサギを逃がし、また彼女に頼まれて野ウサギを捕獲したと暴露してしまったそうだ。その“心労”で、ヴィオラ公爵令嬢は床に伏し、アラリック王子は“侍女の不敬”と怒っているとか。

「それから、エーデンタール国は不作で大変苦労しているともね。俺も苦労は分かるからできるだけ安く作物を輸出してあげたいけれど、それはそれとして、ロザリアが俺の妃――ああいやもちろん契約なんだけれど、ともあれ我が国に来た途端に我が国が豊かになってエーデンタール国が貧しくなるというのは……なんとも奇妙というか……」

 私は加護を与える対象を選んではいるが、存在するだけで多少の加護は垂れ流してしまう。エーデンタール国が苦しんでいるのはその反動だろう。

 ラウレンツ王子は、少々意味深な目を私に向ける。無視してぶどうの茎を鼻で押しやれば、王子はその手にもう一房ぶどうを取り出した。

 加護を与えた甲斐あって、この国で採れる果実は非常に美味い。もう一房くれるのかと起き上がると「まあ待て、これは賄賂だよ」と手で制止された。

「ヴァレン、ロザリアは何も言わないが、少なくとも君は見た目よりも遥かに賢いだろう? そもそもオオカミは賢い生き物だし、きっとロザリアの言葉も――俺の言葉も、すべて正確に理解してる。そこでどうだろう、俺とロザリアの仲に協力してくれるというのは」

 この王子がロザリアに話すことができないこと、そのもう一つは、この王子が実はロザリアに惚れてしまっているということだ。

 この王子がロザリアを雇った理由はロザリアに伝えていたとおりで、あくまで結果論だ。しかし傍にいてもらううちに、その器量と機転に惚れ込んでしまい、今では夜に私に果物を与えながら恋愛相談をしているという、近年まれにみる馬鹿な王子なのだ。

「俺もそれなりに努力はしているつもりなんだが、いかんせん女性にどうアプローチをするのが正解か分かりかねててね。乗馬に誘えば景色ばかり見ているし、お茶に誘えば仕事の相談と勘違いされるし、城下への散歩に誘えば市井調査と勘違いされるし……ヴァレンからもなにか手助けはないかと、思うんだが……オオカミにこんな相談をする俺は相当切羽詰まってるな」

 まったくもってそのとおりだ。しかし、ラウレンツ王子は顎を撫でて柳眉を寄せながら「あとはなんだろう……贈り物なんてどうかな、日頃の労をねぎらうという形で……」と大真面目に相談を続ける。いいから早くぶどうを寄越せ。

「……君が本当に神獣ならいいんだけれどね。確か、オオカミの神獣は絆もつかさどるだろう? いい相手との縁を結んでくれると……まあ、ロザリアに釣り合うようにもっと努力しろという話かもしれないけど――あっ」

 その手からぶどうを奪い取ると、ラウレンツ王子は分かりやすく迷惑そうな顔をした。指は食いちぎらないで済むよう配慮したのだ、いいではないか。

「……ヴァレン、食うってことは協力してくれるんだろうな? 俺がロザリアの隣に座ろうとすると君は決まって間に割り込んでくるが、あれはわざとだろう? あれを控えるだけでもいいし、なんならたまには二人きりにしてくれる、それだけでもいいんだが。聞いているか、ヴァレン?」

 お前がロザリアに見合うかは、まだ評価途中だ。あまりにうるさいのでそう答えてやりたかったが、神獣と知られるにはまだ早い。

 コイツも大概馬鹿な王子だが、もうしばらく、ロザリアとの関係は見守ってやるとしよう。なにせ、ロザリアのまともな人生は始まったばかりなのだから。

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